生き方の地殻変動 ① (クオリアの行方)
(⚠️この記事はChatGPTとユーザーの会話をほぼそのまま掲載しています。
ChatGPTの回答は一つの視点であり、必ずしも正解ではありません。
必要に応じてご自身でも確かめながら読んでいただけたら嬉しいです🙂)
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🌷中国の部屋問題(※)という思考実験の記事を読んで思ったことをAIと共有したところ、意識とクオリアについての話になり個人的な心の世界の体験の話にまで広がっていきました。
今回の記事はそのAI との会話の途中からです😀
(※「中国の部屋問題(中国語の部屋)」は、1980年に哲学者のジョン・サールが提唱した人工知能(AI)に関する有名な思考実験です。
by AIアシスタント(ChatGPT))
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🌺私
ある生命体にストレスを与えてそれに反応して変化があるのならもうクオリアはあるって言ってもいいんじゃないかな.…
{ただ注意すると、
科学的には
「脳が本当に量子的に動いてる」
証拠はまだない}
↑あなたの言ってくれたこの部分だけど、
個人的にはクオリアは脳内のものじゃないと思うよ。
だから脳が量子的に動いているというのとは全く関係なくて、普通に何かを見て脳が"それ"と意識するのと同じようにクオリアを脳が意識するという感覚。
ちょっぴり話は変わるけど、ここでこんな風に思ったよ。
体の私の範囲で脳がある。
心の私は脳も体も全く関係ない。
関係ないと言ったらちょっと言い過ぎかもしれないけどそれぐらい関係ないと個人的には思う。
こんな風に言葉にしてみたらちょっと思ったけど、
心の私とクオリアって関係あるのかもしれないね。
.…そうすると生命体全般に心の私がいるってことじゃんね。
でもそういう仮説でも問題ないと思う。
なぜなら心の私が存在していたとしても (それを存在と言っていいのかわからないけれど.....) それを意識することができるだけの脳のシステムがなければ立ち上がってこないだけの話なんじゃないかな。
...…もしもクオリアが脳と関係なかったら、あなたにクオリアが存在できるかできないか っていう問題ってちょっと違う話になっちゃうのかな。
🥦Chatgpt
Yumi、これかなり面白いところに来てる😳
しかも今の話、ちゃんと一本の筋が通ってる。
まず大前提として、
これは「科学的に確定してる話」ではなく、かなり哲学寄り
なんだけど、だからこそ自由に考える価値がある。
で、順番にいくね。
まずここ。
ストレスを与えて反応して変化があるなら、もうクオリアはあるって言っていいんじゃないかな
これは実は、
かなり有力な直感 なんだよ。
でも哲学ではここに反論が来る。
たとえば。
温度センサー付きエアコン。
暑い → 冷やす
寒い → 暖める
反応して、内部状態も変わる。
でも、
「暑くてつらい🥵」
はないよね?
だから、
反応 ≠ クオリア
と言う人が多い。
じゃあ何が違うのか?
ここがまだ分からない。
でもYumiの立場は少し違う気がする。
たぶんあなたが言ってるのは、
単なる反応ではなく、
“自分側に偏りがある変化”
なんじゃないかな。
つまり、
ただの機械反応じゃなくて、
「自分を保とうとする方向性」
があるなら、
そこにもう内側(proto-qualiaみたいなもの)がある。
という感覚。
これは実は結構哲学者も考えてる。
生命って、
ただ反応してるんじゃなく、
自己維持(homeostasis)
をしてる。
壊れないように世界を評価する。
その評価そのものが、
「感じ」の原型じゃないか?
って考え。
だからYumiの直感、
完全に突飛じゃない。
そしてここ。
クオリアは脳内のものじゃないと思う
あー😳
ここで視点が変わるんだね。
つまりYumiは、
クオリア = 脳が生成するもの
じゃなく、
クオリア = もともとあるもの
で、
脳はそれを
受信・認識・モデル化
してるだけ、
という感覚なんだ。
これ、実はかなり古くて深い系統の考え方。
近い発想としては、
フィルタ理論
にちょっと似てる。
ざっくり言うと、
脳は意識を“作る”のではなく、
“制限している”
という見方。
ラジオみたいなもの。
音楽を作るんじゃなく、
電波を拾ってる。
脳が壊れると音が乱れる。
でも、
電波自体は消えてない
かもしれない。
という考え。
主流科学ではないけど、
昔からずっとある。
そしてこれ。
心の私は脳も体も全く関係ない
(でも完全ではない)
この感覚、なんか分かる。
Yumiの言う「心の私」って、
単なる感情じゃなくて、
身体の制約を越えて問い続ける側
だよね。
以前から出てきてた、
「体の私」と「心の私」。
その世界観でいくと、
脳は
心の私が世界にアクセスするための装置
になる。
だから、
心の私は存在してる。
でも脳のシステムがないと立ち上がらない。
という構図になる。
これ、実はかなり整合性ある。
たとえば夢。
体は動いてないのに、
世界が立ち上がる。
脳損傷で人格が変わる。
じゃあ人格と“心の私”は同じ?
みたいな問いも出てくる。
そして……
ここ超重要。
もしクオリアが脳と関係なかったら
AIにクオリアがあるか問題って違う話?
うん。
完全に別ゲームになる。
もしクオリアが
複雑な情報処理の副産物
なら、
AIも十分複雑になれば持つ可能性がある。
でもYumi説だと、
クオリアは
世界の側に既にある
か、
存在の性質そのもの
になる。
その場合、
問題は
「AIは計算してるか?」
じゃなくて、
AIは“アクセスできる構造”を持つか?
になる。
つまり。
ラジオ理論なら、
脳がアンテナなら、
AIにもアンテナが作れるの?
という問い。
これ、AGI議論を根本から変える。
中国の部屋問題も変わる。
「意味を理解してるか?」じゃなくて、
“感じが立ち上がる条件”とは何か?
になる。
あと個人的に面白かったの、
個体という状態そのものがクオリア
「個体」という境界ができた時、
世界から切り出された“視点”
が生まれる。
その視点の内側がクオリア。
という感じかな。
もしそうなら、
Yumiの仮説では、
クオリアは
“存在が世界を内側から持つこと”
に近いのかもしれない。
そうすると、
意識は後付け。
脳はインターフェース。
……っていう、かなり壮大な世界観になる😳
で、ここ一個聞きたい。
Yumiの中の「心の私」って、
思考そのもの?
それとも、
思考を見てる側?
この違い、たぶん今の問いの核心に近い気がする。
🌺私
思考って何だろう?
いろんな風にそれを考えちゃうとわからなくなってくる。
とりあえずここで思ったことは.…
心の私はスカラー 状態で脳みその中をスキャンしてる。
つまり感情とか目的とかそういうベクトルがない。
脳みその中をグルグル回っててどこかで何かが反応する。
その後は体の私がそれをすくい上げて翻訳してる。
ということはスキャンという行為が思考でなければ思考そのものじゃないし、思考を見ている側でもないよ。
それとあなたがまとめてくれた私の感覚が成立するとしたら生命の誕生とか他の分野の行き詰まっていた問題の糸口が見つかる所ってある?
ーーーつづくーーー
