ベトナム男とフィンランド女

旅に出るときはいつも驚かれるほど軽装である。
今の時代、現地で何でも調達できるし、身軽な旅と言うものが心からリラックスできるタイプなのだ。
10年くらい前にパリに行った時は、小さなポシェット一つで、中にはパスポートとクレジットカードとスマホと口紅しか入っていなかった。
急に旅立ちたい気持ちになり、そのまま空港へ向かいながらホテルやチケットを予約し、15時間後にはパリにいた。

旅を一緒にすると、友人でも、家族でも、恋人でもその人の性格が良くも悪くも分かることは誰でも経験しているだろうが、旅のタイプが合う人とはやはり良い関係が築ける。

彼と最初に旅行したとき、こんなにストレスが少ない旅は初めてだなと心地よかった。
名所旧跡にはそれほど関心がなく、街をぶらぶら歩きながら美味しそうな食事や酒を出す地元の人が集まる店を嗅覚で嗅ぎ分けながら飛び込み、写真も撮らず、スマホさえ二人とも出すことがほとんどない旅だった。
何々をせねば、やらねばという強迫観念みたいに追い立てられる人との旅は私にとって苦痛で、SNSなどにどこ行った何食べた誰と会ったと事細かく発信している人を見ると、難儀やなとしか思わない。

人生楽しまなきゃ、そしてその記録を残さなくちゃという義務のような旅をする人とはあまり気が合わない。

その、旅の相性が良い彼は、私に隠語でベトナムと呼ばれていた。

仕事柄、世界中を旅してきたし、仕事以外の一人旅も好きな人で、旅の話を私によくしてくれていた。その中の一つのエピソードにベトナムへの旅があったのだ。
「すごく印象的だったのがさ、男がみんな働いていないんだよ。昼は道端の木陰でぼうっと座り込んでたり、停められたバイクの上で器用に体を丸めて猫みたいに昼寝していたり、夜は居酒屋みたいなところに集まって酒飲んだりさ、とにかくのんびりと言うか怠惰なんだよね。」と言うので、女は?ベトナムの女は?と訊くと「そんな男たちの側でベトナムの女はすごくよく働いているんだよ。」とおかしそうに答える。
「オレ、商店のおばちゃんに、男に何も文句言わずによく働くねって言ったら、ウチの男たちはやるときゃやんのよ!いざって言う時はすごいのよアイツら。今は休ませてんのよ!って言うんだよ」と笑う彼に、あなたみたいだね、これからあなたの事、ベトナムって呼ぶわと伝えた。

彼は、以前それなりの仕事に就いていたが、嫌なことはある程度我慢して一旦受け入れるが結局逃げてしまうという彼の本質が人生のいたるところで出てしまい、それなりの収入を捨てて、学歴や彼の持つ様々な能力が重要視されない、いつでも嫌なことがあれば辞められるアルバイトのような仕事で食いつないでいた。
勿体ないなと思うけれども、それが彼の生き方なのだから私が口出しすることではない。
医者として50年間勤勉に勤め上げて亡くなった夫とは正反対の男だったが、良好な恋人関係は続いていた。

私は、愛した人をとことん甘やかしてしまう。

彼は、実際お金が無かったし、私は二人でいるときに彼にお金を出させることは一回も無かった。アルバイトに毛が生えたような仕事へ行くときは、栄養バランスと彩りが両立した弁当を持たせ、外食で美味しいものを食べた後や買い物をした後に彼が財布を出すことは一度もなく当たり前のように私が払っていた。
半分同棲のような付き合いだったけれど、家事は働いていない私が全てこなし、私はそんな彼との暮らしに別段不満は無かった。
「オレはヒモじゃないよ、ヒモって女働かせて自分は働かない男だろ?俺は働いているけど、一子さんは働いてないんだからヒモの定義に当てはまらないんだよ」と彼が言うので、何なのその謎理論はと二人で笑った。
私がこまごまと家のことをしているときは、いつも「ベトナムさせてもらいますわ」と決まり文句を言ってから、定位置のソファに寝転びながら本を読み、酒を飲み、昼寝をするのだけれど、その姿は正に彼が教えてくれたベトナムの男だった。
ねえ、ベトナム、背高いんだから電球ぐらい換えて、ねえ、ベトナム、帰りにコーヒー買ってきて…そんな感じの暮らしだった。

