【小説】君に、炎を捧ぐ~偽りの剣と、真実の愛~


「小説になろう」「アルファポリス」にて公開している一幕本編です。
折角なので、noteでもまとめてみられるようにしました。

是非どうぞ。



💙レイ視点
💗ヴェラノラ視点



 イグニス王国――険しい山々と海に囲まれた竜の加護を受けた豊かな辺境にある小国。

 南には竜の尾と呼ばれる活火山がそびえ、今もなお噴煙を天に昇らせている。
 だが、活火山を含んだ黒土は大地を潤し、王都の周囲には段畑や果樹園が広がっていた。

 その国には、祝い事や神事には必ず火を焚べる風習がある。
 今では王都の道を赤などの暖色で照らす“ルミナリア”という燃える花がその役目を担っていた。

 王城の通路や回廊、騎士団の訓練場の脇にも植えられ、朝夕柔らかな赤き灯をともす。
 竜の関わりある国の象徴でもあった。
 
 人々はそれを“竜の祝福の炎”と呼び、日々の暮らしの中にも祈りと灯火を置いて生きている。

 そのため王都は赤い屋根と石畳の道に彩られ、燃えるような光景を見せる。
 王城のすべての通路は竜が通れるくらいに広く高い。

 そして、イグニス王国を治める女王たちは代々金色に燃える"命の焱"を受け継ぎ、この地を守り、火を絶やさなかった。

 現女王――ヴェラノラ・アウレリア・イグニスは、歴代でも比類なき炎の使い手だった。
 燃えるような赤髪。
 真紅の瞳は燃え立っていた。
 その額には美しい金冠。
 紅のドレスはまさに焔の女王と呼ぶにふさわしく、どんな屈強な者でもその凛々しさに膝を折らざるを得なかった。

 強く、凛としていて誰よりも国を愛した彼女。
 ただ一つだけ足りないものがあった。

 ――後継者と、伴侶。

 国民は噂した。
「そろそろ本気で婚姻をするべきではないか」と。
 貴族たちは嘆願し、イグニス国が辺境の地だとしても諸国からは求婚の書状が雨のように届いた。

 彼女はそれらの名を全て、火の魔法で竜の末裔と言われる由縁の力で燃やし尽くす。
 心の底では気づいていた。

 誰のことも選べない。
 ――あの時、心を奪われた“少年”以外は。

 過去街の片隅で。
 襲われかけた幼い彼女の手を引いて走ってくれた少年。

 帽子に髪を隠していた自分を、年の近い誰かだと思ったのだろう。

 けれどあの時、繋いだ手の力強さと温かさ。
 そして、蒼海の瞳。
 今でもはっきりと記憶に残っている。
 別れ際、ヴェラノラは自分のイヤリングと対になるもうひとつを、少年に託した。

 あれからずっと、その子に再会できる日を夢に見てきた。

 けれど――

 そんな夢は、叶うはずがない。
 再会など、あるわけがない。
 あれは一度きりの奇跡。

 忘れて、務めに徹するべきだ。
 民意もある。
 婚姻も、後継者も必要。
 しかしここまで山のように婚約の手紙が来ては面倒が顔を出す。

 だから……これは、ただのヴェラノラの衝動でしかなかったのかもしれない。
 それでも、口から出てしまったのだ。

「貴様私の伴侶にならんか?」

 謁見の間が静まり返った。

 予想外の相手。
 予想外の展開。
 
 
 そして。
 その言葉を受けた“騎士”は、口元を引きつらせながら、何とかこう答える。

「……仰せの、ままに」

 けれどその声音には、どこか震えがあった。

 それもそのはず――
 その騎士は魔法で男の姿になっている、“とある秘密”を抱えた女だったのだから。


唐突な婚約の後で。💙

「……仰せの、ままに」

 そう口にした瞬間。
 頭の中が真っ白になった。
 無駄に高い謁見所に響いていたのが今更になって恥ずかしい。

(……なに言ってんだ、私)

 しかし、言うしかなかった。

 いつの間にか口に出てしまっていた。

 そもそもただの魔物討伐の任務報告に来たはずなのに……。とんでもない数の書類を読んでおられるなあとは思ったけれど、全部婚約の手紙とは思わなかったし。

 ――よりによって“求婚”って……。
 わ、私に?!

 
 陛下の、あの目の前で、言わないなんて選択肢、どこにもなかった。
 頬が熱くなるのをかんじる。

 私は騎士だ。
 剣を振るい、陛下に忠誠を誓った身。
 命じられれば従うのが務めで。

「仰せのままに」と答えるのが当然で。
 ……それなのに、どうして。
 あの言葉にだけは、心がこんなに引っかかるのか。

 動悸が治まらない。
 気分が悪くなる。
 肩の奥がひどく重たい。
 鎧がいつもより二倍くらい重く感じるのは、気のせいじゃない。

(だめだ、早く帰らないと……)

 私は足早に玉座の間を後にした。
 同僚の騎士たちが声をかけてくる気配もあったけど挨拶もそこそこに通り過ぎる。

 控えの間を抜ける。衛兵たちの敬礼を受け流し、馬へ向かう。
 どうにか体裁を保って歩いてはいたから、まだ残る新米騎士たちにはかっこよく見えていることだろう。

 けれど、内心はぐずぐずだ。
 陛下が言ったあの言葉。
 何度も頭の中で反響する。

 ――「貴様私の伴侶にならんか?」

(ひぃ……だめだって……それは、だめだよ……!)

 私は、男じゃない。

 嘘をついてる。

 仕えた頃から……いやそれより前からずっと。嘘の姿であなたの側にいた。
 それでも、あのまっすぐな目であんなこと言われたら、私……。

 自分でも何を考えているのか分からなくなりながら馬に飛び乗った。
 いつもは制御が難しいこの馬も、今日は何も言わずに走ってくれる。

(お願い。誰にも、……何も言われないうちに……!)


