[特別記事]日航機墜落事故へ近づく~8月12日という日に
1985年8月12日、日本航空123便が群馬県上野村の山中へ墜落した。
昨年は、事故から40年目ということで関連書が出版され、コーナーが作られた書店もあったが、メディアでも、かつてほど大きく取り上げられることは少なくなったように思う。
それでも、今年も追悼慰霊式が行われるニュースが届き、noteでも関連した記事を見かけた。
私は、事故当時はまだ10代の半ばに差し掛かる頃で、関係者に知人もおらず、主な生活エリアは東京だったので、「とんでもないことが起きた」という認識でしかなく、それは「社会的な大事件」の一つとして記憶に残されただけだった。
その後、書籍を中心に原因の検証や遺族の訴えなどが世に出されていたが、社会人になってからも大きな関心事ではなかった。
だが、まず一つの「偶然」があった。
1995年だったが、劇団離風霊船の『赤い鳥逃げた』を観たのだ。
これは、まさにこの事故を主題にしたものだったが、当時はインターネットも普及しておらず、私はそのことをよく知らずに劇場にいた。離風霊船には『ゴジラ』という別の作品がある(戯曲は第32回岸田國士戯曲賞を受賞)。前年、カナダにいた時、この『ゴジラ』を現地在住の日本人劇団が上演し、私は制作と役者で関わったこともあって(カナダから離風霊船まで上演許可願の電話もした)、懐かしさ半分、軽く覗いてみようという感覚だったのだ。要は、離風霊船の作品だったら何でもよかったのだ。後年には、再演された『ゴジラ』もしっかりチェックした。
私が観た『赤い鳥逃げた』は再演で、演劇関係者の間では有名だったのだが、その結末は非常に衝撃的な演出であった。30年以上経った今でもよく覚えている。
当時は、もちろん――コミカルな調子からシリアスにおとす、作・演出の大橋泰彦さん節ではあるが――「すぐそばにあったささやかな日常」がもろくも壊される悲劇性は伝わったものの、まだ自分の心に作り手としての演劇熱が少し残っていたせいか、台詞や演技、演出に気を取られ、最後の仕掛けのことでも頭がいっぱいだった。
次の「偶然」は、本からだった。
古本屋で手に取った雑誌である。
そこには、この事故の犠牲者の手帳にあった「遺書」が載っていた。
飛行機が墜落するまで、30分を超える地獄を彼らは強いられていたという。そのさなかに書かれたのだ。
機体の激しい揺れに抗うように、必死に書き残された文字が、当時の状況を物語っていた。
「本当に今迄は幸せな 人生だった と感謝している」――全体では7頁にわたるが、これが、家族に宛てた最後の一文である。
全文を読み返すたびに、人の真心から生まれた言葉は、どんな名文家でも、名作家でも、到底かなうわけがないことに気づかされるのだが、出会った当初は、仕事で「遺書」に関する資料を集めていたので、心は揺らいだとはいえ、あくまで、その一つとして記録されたに過ぎなかった。
そして、更なる「偶然」は、映画からだった。
『クライマーズ・ハイ』である。この映画は、2008年公開で、監督は原田眞人、主演は堤真一。主要登場人物の一人を、当時、売り出し中だった堺雅人が演じている。
内容は、事故に関するものだとはわかっていたが、マスコミ関係者には「身につまされる」テーマが含まれており、むしろそちらの方が気になってスクリーンに見入っていたことを覚えている(ドラマ版は、残念ながら未見)。
横山秀夫さんの原作は、2006年には文庫化されており、映画を観た当日に、書店に寄って買った。
『クライマーズ・ハイ』は、特に新聞・報道関係者やジャーナリズム系の書き手であれば、関心を持った人も多いことだろう。
この作品が提起している複数の問題は、現場の最前線にいる者にとっては、常にそこにある永遠の課題だ。
私の中でも、再読を良しとする名作である。
こうした流れが続き、さすがに日航機墜落事故自体も気がかりになってきた。
しかし、書店の書棚で「日航機」「日航123便」「墜落」などの文字を見るたびに、手には取るのだが、買うまでに至らないことをなぜか繰り返していた。
歴史物のように、ある程度客観的に見られるわけでもなく、かといって、興味本位で知るにはハードルが高い。