彼がベトナムの男なら、私はフィンランド政府だった。
何から何まで手厚く国民に与え、世界の幸福度ランキングではずっと一位の国フィンランド。
私との生活は、資本主義と社会主義を融合させた北欧モデルそのものだろう。
特別な事件は起こらず、旅をしたり、時間をかけて食事をしたり、映画や美術館へ足を運んだり、バーで飲み明かしたりの毎日は穏やかで、お互いに声を荒げることが嫌いなので、喧嘩することさえなく、隅田川沿いの凪のような日常が淡々と過ぎて行った。

ナニカガオカシイ…

違和感を初めて感じたのは、友人を含め3人で近所のバーで飲んでいた時だった。同世代の私たちより一回り年上の男性の友人がトイレに行って戻ってこないので見に行くと、うずくまり動けなくなっていた。
バーテンダーが直ぐに呼んだ救急車に友人が運び込まれた後、私が一緒に乗り込むと、てっきりその後に続くと思っていた彼が、「オレが一緒に行っても仕方がないよね…」と言い一人バーに戻った。
私にしてみれば、確かに付き添いは一人でいいのかもしれないけれど、それはあなたであってもいいんだよと言いたかったが、結局、運び込まれた病院で朝まで友人に付き添い家まで送り届けた。

ヤッパリオカシイ…

彼から急に、「仕事、辞めた。夜勤のある仕事は、俺には我慢が出来ないね。」とラインが入っていた。しかも、辞めてから2,3日経ってからの事後報告だった。
辞めるのはいい。彼の人生だ。だけど、その仕事を辞めるということは、より一層のフィンランド政府からの支援があることを見越しての事ではないの?私の家の庭から石油が湧いて出ているわけではないよと言いたかった。

確かに、ベトナムの男たちはベトナム戦争でやるときはやった。戦い尽くした。アメリカという大国に勝った。それを知っているからこそ、ベトナムの女たちは彼らを甘やかしているのだ。
でも、あなたはいつまでも戦うことなく嫌なことから逃げ続け、今も逃げ、これからも逃げ続けるのだろう。
フィンランドだって、急に福祉先進国として今ある訳ではない。大国ロシアやスウェーデンとの長く厳しい争いを経て、独立を勝ち取ったのだ。

男に頼られるのも、甘えられるの好きだけれど、嫌なことから逃げることしか闘争手段を持たない小国と国交を結ぶのはもう無理だなと私は判断した。
私のベトナムは、本物のベトナムの男たちとは違ったのだ。

働いたことも、子どもを持ったこともない私は、弁当を日常的に作ったのは初めての経験だった。彼が弁当を食べる時間帯になると、今日のお稲荷さんは美味しいと喜ぶだろうな、茄子の漬物の色は変色しないで鮮やかな紺色のままかなと想像するのも楽しく、何よりも帰ってきた彼が返すお弁当箱を開けると、小さな葉っぱや花がそっと入れられているのが愛おしく嬉しかった。

お互い緩やかな河のような生き方をする二人は、これからも緩やかな生活を営んでいくだろうと思っていたけれど、うまくはいかなかった。
そんな二人でさえ別れることになったのだから、国と国の戦争は無くならないだろうなと確信する。

先に老いた人から話を聞くと、旅を心から楽しめるのは70歳までだと口を揃えて言う。どんなに元気な人でも、長生きしている人でも、同じことを言う。70までだと。
私が旅を楽しめるのは後10年だ。

次に恋する人との旅はどんな旅なのだろう。

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