終わりの始まり💙

 バリストン邸に帰還するとき――その門は王城を模したように壮麗だった。

 伝説とされる巨大な竜がくぐれるほど広いアーチ型の門。重厚な黒鉄の柵には、精巧な装飾が施されている。

 また、庭には蒼と白のルミナリアが咲き誇る。
 王城の格式を真似て建てられたらしい、と他人は噂している。
 しかし、私はどこか居心地の悪さを覚えていた。

 ……立派すぎる。

 屋敷というより、檻みたいだ。
 時々そう思ってしまう。

 門をくぐると、すでに玄関扉は開かれていた。
 ふわりと夜風に舞う白い長髪が俯いていた視界の隅に映る。

 待っていたのは、ノル・バリストン卿――私の育ての親であり、今や国の左宰相でもある男。

「おかえり、レイ。おつかれさま」

 言葉はやさしい。
 口調も穏やかで、微笑みさえ浮かべている。
 でも、なぜか――喉の奥が、きゅっと詰まる。

(……なにを警戒してるんだろ、私)

 自分にそう言い聞かせて「ただいま戻りました」とだけ答える。
 深く頭を下げて、通り過ぎようとした。
 その瞬間だった。

「……変身は、もういいだろう?」

 パチン、と指が鳴らされる。

 魔力が、流れを変えた。
 鎧の内側で淡く光るそれ。私の肉体を緩やかに包み込み、変えていく。

 慣れている。
 昔から、ずっと繰り返してきた感覚だ。
 最初は抵抗のあったそれも、今では日常の一部になってしまった。

 音もなく、私の髪が伸びていく。
 白銀の短髪が肩へとかかり、頬にかかる前髪が目元を柔らかく覆う。
 身体の輪郭も、ふわりと変わっていく。細く、柔らかく。
 どこか“らしく”なって。

(……魔法が、解けた)

 私は、もう“レイ”じゃない。

 “セレスタ”に戻った。

 唯一変わらないのは、この髪の色。
 レイの時も、セレスタの時も、私は“白”のままだ。

 鏡を見れば、そこには“あまりにも整いすぎた”顔が映るだろう。

 整った輪郭。
 透き通るような白い肌。
 侍女は美しいと褒めてくれるけれど、私はあまり好きじゃない。

(……女王陛下のような人と並ぶには、私はあまりにも中途半端だ)

 あの人は強く、美しい。
 すべてを受け止められる光を持っている。
 私は違う。
 自分のことで精一杯で。
 何かを背負うには心も体も小さすぎる気がして――

(……それでも、……せっかく曲がりなりにも選んでいただいたからっ……)

 自分の意思で動いてるつもりだった。

 コンプレックスがありすぎて、叔父様にお願いして今まで生きてきた。
 こうやって簡単に変身させられると、どこからどこまでが“自分”なのかわからなくなる。

 何度も努力した。
 けれど、結局はズルズルと自信のなさが顔を出す。

 心が自分のものじゃないみたいな感覚。
 そんな思いが、今夜もまた胸の奥にこびりついたままだ。


変身のあとで💙

「ふう……」

 変身が解けた途端。その思いを吐き出すように思い切りため息を吐いた。
 長く伸びた白百合色の髪が肩を滑り落ちる。
 胸元の鎧の締めつけはまだある。それでもなんだか呼吸が楽になった。

 ……けれど、それ以上に精神の方がもう限界だった。
 何もしていないのに、全身が鉛のように重くて仕方がない。

「ふふ……。女王陛下に、婚約を申し込まれたそうじゃないか」

 背後から、バリストン卿の声が響く。
 その口調は軽やかで、まるで世間話のようだ。
 しかし、その笑みに籠もった何か――それは、いつも通り読めなかった。流石国の重鎮と呼ぶべきかただ。

「……は」

「ふふ。陛下もまた、変わり者だな。まさか、君という……」

 言葉を切る間に、私の背中を指でなぞるような気配がした――ような気がした。
 ぞわり、と肌に寒気が走る。
 けれど、触れられたわけじゃない。
 ただの思い込み。

「――忠実な騎士を選ぶとは。まあ、上に立つ者としては、分からんでもないが」

 くつくつ、と喉の奥で笑う音。
 どこか、昔と変わらない声音のはずなのに……どうしてだろう。
 胸の奥にわずかなざらつきが残る。

(……この顔、昔もよく見たな。何かを企んでるときの)

 養子に取った私を笑わせようとして、何度も悪戯をしかけてきたその人。

「ま、あまり気に病むな。すぐに騒ぎも落ち着くさ。どうせ冗談と思われているだろうしね。……ねえ、レイ?」

 呼びかけられた男の時の名に。
 眼帯で片目を塞いでいるのに。
 思わず身体がこわばる。
 優しげな声色。
 
 でも、胸の奥が痛い。

「ところで、騎士の仕事はどうだ?」

 その問いかけに、何かが引っかかった。
 考える前に次の言葉が重ねられる。

「我が後継にまでなって貰わなければな」

 その一言に、胸の奥がずしりと重くなる。
 声が脳の奥に響くような感覚。

「頼むよ、レイ?」

 ああ――だめだ。
 頭がうまく回らない。
 考えようとすればするほど、その思考ごと底に沈んでいく。

「……はい、仰せのままに」

 その返事は自分の声なのに、どこか遠くに感じた。
 口の中が重くて視界も少し揺れている。

 最近は……ずっと、こうだ。

 何か言おうとすると、喉が詰まってしまう。
 誰かを思い出そうとすると、名前が霧に包まれていく。

 そんな感覚だ。

 でもそれは――
 たぶん、“セレスタ”でいられる時間が短いから、だと思っている。

 気づけば、ほとんどの時間を“レイ”として過ごしている。
 本来の自分がどこかに引っ込んでしまったようで思考が、時々ひどく絡まる。

(……疲れのせいだ。そう、きっと)

 でも、ふとした瞬間に思う。このまま“私”が、“どこか”へ行ってしまうのではないかと。

 そう思い込み、またひとつ思考を飲み込んだ。

「それはまあ、それとして。ゆっくり休むといい。今日は長い一日だったろう」

「……はい、叔父様」



もう一つの秘密💙


 誰もいない自分の部屋。
 ドアの前で小さく深呼吸して、ノブに手をかける。

 ――ミシ。

「はわっ……また……」

 案の定、力加減を間違えた。
 扉の蝶番が悲鳴を上げ、軋みながら傾く。
 反射的に手を引いたものの、時すでに遅し。

「うう……ごめんね、扉……」

 思わず謝るように呟く。
 誰かに聞かれていたら恥ずかしいくらい情けない癖。
 でも昔から直らない。無機物にすら謝ってしまう――まるで、傷つけた相手が本当にそこにいるかのように。

 どうにか横に置いて中に入る。
 侍女が待ち構えており、慣れた様子で扉を見て、ふっと笑った。

「またですね。でも……お嬢様のそういうところ、私は好きですよ」

 そう微笑まれると、なんとも言えず頬が熱くなる。

「ぐう……」

 自分が嫌になる。
 ただ部屋に入るだけなのに、気が抜けたせいか、いつもこれだ。

(私は……どうして、こうなんだろう)

 こんなふうに力をコントロールできないから、人に触れるのが怖い。
 だから、私は誰にも触れようとしない。
 それが癖になって、当たり前になって、――孤独にも、慣れてしまった。