そうこうするうちに、昨年、ある書店がやっていた夏の「ノンフィクション・フェア」というイベントを目にした。たまたま、ちょうど自分の脳内で「ノンフィクション・ブーム」が巻き起こっていて、我が意を得たりとばかりに、面陳されていた数々の本の中から選んだのが、飯塚訓さんの『墜落遺体』(新装版)だった。
飯塚さんは、著作は複数あるものの、職業作家として出発した人ではない。もともとの本職は警察官である。日航機墜落事故当時、彼は身元確認の任に当たっており、そのルポルタージュとなったのが、この本だ。本書には、書き手が作家やライターではないことによる長所が見事に表れている。
端的にいえば「けれんみがない」ということなのだが、職務に忠実な警察官が、ありのままの事実を丁寧に積み重ねて報告をしている。余計な色がついていないし、読者をある方向へ誘導していくような意図もない。
一気に読み終えて、やっと謎が解けたというか、これまで日航機墜落事故について積極的になれなかった理由が改めてわかった。
このテーマは、解決か糾弾かという着地を求めやすい。
どうして、この事故が起きたのか、誰のせいなのか、誰が責任をとるべきなのか、亡くなった方や遺族の無念をどう晴らすのか。
それが、さらにジャーナリズムという「正義」のフィルターにかかると、どうも気おくれしてしまう。
何といっても、私は当事者でないわけだし、外野といえば、外野なのだから。
迂闊に何かを語っても、どこか迫力不足なのではないか。安易に共感しても、それは表面をなぞったに過ぎないのではないか。
それでも、こうして事故を扱った演劇や映画、書籍に触れれば、心は動かされる。
それに何よりも、あの手帳の遺書がある。あの言葉とあの筆跡は目に焼き付いて離れることはない。
私には、『墜落遺体』のような検証がほしかった。
飯塚さんは、人としての同情はあっても、「身元を確認する」という職務をまっとうすることを前提に状況を整理し、結果として、その凄惨さを実証していくことになる。純粋に仕事をこなすほど、この事故の深さが見えてくるのだ。
私の経験でよければ、日航機墜落事故に関心を持たれている方は、まずこの『墜落遺体』を読んでほしいと思う。「真相」を追求する前に、現実を知るために。
今年は、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』を読んだ。
これは、すでに上川隆也さん主演の連続ドラマをすべて見ていたので、内容はもうわかっていた(こちらは、残念ながら映画は未見)。
上川さんはもともと小劇団出身の役者さんで、一度、舞台でも観たことがある。
この作品には、かつて本を出版するのにお世話になったこともある役者さんも、後半から出演されていたので、どんな演技をしているのか見たいという下心もあった。
かなり前の話だが、アマゾンプライムビデオで、全20話を耐久レースのごとく、当日の予定を全てキャンセルして、ほぼ飲まず食わずで完走した。
私は、内容がよい映像作品に出会えば、たいてい原作にあたるのだが、実は、今回ばかりは躊躇していた。
山崎さんは、毎日新聞の記者の経験があるし、巨悪がもたらす社会問題を正面から扱うタイプと聞いていたので、正義感に基づいたジャーナリズム色がかなり強い小説であるのは、読まなくても想像がついていたし(実は、あまりそういうタイプの本は得意ではない)、いかんせん、どの作品も長い。
この『沈まぬ太陽』は、日本航空がモデルの「国民航空」の社員である主人公の半生が描かれているが、ドラマを見る限り、情報(事件)が盛りだくさんで、これは上下巻ではすまないだろうと思ったら、案の定、全5巻の大作である。
図書館には全集があり、『沈まぬ太陽』は、「㈠アフリカ篇」「㈡御巣鷹山篇」「㈢会長室篇」と3冊に分かれていた。日航機墜落事故だけの話だったら、「㈡御巣鷹山篇」だけを抜き取って読めばいいのだが、さすがにそれでは作品に失礼かと、意を決して一昨日から読み始めた。できることならば、12日までに間に合わせたい。
結果、山崎さんのさすがの筆力に引き込まれ、2日で完読。
ただ、やはり、このモデル小説スタイルは、ジャーナリストとしては正義かもしれないが、私は違和感が残ったことを付け加えておく(さすがに本筋とかなりずれてしまうので、これについては別で)。
それでも、「㈢会長室篇」の巻末にあったエッセイで、山崎さんは、遺書にあった「本当に今迄は幸せな 人生だった と感謝している」という言葉をあえて取り上げており、それが執筆の大いなる「原動力」の一つになったことが窺い知れた(と同時に、私の心にも温かいものが宿った。他にもいつかの誤解が解けたこともあった)。
