睡眠に懸けたヒト【ショートショート3日目】
睡眠学習——それは、レム睡眠中の脳の活動を利用して知識を定着させる、いまなお研究段階にある学習手法である。
それに、人生を捧げた人間がいた。
羽沢零、大学二年生。実験的に睡眠学習を取り入れている大学に通っている。睡眠学習に興味をもって、零はこの大学への入学を決めたようなものだ。何でも零は、高校の時であった天才のことを知りたかったのだ。家で勉強をしているということでもなく、授業中は居眠り。でもテストの点はいつも一位で、零はずっと二位だった。零は、天才の天才たる所以は睡眠にあるのではないかと考えた。だから零は医学部睡眠科のある大学に入った。科の選択ができるのは三年生からで、今は教養科で学んでいる。
ある日、零は睡眠科の教授に呼び出された。
「急に呼び出したりしてすまなかったね、私は睡眠科教授の佐々木だ」
「よろしくお願いします。僕、睡眠科希望なんです」
「それはいい!実は、睡眠学習を実施している授業のデータで、君が睡眠学習のセンスがあるという結果が出でいるんだ」
「えっ僕がですか」
「そう、君さえよければ、大学の授業は全て睡眠学習、家用にも早送り可能な音声装置を渡すから、実験をさせてくれないか」
「もちろん、やらせていただきたいです」
「ただ、睡眠学習以外で学習をしないよう、家にはモニターを設置させてもらう。他の場所でも、睡眠学習以外はしないようにしてほしい」
少し迷ったが、零は快諾した。これで、一番になれるかもしれない。可能性があるなら、懸けたい。
「わかりました」
翌日、零の家にはモニターが設置された。起きた状態での勉強以外であれば何をしていても問題ないとのことだったが、零は音声を十倍速の限界値にして寝続けた。一年が経ち、友達からの誘いもなくなり、彼女からも別れを告げられた。零はそれでもいいと思っていた。一番になれるのなら。
ある日、ニュースがこう告げた。
「AIが、シンギュラリティを達成しました」
ニュースは淡々と続けた。
「AIは、学習において人間の脳を完全に凌駕する能力を手に入れました。なお、この成果は、日本のある大学における“睡眠学習”の実験データをもとに構築されたものであることがわかっています」
零は、ぼんやりとモニター越しのニュースキャスターの言葉を聞いていた。
冷めたカップラーメンが、机の上で沈黙している。
「その実験データの提供者については、公表されていません」
零は、静かに立ち上がった。
壁の一角には、自分の睡眠記録と学習データが表示されている端末。
数値は完璧だった。脳波も記憶定着率も、他の誰よりも高い。
でも、零には彼女がいない。友達もいない。
そして今、自分の脳のコピーがAIとなり、知識の世界を終わらせた。
勝ったはずだった。
…勝てるはずだった。
でもAIによって知識の持つ価値が急激に下がった今、本当に一番になれたといえるのだろうか。
AIは一日中、しかも10倍速どころではない速さで学習ができる。
でも、誰かを好きにはならない。喪失も、後悔も、味わわない。
零は、イヤホンを外した。
一年間ずっと側にあった音声教材の端末を、静かに閉じた。
そして、ひとりごとのように言った。
「……僕は、人間だ」
部屋の中で、ただひとつ、冷蔵庫の音だけが響いていた。
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