 握手もできない。
 ふいに差し出された手にさえ、手を伸ばせない自分が――情けない。

 だからきっと、今もひとりなんだと思う。

 侍女が白銀の鎧を脱がし、ふわりと白髪が肩に落ちる。
 鎧を脱いでも、心までは軽くならない。
 部屋を後にする侍女の足音が消えてから、私は静かにベッドサイドへと腰を下ろした。

 ちょうど前には、埃を被った鏡。
 普段まったく使わないもの。

 そこに映るのは、整った顔立ち。
 少し幼さの残る輪郭と、白磁のように透き通った肌。
 白銀の髪は光を柔らかく弾き、まるで雪の精のようだと、昔誰かに言われたこともある。

 でも――

 目だけが、違った。
 白い瞳は、まるで感情を映すことを忘れてしまったように芯が見えない。
 空っぽの水面のようなその視線に、自分自身が映っていない気がした。
 まるで、自分で何も決められない人形のように。

(綺麗に見えても……中身がこれじゃ、意味がない)

 思わず顔を背けた。
 鏡に映る“自分”を見ていられない。

 それに――。

「力が強すぎる……女の子なのに……」

 ぽつりと、口からこぼれる声は、自分を責めるように震えていた。
 女の子として生きる時間は短くて。
 強さだけが自分を形作っていて。
 その“強さ”が一番、自分自身を遠ざけている。

 ――何もできない。
 守りたいものに、触れることさえできない。
 あの人に触れたいと思ってしまったら、私は、壊してしまうのではないか。

 そんな怖さが、胸の奥を冷たく締めつける。

 けれど、それでも。

 私は開けっぱなしの机の引き出しから小さなケースを取り出す。

 丁寧に。そっと開けて、中の金のイヤリングをつまみ、指先で転がす。

「……今日も、見つからなかったな」

 ひとりごと。
 誰に向けるでもない祈り。

 昔。
 出会った少年がくれたかけがえのない記憶。
 私がこの手で守った、大切なもの。

(あのとき……わたしが確かに、女の子だったって思えた。この力を持ってはじめて良かったと思わせてくれた)

 今も、あの目をしている人が、どこかにいるのなら――。

 ――『婚約しよう』

 ……女王陛下のあの言葉が、また胸の奥に火をつける。

(だめ……あの人に近づいちゃいけない。バレたら、すべて終わる。最悪死刑かなあ……)

 けれど、それでも。
 今、心のどこかが――ほんの少し、疼いていた。

(守りたい。だけじゃない……何か、もっと……)

 それは戸惑いとも憧れとも違う、けれど確かに“何か”が生まれかけていた。


燃える街で揺れる心💙

 翌朝。
 叔父様に変身の魔法をかけてもらった私は、馬にまたがり、王都の朝をゆっくりと進んでいた。

 石畳を踏みしめる蹄の音。
 パン屋の香ばしい匂い、行商人の元気な声。
 町を行き交う人々の髪は皆燃えるような赤。
 そして足元の国花ーールミナリアの赤。

 ――イグニス王国民の証。

 私にはない色。
 その色を見るたびに、胸の奥がざわつく。
 昨日、玉座の間で響いたあの言葉が今も耳に焼きついて離れない。

 ――『貴様、私の伴侶にならんか?』

「……っ」

 王の言葉は絶対。
 ましてやそれが女王・ヴェラノラ・アウレリア・イグニスのものなら、なおさら。
 私は騎士だ。
 命じられれば、応じるのが当然。
 だからこそ、あの瞬間反射のように「仰せのままに」と答えた。

 けれど――
 あれは本当に、命令だったのだろうか。
 それとも……。

 考えるだけで、胸が締めつけられる。
 恋などではない。
 ただ、王としての在り方に、私はどうしようもなく惹かれているだけ。

 誰よりも国を思い、強く、美しく、威厳を纏いながらも、どこか寂しげに佇むあの背中に。

 私は“選ばれた”のだ。
 けれど、それは本当に――私だったのか?
 昨日の言葉が、ただの気まぐれではなかったとしたら。
 あの赤い瞳が、他でもない私に向けられていたのだとしたら……。

 ――違う。考えるな。私は騎士だ。

 ぐっと手綱を握り直す。
 今は職務に集中しなければならない。
 この朝の空気――鍛冶屋のカンカンという音、通りの匂い、人々の声。
 それこそが、私が守るべき“日常”だ。

 けれど、騎士の仮面をかぶったその奥に、もう一つの理由があった。

 耳飾り。
 自室の箱に仕舞ってある、古びた金のイヤリング。
 幼い頃、私を救ってくれた“少年”がくれた、唯一の宝物。

 その子に、もう一度会いたい。
 その一心で、私は毎朝馬に乗り、王都の道を選ぶ。
 この高い視点からなら、いつか再会できるのではないかと――根拠のない希望を抱きながら。

 ……会いたい。
 あの時、私の手を取って走ってくれたあの子に。

 赤い波の中、今日もまた耳飾りを探す視線を送る。
 まだ、見つからない。
 けれど、あきらめない。

 女王が命じた国を。
 この日常を。
 私は、誰よりも大切に思っているから。

 たとえ、それがどれだけ矛盾していようとも。



赫き尾をひく男💙

 王都の道を進むうちに、騎士団本部が見えてきた。
 城と庭園を挟んだその白壁の建物は、今日も朝陽とルミナリアの花弁によって眩しく輝いている。

 門の前で馬を預け、詰所へと足を運ぶ。
 鍛錬場からはすでに金属の音が響いており、訓練中の若い騎士たちの掛け声が空に伸びていた。

 だが、いつもと違うのは――その合間にちらちらと送られる視線だった。

 扉を開けると、詰所の空気がふっと揺れる。
 何気ない朝の喧騒の中に、わずかな緊張と気配が滲んでいる。

(……やっぱり、もう広まってるか)

 ちらりと視線をやると、壁に張られた新聞の見出しが目に飛び込んでくる。

 ――『女王、婚約の意向を表明――相手は誓焔騎士団の特務騎士』
 ――『"貴様、私の伴侶にならんか?"――衝撃の発言に騎士団揺れる』

(うげっ……見出しにされるとは思わなかった……!)

