不正解は無意味を意味しない
2025年1月6日(月)朝の6:00になりました。
第4四半期の、はじまりはじまり。
どうも、高倉大希です。
不正解は、無意味を意味しない。
魚豊先生の『チ。』に登場する、フベルトの台詞です。
この乗り方だと、転ぶのね。
この乗り方でも、転ぶのね。
こうして多くの人々は、自転車に乗れるようになるわけです。
わたしたちは、フベルトの言葉の意味をじつはよく知っています。
居間のどこかに置き忘れた財布を試行錯誤で捜す場合、同じ場所を2回捜さない理性が必要だ。(中略)自分の捜しているものが正確にわかっている状況では、試行錯誤のたびに成功に近づくことになる。つまり、間違いを犯すたびに、捜すべき場所がすこしずつわかってくるわけだ。
経験を積み重ねると、正解することが上手になると思われがちです。
正確に言うならば上手になるのはきっと、不正解の仕方です。
いかに不正解を叩き出したら、最速で正解に辿り着くことができるのか。
そんな嗅覚が、冴え渡ってくるのです。
はじまりは、いつだって不正解です。
そんな事実を忘れると、不正解を恥じるようになってしまいます。
社内のディスカッションで、ピントのずれた仮説を提示し、恥をかいてしまうと問題になることもあるだろう。だが社内のディスカッションならば大いに恥をかいたり、失敗したりしてもいい。「社内の恥はかき捨て」と思えば、思いつきレベルの仮説を提示することもできる。
こう思っていたけど、実際はこうだった。
このような仮説と結果の間に、発見が生まれます。
重要なのは、結果ではありません。
結果を迎える前に、仮説をもっておくことです。
思い切った仮説であるほど、得られる発見は大きくなります。
仮説なんて、極端なくらいでよいのだろうなと思います。
あとで結果を見た時、自分の判断が当たっているかどうかがわかることが重要で、とにかくそういうことを繰り返す。なぜそう思ったかということについては、あとで考えればいい。とりあえず中途半端なポジションではなく、極端なポジションを取り、それをできるだけ口に出すようにしているんです。
一生懸命、矢を放つ。
的の位置はわからないけれど、当たっていないことはよくわかる。
あまりにも外すものだから、逆に的の輪郭が浮き彫りになっていく。
ここまできてようやく、的を狙って矢を放つことができるようになる。
ここ数年を振り返ると、こんな感じだったなと思います。
いやはや、不正解の精度を上げていかねばなりません。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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