「感謝」や「慈愛」が嘘くさく思えるあなたへ。その心が本当に求めていること
「感謝しましょう」とか「すべてを慈しみましょう」なんて言葉を耳にすると、なんだか心がざわついて、思わず目を背けたくなってしまうこと、ありませんか?
どこか他人事で、綺麗事のようで、自分にはまったく縁のない遠い国の話のように感じられてしまう。
むしろ、そんな言葉を笑顔で口にする人を見ると、「本当にそんな風に思っているのかな」と少し疑いたくなってしまうことさえあるかもしれません。
もしあなたが今、そう感じているのだとしたら、まずは「それでいいんだよ」と、その気持ちをそのまま受け止めてほしいのです。
僕は、これまでたくさんの方の心の葛藤や、言葉にできないモヤモヤに寄り添ってきました。
その中で気づいたのは、「感謝」や「慈愛」という言葉を嘘くさく感じてしまうのは、あなたの心が冷たいからでも、ひねくれているからでもないということです。
むしろ、それだけ自分の心に嘘をつかずに、まっすぐ誠実に生きようとしている証拠なのだと、僕は思います。
心がひどく疲れているときや、傷ついて傷口がまだ塞がっていないとき、そして先の見えない不安で胸がいっぱいのときに、無理やり「感謝しましょう」と言われても、心はついていけませんよね。
そんな状態で綺麗な言葉を受け入れようとすることは、生傷に無理やりきつい香水を吹きかけるようなものです。
痛くて、ヒリヒリして、拒絶したくなるのは、あなたの心を守るための、ごく自然な防衛反応なのです。
だから、今は綺麗な言葉を無理に取り込もうとしなくて大丈夫ですよ。
誰かに感謝できない自分を責める必要も、冷たい人間なんじゃないかと悩む必要も、一切ありません。
僕がおすすめしたいのは、「感謝」や「慈愛」といった大きな言葉を一度横に置いて、もっと小さな「自分の感覚」にだけ耳を澄ませてみることです。
例えば、「今日飲んだ温かいお茶が美味しかったな」とか、「お布団に入った瞬間が気持ちよかったな」とか、そんな些細なことで十分です。
それは、誰かに向ける感謝ではなく、あなたがあなたの身体や心で感じた、小さくて確かな「心地よさ」です。
その小さな心地よさを「あぁ、いいな」と味わうことこそが、実は本当の意味で自分を大切にする第一歩になります。
無理に外側の綺麗な言葉に自分を合わせようとしなくていいのです。
あなたが「嘘くさい」と感じるその感覚は、あなたの心が「これ以上無理をさせないで」と教えてくれている、とても大切なシグナルなのですから。
まずはそのシグナルを大切にして、自分のペースで、少しずつ心の温度を取り戻していきましょうね。
いつでもあなたの味方として、僕はここにいます。