 顔が熱くなる。
 けれど動揺は表に出さず、黙って自分の机へ向かう。

「おー、婚約者様ご出勤~」

 と、今私の中で一番の地雷である台詞を言って近づいてきたのは、カイル。
 赤髪ポニテのめんどくさい奴という印象しかない。

「お? 無視かな?」

 ただ一人騎士団の公式の白銀の鎧ではなく赫。
 それに竜を象った頭の鎧と羽のようなマント。
 三つ編みが竜の尾のようで。
 竜騎士と言われたらそうだと思うスタイル。
 一度窘めたことがあるが「的がいると戦闘が楽じゃん」と言っていた。

 中身が女の私でさえかっこいいとさえ思ってしまう。
 そいつが軽口を叩きながら、肩を組む。

「……まあいいや」

 いつものことと無視をされたことに関して大して傷付いていない。
 流石というか、あほというか……。

「でさあ、昨日の夜から、お前の話でもちきりだぞ」

「……普通に任務をする。私はそれだけだ」

「つれないなぁ~。もっと、こう、惚気とか……」

「騎士にそんな義務はない」

「はいはい。お堅いことで」

 からかい混じりの笑い声が後ろに引いていく。
 代わりに、冷静な声が響いた。

「レイ。詰め所の割当表を確認しろ。今日も巡回任務だ」

 橙の瞳と黒混じりの赤髪――騎士団隊長が、変わらぬ冷静さで命じる。
 その言葉に内心安堵しながら、私は静かに一礼した。

「了解しました」

 地に足をつける。
 ここが私の務める場所。
 何があろうと、私は“騎士”として与えられた任を果たすだけだ。

 それが、この国を守るということ。
 ――あの、炎を背負った王の隣に立つために、私がすべきこと。


赤き髪を探して💙

 任務は、街区の警備と巡回。

 外見は平静を装っていたが、内心は騒がしいままだった。
 昨夜のあの一言――「貴様、私の伴侶にならんか?」
 女王の赤い瞳が思い浮かぶたび、胸の奥に火種のようなざわめきが生まれる。

(忘れろ。いつも通りに、騎士の務めに集中しろ)

 歩いていると、ふと目の前を通り過ぎた赤髪の青年に視線が吸い寄せられた。
 年も背丈も、あの頃の“少年”に似ていた。

(……まさか)

 一瞬、鼓動が跳ねる。
 けれどその耳元にはイヤリングの影はなかった。
 失望したわけじゃない。慣れている。何百回と繰り返してきたことだ。
 それでも、どこか胸が冷える。

(あの人は、どこにいるんだろう)

 私は歩みながら、前を見据える。

 それでも街角を曲がるたび、私は誰かを探すように目を走らせる癖が、抜けなかった。
 どうしても視界に入るすべての“赤”が彼女の姿に重なる。

 街行く人々も。
 巡回中の騎士たちも。
 燃えるような赤髪――イグニス王国の民の証。

 その色が街中に満ちているほどに、私はかき乱され、女王が治めるこの国の広さを思い知る。
 

(あの背中が守っている国。……私はその背中を、守りたい)

 不意にこみ上げた思いを振り払うように、声をかける。

「ここは私が見る。控えとけよカイル」

「はいはい。肩の力抜けよ」

 と、カイルはやれやれと肩をすくめ、一輪のルミナリアで手遊びしながらついていく。
 石畳の道に馬の蹄が混じり、商人の声が飛び交い、子どもが走り回る。
 穏やかな日常。
 これを守るのが、自分の務め――そう思っていた、はずだった。

 しばらくするとカイルの愚痴が始まった。

「いやー、歩くの早い~疲れたあ」

「なにいってるんだ……」

 カイルを振り向く。

 いつもなのだがめんどくさいことこの上ない。
 しかし、そのおかげで陛下への思いが和らぐ気がした。

「警備は“見せる”ものでもある。だらけて見えるのは問題だ」

「……へえへえ」


巡る五感と剣の影💙

 歩きながら、視線を走らせる。
 力もそうだが、五感も常人以上に鋭い。

 だから、幼い頃はうるささや匂いで気分が悪くなることもあった。
 しかし、案外慣れるもの。
 不要なものは五感に入らなくなった。

 動き、荷物の重さ。
 視線の揺れ。声の裏――どれも些細な変化が危険の兆候になりうる。
 ただ、今日はどうしても意識が逸れる。

(……何を考えてるんだか。今日もヘトヘト帰宅になるな)

 そのときだった。
 風を切る音。直感で身体を捻ったが、脇腹に鋭い痛みが走った。

「ッ……!」

 布越しに何かが突き刺さった感覚。
 視線を下ろすと、地面に転がる短剣。毒はなさそうだが、しっかり血がにじんでいる。

 影が一つ、屋台の影から飛び出す。
 敵だ――しかも、訓練された動き。民の中に紛れるように動き、まっすぐこちらに向かってくる。

「レイ!」

 カイルに呼ばれる。

(気を取られてた……)

「後ろを頼む!」

 痛みを引きずりながら剣を抜き、敵の刃を受ける。
 刃と刃がぶつかり合うたび、脇腹に響く痛みが呼吸を浅くする。
 相手の攻撃は執拗で、正確。
 対してこちらは防御が精一杯だった。
 しかも不意打ち。

(だめだ、集中できてない。昨日のことばかり……)

 それでも退けない。
 背後には市民がいる。
 女王の治める国が、ここにある。

「はッ!」

 渾身の力で剣を振り、敵の武器を弾き飛ばす。
 体勢が崩れたその瞬間、軽く拳を叩き込み、膝で地面へと叩き伏せた。

「……動くな」

 
 敵は呻き、観念したように動きを止めた。

「大丈夫か?!」

 カイルが駆け寄ってくる。
 その目が血に染まった私の脇腹に釘付けになり、手を伸ばしてきた。

「傷、見せ……――」

「やめろッ!」

 反射的に、カイルの手を躱して拒絶する。

「大丈夫だって~」

 カイルは優しく伝えてくる。
 そうはいっても触れられる、その一瞬が怖い。
 自分の手がどれだけの力を持っているか。自分自身が一番わかっている。
 もし、この者を傷つけてしまったら――そう思っただけで、全身が強張った。

 また、いつも通り近寄ってくるが、あしらってしまう。
 私の方が凍りつく。

(……やってしまった)

 距離を取ってしまうのは、恐れだ。
 私のこの力が他人を壊してしまうことがあるかもしれないという、根深い恐怖。

「すまない。……傷は浅い、手当ては後で構わない」

 震えそうになる声を押し殺して、かろうじて言葉を絞り出す。
 やれやれと言った感じで、カイルが肩を竦める。
 後ろから敵の拘束にあたるのを見届けて、息を整える。

(まただ……)

 また拒んでしまった。
 仲間の善意を――傷を見ようとする当然の行動を。
 なのに私は、まるで自分が異物だと宣言するように、遮ってしまった。

(こんなんじゃ、守れるわけないだろ。こんなことで、乱されてどうする。私は……)

 自分の力の加減すら、制御できない。
 誰かの手にちゃんと触れることすらできない。
 なのに、私は――“あの人の隣”に立とうとしている。
 視線を上げた先、王都の空はよく晴れていた。
 石畳の広場の噴水には、子どもたちが笑いながら駆け回っている。
 その親たちは赤髪を風に揺らしながら目を細めて見守っていた。
 イグニスの民――王国の象徴。

