天保十五年(1844)十一月 江戸の金融パニック!「中墨」を死守せよ―財務官僚たちが挑んだ「無理ゲー」な相場操縦の裏側~古文書奮闘記~ #51
これまで読んだ銭相場に関する文書から数年前の天保十五年(1844)11月ごろのものを読んでみました。
前回の記事はこちら
今回読んでみたもの

まずは、「ふみのは」のくずし字解読アプリ「古文書カメラ」
スマホをかざして画像を読み解き、文字の検討をつけます。
そして、得られた翻刻文をGeminiに投げ、現代語訳と文脈の解説を依頼しました。
文明の力を使って解読!
💸 江戸のATMが止まった!?
天保15年(1844年)11月、江戸の街はどんよりした空気に包まれていました。 原因は、幕府がドヤ顔で出した「金1両=銭6,500文」という価格凍結令。物価を下げようと良かれと思ってやった政策が、まさかの裏目に。
「銭売買の儀……相立て候以来、兎角(とかく)不融通(ふゆうづう)に相成り……」

https://dl.ndl.go.jp/pid/2588681/1/8
町奉行の跡部能登守の元には、現場からのクレームが殺到。江戸の経済が、今まさにフリーズしようとしていたのです。
📉 消えた「江戸のウォール街」
実は江戸には、銭相場を決める「聖地」がありました。それが日本橋の四日市です。ここでは毎晩、両替商たちが集まって熱いセリを行い、その日のリアルな相場を決めていました。
「四日市町に両替屋共立ち合い、相場を相立て候儀も相止み候に付き……」

幕府が「価格は6,500文固定な!」と強制したせいで、プロの相場師たちは一斉にやる気を失い、セリそのものが消滅。 さらに、両替商たちの利益である手数料――打銭(うちぜに)まで削られたことで、彼らは「やってられるか!」とボイコットを開始します。大量の小銭が金庫に眠ったままになり、街からキャッシュが消えるという危機が起きたのです。

🛡️ 官僚たちの苦肉の策「中墨」
「固定価格は守らなきゃいけない、でも市場は死んでる……」。 追い詰められたエリート官僚の鍋島内匠頭たちは、ある「裏技」を思いつきます。それが中墨作戦です。
「これまでの相場を中墨(なかずみ)に致し、六貫四百文より六貫六百文までの内にて、相場高下致し候分は苦しからず候」

つまり、「6,500文を中墨(基準値)として死守するけれど、前後100文くらいのズレなら誤差として黙認してやるよ」という妥協案です。現代の通貨ペッグ制みたいな高度な駆け引きですね。
でも、現実は甘くありません。市場のナマの価格である直場(じきば)は、官僚の計算を無視して、ズルズルと「銭安」の方向へ流されていきました。
🚨 ラスボス、遠山金四郎の緊急報告
そして迎えた天保15年(1844年)12月28日。1年で最も現金が必要な仕事納めの日、ついにあの男が動きます。南町奉行にカムバックしたばかりの遠山左衛門尉(金さん)です。
「市中、銭払底(ふってい)に付き、此の程渡世(商売)相休み……両替屋共等これ有る趣にて……」

金さんが見たのは、お年玉や餅代の支払いができずにパニックになり、商売を休むハメになった庶民の姿。彼は「数字の操作(中墨)」に執着する同僚たちに、現場のガチすぎる悲鳴を叩きつけたのです。
🏁 結局、マーケットには勝てない
天保から弘化へ。年をまたいで繰り広げられたこの金融戦記が教えてくれるのは、「お上の命令でマーケットを縛るなんて無理ゲー」という、いつの時代も変わらない真理です。
「中墨」という細い線を引いて江戸の経済を守ろうとした、エリートたちの冷や汗混じりの奮闘記。古文書の「6,500」という数字の向こう側には、年末の江戸を駆けずり回った男たちの熱いドラマが隠されているのです。
そういえば、以前の記事でも6500が数字として出てきましたね。結局ずっとうまくいかなかったってことですかね・・・まだまだ勉強が必要そうです。
前回の記事はこちらです
古文書のための辞典や本のおすすめはこちらです
事例をたくさん見ることで読める気がする
勉強始めたばかりでは不要です。が、必要な時が来ます!!
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