見出し画像

FIREの錯覚と「究極の飽き」。無職のおっさんが直面する暇の正体

どうも、遮光カーテンで太陽を完全にシャットアウトした暗闇の中、今日もクーラーの冷風を浴びているプロ無職、脱サラ自由人だ。

FIRE生活も7ヶ月が過ぎ、圧倒的な暇にもすっかり慣れてきた今日この頃。今回は、リタイアした人間が必ず直面するであろう「FIREの錯覚」について語ろうと思う。

■ 夢見た自由が「あたりまえ」になる恐怖

時間が有り余っている無職の特権。それは、サラリーマン時代に「いつか時間ができたらやりたい」と思っていたことを、思う存分できることだ。

気になっていたアニメを一気見したり、時間を忘れてゲームに没頭したり。あるいは、3週間にわたって北の大地を車中泊で駆け回るような、気の向くままの長い旅行に出かけたり。 だが、それらを毎日続けていると、困ったことにそれが「あたりまえの日常」へと変わってしまうのだ。

会社を辞めたらやろうと思っていた目標は、時間がある分、ある程度のところまであっさりと達成してしまう。特別なご褒美だったはずの時間がただのベースラインになり、やがて物足りなさを感じるようになるのだ。

■ 昼間からのビールすら飽きるという現実

やりたかったことをやり尽くすと、あとはただダラダラと過ごすだけのフェーズに突入する。

無理やり何か高い目標やライフワークを作ればいいのかもしれないが、私にはそこまでの意識の高さも志もない。ただの意識低い怠惰な人間として、昼間からキンキンに冷えたスーパードライを開けて、ぽっこりお腹をさすりながらダラダラ過ごしているだけだ。

しかし恐ろしいことに、「何もしないこと」や「大好きなビールを飲むこと」すら、いずれ飽きてくる。どんなに好きなことをしていても、人間は必ず「慣れ」という名のバグによって飽きてしまう生き物なのだ。

■ 暇と退屈の無限ループを受け入れる

たまには何か違うスパイスを入れないと、退屈すぎて気持ちが萎えてしまう。どんな状況であっても、結局は「慣れ」がこの無気力な状態を作ってしまうのだ。この辺りの感情とどう上手く付き合っていくかが、FIRE生活を謳歌するための最大の課題と言えるだろう。

暇すぎるのも、やはり考えものである。 だが、だからといって再び働きに出れば、今度は間違いなく「あー、休みたい。何もしたくない」と文句を言うに決まっているのだ。

結局、人生なんてそんなものなのだろう。無いものねだりを繰り返すだけで、ある程度の答えはすでに出ている。

だからといって、焦って何か特別なことを始めるわけでもない。 未来のことは誰にもわからない。このまま薄暗い部屋でダラダラと野垂れ死ぬのか、それとも何か人生を変えるような新しい出来事が見つかるのか。

どうなるかはわからないが、とりあえず今日も惰性で息を吸って吐きながら、私の人生は続いていく。

ではでは。


いいなと思ったら応援しよう!