 あの赤は、炎の色。
 そしてその頂点に立つ者が、焔の女王――ヴェラノラ陛下。

(あの人は、こんな世界を守ってるのに)

 誰よりも強く、誰よりも美しく、真っ直ぐで。
 この国すべての象徴であり、誇りであり。
 その背中を、私はずっと追い続けてきた。

(なのに、私は……)

 目を伏せた。

 手に滲む血が、やけに生々しい。
 己の身体なのに、力の加減もできず。誰かに触れることも怖がって……。挙げ句の果てに――女王の言葉ひとつで心を乱して、足元をすくわれた。

(こんな私があの人の傍にいて、いいわけないだろ……)

 咄嗟に陛下の名を呼んだ昨日の自分が、頭の中で何度も繰り返される。
 たった一言で、心をめちゃくちゃにされるほど、私は脆い。
 見上げた空は、青く澄んでいた。

 それでも――
 それでも、あの人の守るこの国を、私も守りたかった。
 触れられなくても。
 触れたら壊してしまうかもしれなくても。
 その背中だけは、どうしても、追いかけたかったのだ。

(どうしたら、ちゃんと“私”のままで守れるんだ……)

 押し殺した叫びが、喉の奥でくすぶる。
 けれど誰にも、そんな想いを知られてはならない。

 パチンと音がする。
 思いと共に飲み込んで無くす。
 私は、“騎士レイ”なのだから。


金赫の背を遠ざけないように💙

 逮捕した男は腕を縛られ、カイルと二人で調査局へと連行することになった。
 私に引きずられた男は随分怯えている。
 それもそうか。

 手加減していても、きっと腕には私の手が鬱血して残るくらいには強いから。

(しかし、赤の外見でそんな表情をしないでもらいたいが……)

 犯罪者だろうと、昨日の一件があってからどうしてもざわつく。

「あんな動き初めてだな。良かったんじゃねえの?」

 いつも通りの声。
 カイルとしては大して気にしていないのだろう。
 むしろ上手く褒めてくれているみたいだ。

 それが、今の自分には少し刺さる。
 私は返事をせず、歩幅を早めた。

「おいおい。待ってって! いや、その、さっきはさあ……えーっと……」

 珍しく小さく俯きながらついてくる。
 こいつは慰めるうまい言葉が思いつかなかったらしい。

 どうしてだろう。
 その素直な後悔の言葉に、胸の奥がじくじくと痛む。

「気にするな。私が……悪かった」

「いや、そういうわけじゃなくって……」

 それが精一杯だった。
 以降カイルは冗談さえも言わなくなってしまった。

 ……失格だな。
 「力加減が怖い」だなんて、口にできるはずがない。そんな人間も数知れないだろう。

 詰所に戻るとカイルには騎士団の中の調査局へ男の引き渡しの書類にサインしてもらうよう頼んだ。
 彼は優秀なのだ。
 可愛げのある彼を失意させてしまった。

 己は治療室へと足を運ぶ。
 扉は開いていて、誰もいない。
 安堵して、開いた棚から包帯だけを取る。

(……失態だな)

 一人包帯を巻いていると、その扉の影に一人佇む姿があった。

 ――隊長。

 腕を組み、壁にもたれかかりながらこちらをじっと見ていた。
 橙の瞳が、静かに何かを測るように光っていた。

「……よくやった。が、“お前らしくない”動きだったな」

「……は」

 問い返すと、隊長はひとつ小さく鼻で笑う。

「お前は普段、もう少し冷静だ。なのに、今日の剣さばきは焦りすら感じた。……まるで、何かから目を逸らしたいみたいにな」

 図星だった。
 それ以上、何も言えなくなる。

「ま、何があったかは聞かない。だが――あのあほを拒むような目をするな」

「……っ」

 視線が一瞬、レイの背に落ちる。

 確かにあほの赤い竜騎士。
 私が邪険にしても、馴れ合ってくれる唯一の存在だ。改めて隊長に言われてハッとする。

「騎士は誰かを守る存在だ。守るには“手を伸ばせる距離”に心を置いておけ」

 隊長の声は、いつも通り淡々としていた。

「民たちを。ひいては陛下を守るため、な」

「――は」

 妙に――身に染みた。
 指導、指示というよりも、忠告。
 揺れる彼女の瞳はもしかしたら誰かを失ったのではないかとさえ思ってしまう。

 ――お前は失うなと言っているような。

 この手で守るためには、迷わないようにしないと。


触れられる朝💙

 失態を晒してしまった次の朝。
 魔力の波がすっと引き、私は深く息を吐いた。

 視界が少しだけ高くなる。
 手足は大きく、声も低く。
 けれどもう慣れた。これが“レイ”としての私。

 手元にあったガウンを羽織り、姿見の前に立つ。
 銀の髪は後ろに束ね直し、首元を軽く整える。

 ――少しでも、“騎士”に見えるように。

 私はあの方の隣に立ちたい。ただの装飾ではなく、真に役立つ者として。
 まずは迷いを断ち切ろう。
 一つ一つ場を踏めばいずれは辿り着くはず。

 鎧に手を伸ばそうとした時、部屋の扉が小さく音を立てた。 

「失礼するよ、レイ」

 振り返ると、そこには叔父様が立っていた。
 片目だけでも鋭い視線に、一瞬だけ背筋が伸びる。

「すぐに任務ですから、準備を――」
 
「手伝おう」

 そう言って、彼は静かに近づいてきた。

 私が口を開く前に、肩当てを手に取って丁寧に位置を調整してくれる。

 

「……恐縮です」

 鎧が重なっていく音だけが、静かな室内に響く。

 不意に、頬に指が触れた。
 撫でるというより、確かめるような動きだった。

「……やはり、似ている」

 叔父様がぽつりと呟く。

「……母に、ですか?」

 彼は頷いた。

「髪の色も、目元の骨格も。声は違うが……こうして見ると、本当に姉にそっくりだ」

 私は何と返すべきか分からず、ただ軽く目を伏せた。

 母のことはほとんど知らない。父の事も。
 生まれてすぐになくなったらしい。
 叔父様から聞かされたこととしては、両親は私にそっくりだということ。
 
 彼がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
 頬に置かれた指は、すぐに離れた。
 けれど、なぜかそのぬくもりだけが、妙に残った。