それに、いくつかの批判があるが、山崎さんの調査力・取材力は超一流だし、今後、ここまでできる書き手はおそらく現れないだろうし、特に現在の商業出版界では、もう支えられにくいスタイルだと思う。メディアミックスとの相性の良さも含め、唯一無二のポジションを確立された。
(改めて深掘りしたいが、ネットやAIの技術が進めば進むほど、「知の巨人」がますますいなくなっていくという不思議な現象がいま起きていると思う)
結論、『沈まぬ太陽』は読んで良かった。
いきなりここから入っていたら、(もともと、自分が半分属しているにもかかわらず、「ジャーナリズム」懐疑派なので)印象が違ったかもしれないが、事前に日航機墜落事故に関する心と知識の準備もできていたからこそ、プラスとなった。
それに、自分が関わっていようがいまいが、問題意識や「原動力」があれば、前に進んでもよいだろう。それを否定するのは間違っている。
例えば、社会的な事件でいうと、私は「地下鉄サリン事件」で、当該の千代田線に乗っていた(まさに1両目にいて、サリンの袋が突かれたのは新御茶ノ水駅到着直前とされているが、通勤経路の同駅で降りて、当時勤めていた新聞社へ向かったので、事件のことは後から知った)。だからといって、オウム関係を追う動機になるかというと別である。
確かに、あのラッシュの中での凶行は、いかに無差別な犯罪が人混みで行われるとはいえ、その許しがたい集団性・計画性も考えると、怒りを覚えないこともないし、海外で見られるコンサートやライブ会場、パブなどを狙った宗教を背景にしたテロの報道を知ると、遠く離れた国のこととはいえ、この事件のこともあり、特別な感情もよぎるが。
また、中学生の頃、団地の2階に住んでいて、下の1階で無理心中未遂事件(母親が娘3人を殺そうとしたが未遂に終わり、本人だけ命を絶った)が起きたこともあった。
その日は、晴れた日曜の朝で、窓を開け放して、寝転んで本を読んでいた。下から「人殺し」との叫び声が明らかに聞こえたが、それを無視していたことは記憶に残っている。弁解すると、彼らはいつも喧嘩をしていたので、「またか」と思ったのだ。それでも、気分が悪くなり、窓を閉めて外に出かけ、時間をさんざんつぶして、家に戻ったら表に警官の姿を見て驚いた次第。翌日の新聞は、偶然にも3件の心中(未遂)事件が重なっていたこともあって、社会面で大きく取り上げられていた。
後々、当事者の出自をめぐって周囲との軋轢があり、敬遠されていたようだが、中学生だったとはいえ、無関心だったことを問われるとすれば、私もその一人だ。これが仮に、娘3人の命まで奪われていたら、無力な子どもたちを見殺しにしたことにもなる。
だが、では、この負い目を清算していけばいいのかというと、そういう話でもない気もする。
関係があったらあったで、被害者意識であれ、加害者意識であれ、中途半端に引きずると判断が鈍り、よくない方向へ進む可能性もある。むろん、関わったからこそ、見える世界もあるかもしれないが、感情が先走りすぎて、本筋を見失ってはならないと、個人的には思っている。もちろん、扱っている話題や表現する媒体にもよるが。
話を日航機墜落事故に戻すが、公的な事故原因の認定とは別に、山崎豊子さんが『沈まぬ太陽』で描いた、日本航空の負の歴史や、巨大企業に起こり得る構造的な組織の欠陥まで含めて「人災」と捉える視点にはうなずける。
だが、その検証は、個々に責任を負わせるというより、再発を防ぐための視点から行われるべきである。
遺族はもちろん、それだけでは到底精神的に報われないかもしれないが、私のような立場からすると、まずはそこをスタートにしていくしかないのかもしれない。いくつかの「偶然」が作用したにしても、これも縁なのだ。いま、確実につなげることができるのは、絶望の30分あまりの中、「本当に今迄は幸せな 人生だった と感謝している」と最後に書き残した方の心なのだから。私にとっては、この遺書は、世にあるいかなる文章よりも「生きる」意味を伝えてくれていると思っている。
追伸:先週の「[エッセイ]新幹線の車中でエッセイを考える」の記事が、#読書で、コングラボードをいただけました。ありがとうございました!