「ありがとう、ございます」

 言葉にしてから、少しだけ喉が詰まった。
 彼は恩人で、家族で、今の私を支えてくれている存在だ。

 だから――触れられても、嫌ではなかった
 いや、それどころか……どこか、安心すらしていたのかもしれない。



火種が落ちた日💙


 数日後。
 巡回が終わった後。隊長が詰所へ戻るなり、短く指示を飛ばした。

「急遽、外部からの外交官が王都入りする。護衛は誓焔騎士団が行う。全員、装備の再確認を」

 その声に空気が一変した。
 噂の鎮まりかけた空気が再び騒がしくなる中、私も言われた通りに装備を整える。

「なにかあったのか」

 カイルがカラカラ笑った。
 先日のことなど忘れたかのように私に絡む。

「昨日、あの“件”で冷遇された要人が癇癪起こして帰ったとか噂になってたけど……まさか、その人戻ってきたんじゃないか?」

(……陛下に、婚約を断られた件の相手か)

「ア、やっぱり! 国境付近のホテルに泊まったってく聞いたけど、また来たんだなあ。一応収穫を持って来いってこと言われたんだろうなあ。大変だねえ、外交官は」

 書類か時事でも確認したのだろう。
 カイルの言葉が耳から耳へ外に流れていく。

「よく海からじゃなくて陸路から来たなぁ」などとも言っている。

 イグニス王国は確かに火山の付近の、大国にしてみれば、小さな都市。陸路は険しい。海路しかない。
 少々気にはなる。
 が、カイルの話には適当に相槌を打つ。

 ――陛下にまた会いに……?
 いやいや、外交官なら交渉の場で会うことは普通だろう。

(この感情は……一体)

 思わず指の力が強まる。
 小手部分の鎧が砕ける音がした。

 隊長がそれぞれに各所への警備を指示していく。
 私とカイルは要人の馬車という一番重要な場所であった。

(せめて、私情を挟まないようにしないとな…)

 誰にも気づかれないようなため息を吐いた。



 要人一行は、馬車数台に従者と部下数名を従え、城下の大通りを進んでいた。それ以外にも配置してあるはずだ。
 騎士団は三手に分かれ、私は主馬車の側を護衛する役を任された。

 馬車の中から、窓を少しだけ開けて顔を覗かせた男は、整った服装をしているのに、どこか余裕がなかった。

「……まったく。この程度で拒まれるとは。女王というのは、どこもわがままなのでしょうかね」

「ほんとだよ。ね、ラザリ」

「はあ……。君が婚約したいとかいったから……仕方なく交渉内容を変えて――……そうだ代わりに古書でも貰いましょうか」

「竜なんでしょ? 女王は」

「違います。……はあ、とにかく君は少し黙っててくれ」

 私に向けられたというより、従者への愚痴。内容の確認。
 聞き流せばいい。いや、普段なら気にならない。
 ――なのに。

 ……わがままだと?

 その一言が、なぜか喉元で引っかかった。
 手綱を握る手に力がこもり、革がぎち、と軋む音がした。
 意味もわからず、怒りがせり上がってくる。胸の奥が、ぐらぐらと熱い。

(……なんだ、これは)

 戸惑う。
 頭ではわかっている。私は騎士だ。
 冷静であるべきだ。
 けれど、どうしても腹立たしかった。

 あの人が、どれほどの重責を背負って、あの玉座にいるのか。
 誰よりも国を想い、誠実で、堂々としていた。
 なのに、ただの政治駆け引きで、その姿を“わがまま”と吐き捨てるのか。

(……こんなにも、怒りを覚えたのは、いつぶりだ?)

 まるで、胸の奥に火種が落ちて、静かに燻っていたものに火がついたようだった。

 今までの私は、ただ「守らねば」と思っていた。
 だがこの瞬間、「侮辱させたくない」と、はっきり思ったのだ。

 それはきっと――“忠義”とは、少しだけ違う感情だった。

「……何を言っても無駄なのか……? “炎の姫君”が、こちらに靡くとは思えないし。……しかしまだ交渉の余地はある……はずだ。僕は、ちゃんと善きものを持ってきたのだから」

 嗤う従者に言うでもない、独り言。
 私は沈黙を守りながらも、その言葉の一つひとつに、小さなざわめきを覚えていた。

(……本当に、交渉の余地などあるのか?)

 それよりも、陛下がこの相手にどう対応するのか――私はそれを見届けたくなっていた。


言葉は焔になる💙

 王城の謁見の間――

 竜のために築かれたという、神話のような空間。
 天井は人の背の何倍も高く、陽光が降り注ぐ。大窓には炎と竜の紋が刻まれている。
 赤金の柱には、ルミナリアが巻き付いて炎を散らしていた。

 足音さえ吸い込むほどに静かな大理石の床。
 ひときわ高い段の上に置かれたのが、国花に囲まれた紅の王座。

 そしてここは、先日私が婚約された場所。
 陛下は、私に向かって――あの言葉を口にした。

『おまえ、私の伴侶にならないか?』

 あの瞬間の重みが、まだこの空間に漂っているようで――
私は一歩、足を踏み入れるたび、鼓動が高鳴るのを止められなかった。

 すべてが止まったように思えてしまう。
 騎士としての私と、もうひとりの“私”とが、剣を交えるようにぶつかり合ったあの瞬間。今までは私の方を押し殺していたのに……。

 決して忘れることのないあの感覚。
 今もこの場に。私にも染みついている。

 目を閉じれば、あの時の鼓動が甦る。
 重圧でも緊張でもない、ただ一つの言葉に揺れた心。

(ッ――いやいや、今は集中しないと……!)

 気を紛らわせるように、視線を流す。
 ヴァルトライヒ帝国の従者たちが、手のひらほどの音を発する銀の装置を弄っているのが目に入った。

(これが、魔石を使った帝国の技術……)

 でも、そんな音も、熱も、この場には届かない。

 この空間を支配しているのは――イグニスの象徴。
 皆が集まりその王座に座るヴェラノラ陛下が、すっと姿勢を正した。

「……よく戻られましたね。私に断られたことが恥ずかしくて貴方方はもう帰国されたものと」

 その声は、柔らかい。
 しかし、どこか冷たい。
 まるで“こちらの出方を見ている”炎。
 今から燃え盛る薪のようにさえ感じられる。

「いえ、陛下。私は貴国の資源と文化に深い敬意を抱いております。些細な行き違いがあったとしても、互いに利益ある交易が成されることを願っております」

「交易、か」

 
 肩肘をついていた陛下は点火したように立ち上がる。

「私は国に益ある取引は歓迎しよう。しかしな、婚約は条件ではない。
 我が“心に火を灯す相手”でなければ、私の伴侶には相応しくないのでな」

 その一言で、空気が変わった。

 外交官の隣の従者の方が目に見えるほどの苛立ちを見せた。
 が、次には怒声もせずただ唇を噛みしめて頭を垂れた。
 どうやら愚かではないらしい。
 対する外交官は笑みを浮かべたまま。

「……畏まりました。では、本日は交易のみにて」

「はい。それで十分です」

 陛下に目をやった。

 そこに立っていたのは、“ヴェラノラ・アウレリア・イグニス”。
 女王として、堂々と相手を見下ろし、己の意志を曲げることなく貫く者。

 ……美しい、なんて軽い言葉じゃ追いつかない。
 眩しいほどの炎。その存在だけで空気を変えるような、凛とした光。

(あれが――あの背中こそが、“選んだ”のか)

 選ばれた者として、何か応えねばならない。
 けれど、私はまだ自分の足元さえ定まらないまま、ここに立っている。

 私の剣は、彼女の背中を守れるのか?
 迷って、傷つけて、守るべき者にさえ背を向けかけた私が。

(……それでも)

 炎は、誰にでも宿るものじゃない。
 だが、あの人に憧れているこの想いだけは、きっと偽りじゃない。

 いつか、あの背中と並び立てるように。
 そう、願ってもいいのだろうか――

(“炎を纏う”とは、ただの魔法のことじゃないんだ)

 人を惹きつける言葉の力、立ち姿、気迫――
 すべてが、燃え上がるように、胸に焼き付いていた。
 それに比べて私は迷いばかりだ。
 己ばかりで無く、あほに八つ当たりしてしまった。

(……あんな風に、見つめられて、“選ばれた”のか、私は)

 それが、誇らしくも、怖かった。

 そのまま白銀の目で見つめていると、陛下と目が合ってしまった。
 ……それだけでも、心臓が跳ねあがるほど。

 陛下は柔らかな笑みとともに――片目をつぶり、ほほ笑みかけた。

「――っ?!」

 ……えっ、という音が出かけて、必死に呑み込む。

 え、え、まさか。い、今のは……っ?
 どうにか唇を嚙みしめる。

(わ、私に……だよな?)

 顔が、熱い。
 頭の奥で何かがパチンと弾けるような感覚。

(な、何を考えているのですか……)

 胸の奥がぐわっと熱くなる。
 何も言われていないはずなのに、全身が反応してしまう。
 それくらい、そのしぐさは――とんでもない威力を持っていた。

(守りたい。だけじゃない……何か、もっと……)

 言葉にできないその想いが、喉奥で火花のように散った。
 怒りとも、羞恥とも違う。まるで、急に心臓に火がついたようだった。これは……?

 まっすぐ、揺るぎなく、見据えられた気がした。
 それだけで、背筋が伸びる。

 たとえ何も言われなくても、託されたような気がしてしまう。
 たとえ何も言われなくても、「おまえを見ている」と伝わってしまう。

(……私は、私で、ちゃんと“選ばなくちゃいけない”)

 与えられた立場に甘えるのではなく。
 過去や力に囚われるのでもなく。
 “セレスタ”として、自分の意思で。

 それがどれほど怖くても、誰かに否定されることがあっても――
 この気持ちだけは、決して偽らない。

 いずれ必ず。
 陛下の横に自信をもって立てられるような自分に――

 ――私は、あの背を守るために。

 終わりを告げられざわざわと謁見の間が雑音で一杯になる。

 我に返り、陛下に形だけの礼をして後を追った。
 その背中に温かく刺す視線を感じながら。


蒼焔の花の小さな生垣の中で💙

 王城と騎士団本部の間を繋ぐ通路。
 ルミナリアの花の生垣が両側を覆いつくす。

 その花段の小さな隙間。
 通路に人がいないことを確認して、入っていく。
 私の通った後はルミナリアの火の花弁が揺れて隠してくれる。

 ここは蒼白に覆われて、薄暗い。
 それがちょうどよく、木漏れ日が心地よい。

 その上絶対見つからない。

 例え上から誰か覗いても分かりはしないだろう。

 初めて騎士団に入った時。人ばかりで疲れ、頭痛がして、そんな時この通路のルミナリアに倒れていった。するとまるで待ってましたと言わんばかりにここへと通してくれたのだ。

 あの時は良い隠れ家を見つけたと安堵した覚えがある。

 青いルミナリアも我が邸に咲き誇っていて見知っているから、安心しているのかもしれない。
 以来。何か来るたび私はここへ立ち入っていた。

 午前の事が何もなかったかのように、鳥が囀り、風が花弁を攫っていく。

「ふう」

 片膝をついて肩の荷を下ろす。

(……陛下も人が悪い)

 完全に私に向けてウィンクしていた。
 一体どこまでかき乱されるのか。

 困ったものだ。

 ルミナリアに埋もれるように背を持たれる。
 普通の草木とは違ってふかふかして気持ちいい。

「ふああ……」

 完全に家だけでの、もう一人の私が出てしまう。
 このまま寝てしまおうかと思い始めた時――

「うむ。お堅い騎士様の素顔は可愛げのあるものなのか、新たな発見だ」

「は!!?」

 咄嗟に埋もれていた上半身をあげる。
 声の先を見た。

 生垣の向こう側にも空間があるらしい。
 知らなかった。

 花を掻き分け覗いてみると、陛下が手洗い場――小さな噴水のほとりに座っていた。
 平時の。いや、先ほどの鋭さはなくなっている。

 それでも凛としていて――けれど、どこかあどけなさすら宿していた。
 炎の光に照らされたその微笑みは、まるで冬の雪の中の焚火の炎で。
 包み込むようなあたたかい火のようだった。

 じっと見つめていると陛下がちょんちょんと横を指で叩く。

 ――座れということだろうが。

 私にはそういう度胸はない。
 しかし、そのまま横になっていることもできない。

 近くに寄り、跪く。

「いい。楽にしろ、休憩だろう」

「いえ、バリストン卿の任務があるので、これで失礼します……騎士団の仕事は終わりました」

 そうか、と言って、指先から炎の蝶を出す。
 女王なりの暇つぶし、休憩の仕方なのだろうか。

「そうだ。ここは別のルートからずーっと歩かねばこれん秘密の場所なのだが……どうやって?」

「……通路の生垣をどうにかかいくぐって」

「ははっ……まさか騎士様がそういうことをしているとはな。まるで秘密基地を見つけた子供のようだな! いいことを知った」

 笑顔が眩しい。
 ……こういう笑い方もされるのだな。
 火の粉を散らすみたいに綺麗だ。

(できればまだ、遠くで見つめてたかった)

 どうにかうまく退散しようと言葉を考えていると、陛下が伝えてきた。

「数日前の謁見――逃げ出したくなる気持ちはわかる。私が派手に言い放ったからな」

「……」

「で、今一度問おうか? いや、仰せのままにと言ってくれたから承諾してくれた、で相違ないな。そもそも、お前は平時も仰せのままになどと、堅苦しい言葉を使うのか?」

「いえ。咄嗟に出てしまいました」

「ふふ。しかし、それのおかげで私は書類の山から逃れられたし、――お前は鉄面皮がはがれてしまったな。ここ最近の失態、聞いているぞ」

 唇に指を当てるようなしぐさで、また一つ炎を灯す。

「そうだな、まず同僚に怒って、……上司に怒られて、補給用のカップを落とす事何度か。それから……」

 私の失態をつらつらと述べていく。

 その間にも既に出していた炎の蝶が彼女の周りを揺蕩い、一つ言ってはふっと霧散していく。どこか幻想的で目を奪われた。
 私の失態さえ、炎と共に消えて行ってしまいそうだ。

「あとは――」

「まっ、……もう、おやめください、へいか」

 ……一介の騎士如きのことを……陛下が……把握?
 頭が真っ白になりそうだ。

 終いには「どうだ? よく知っているだろう」と、にこりとする。

(……どうして。そんな風に、自然に笑えるんですか)

 胸が、少しだけ痛んだ。
 私はまだまだこのかたには程遠い。
 私の任務を話し終えて、満足したらしい。

 別の話題に切り替えてくれた。

「今日の交渉見ていたな?」

「はい。……立派な対応でした」

「当然だろう。私はこの国の王だからな。それと」

 そこまで言って、彼女は紅焔の瞳をすっと細める。

「……“選んだ”お前に、少しくらい格好つけてみせたかったのかもしれない」

「……っ」

 胸の奥が熱くなる。
 言葉が、喉に詰まって出てこない。

 だけど――

(……今なら、少しだけ、聞いてもいい気がする)

「あの、陛下……一つ、お尋ねしても?」

「うむ?」

「なぜ……あの謁見の場で、私に――その、ウィンクなどを……?」

 視線を逸らしながら、何とか言葉を紡ぐ。
 言いながら顔が熱くなっていくのがわかった。

 すると彼女は、楽しげに金色の瞳を細める。

「ふふっ。あれか? ただの“合図”だ」

「合図、ですか……?」

「そう。おまえを選んだのは私ということを、少しばかりお前に思い出させたかっただけだ」

 さらりとそう言った。

「お前が迷わぬようにな」

 その声は、噴水の水音よりも静かに、けれど確かに私の胸に染み込んだ。

「……っ!(……ずるいな)」

 言葉にならないまま、視線を下げ口を覆う。
 耳が赤くなっていないことを祈りたい。

 これ以上ここにいたら、何かこぼしてしまいそうだった。

「――……私はっ……――失礼します」

 小さく一礼し、その場を離れようとしたとき。
 背中に届いた声は、ほんの少し――寂しげだった。

「……レイ。また、来い」

 振り返る勇気はなかった。代わりに私の通った後のルミナリアの金蒼の焱が揺れる。
 そして胸の奥のいちばん深いところに、火を灯していった。

 ――ああ。
 この暖かさ。

 また来てしまうだろう。
 今度はただの休憩ではなく彼女に会うために。


蒼が紅に変わるまで💗

 物寂しくなったルミナリアの苑。
 静かにゆっくりと青から赤へ。暁に。
 対して空は黒へと変わっていく。

 より一層、竜の祝福の花が美しく輝く時。

 ――珍しい。
 花の色が変わるとは。

 元来は、赤。しかし今は王族が竜の祝福を頂いてからは金に染まった。 ただ、ほとんど金は見かけなくなってしまった。

 それはそうと……。
 まだ胸が高鳴る。

 花弁と同様の色の炎を出す。
 いつもならすぐに掻き消し、執務室に戻るはずだった。
 しかし、今日は手放せなかった。

 私は一体彼に何を望んでいるのだろうか。

 最初はほんの気まぐれ。
 求婚なんて、所詮政。
 断れば今回のように更に突く奴も多い。
 断らず、受け入れてしまうと王国を乗っ取ろうとする。

 そんな輩も見てきた。

 そんな婿なんて不要。
 まさに燃えるだけのゴミ。

 手紙さえ灰にするのも飽きた頃。
 たまたま目の前にいた騎士が目に入った。

 今日もあの時もこうべを垂れて、私のことは見てくれなかったが。

 ――伴侶になろう、と。

 あれほど騒ぎになるとはな。

「しかし、なにか引っかかる」

 ――レイ・バリストン。
 バリストン左宰相の剣。

 今までそれしか情報はなかった。

 言葉さえ交わすことはなかった。つまりあの時が初めて。確か、強力な魔物が郊外に出たからその報告。
 あの騎士の返答は完ぺきだった。
 恐らく内では困惑していたはず。

 動揺は見せることはなかった。

 もう一つ言うなら、その後逃げるように去ったことか。
 あれはあれで面白かったからいいとして。

 確かに仰せのままにと告げた声が、僅かに震えていた。

(なぜだろう)

 それに……。

 あの視線。

 髪を掻き分け片耳だけはめたイヤリングを撫でる。

 幼い頃。
 帽子を被って、髪を隠し、城を抜け出し遊んでいた。

 私の守るべき町。

 城とは違うルミナリアが綺麗だった。

 そこであった金髪の暴漢に連れ去られそうになった。恐らくは外部から侵入したのだろうと後に分かったが――そこで出会った年の近い少年。

 暴漢をあの小さな体で突き飛ばして、私を連れてとんでもない速さで逃げ切った。
 私を王女だとは知らず、助けてくれた少年は、手を取って一緒に走ってくれた。
 握りしめた手はとても痛くて骨が折れるかと思ったが……。

 それほど必死に助けてくれたのだと分かって嬉しかった。

 そしてその別れ際。
 私は片方のイヤリングを渡した。
 これは代々受け継がれる国宝だから側近であるヴァルディスに殺されそうにはなったが……。

 その片割れが今私の耳にある。

 いつか見つけてくれると思って。

「願うならば、また会いたいが……」

 ぽつりと呟いた言葉はルミナリアの潮騒に消えていく。
 赤と金の国花の中。
 一輪だけ残った青。

 どうしてもあの綺麗な白い瞳は忘れられない。

 ――レイは少し違う。
 紅が差してそれもそれで綺麗だが……。

 思い出の少年とは少々違う。
 あの少年の瞳孔は薄い青だった。
 しかし、銀髪なんてバリストン家くらいのもの。または侵入者。

(確かめる価値はあるだろうか)

 イヤリングを撫でる。

 いや、私が選んだのだ。
 いつでも確かめる余地はある。

(最初は気まぐれだった婚約も間違いではなかったかもしれない)

 指の灯が風に当たり小さく撥ねた。
 そのまま消すつもりだったが、――もう少しだけ。

「また会いに来てくれ、レイ」

 一輪だけ残ったルミナリアの蒼が再び赤になるまで私は眺めていた。

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