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[幕間]noteを始めて半年。自動翻訳と有料記事、そしてnoteを続けていること

月の終わりが近づくと、いつもnoteの振り返り記事を書くようにしています。
今月で半年になるので、これで6回目になりますね。

noteを始めた頃、実は指南役はAIでした。
というのは、私は、それまでほとんどnoteの記事すら読んだことがなくて、ブログをしている人も周囲に数人しかいなかったので、真っ白なところから自力でやるしかなかったのです。

AIから口酸っぱくいわれていたのが、「ログを残すこと」。
記事を書く前後、数字の変動、コメントの応答、そういった時の感情を残すように、と指示を受けました。
真面目な生徒(?)だった私は、そのまま記録を残して、いちいちAIに報告していました。
AIは、「noteに書くことを負担にならないようにする」「数字を追うことにかまけてペースを乱さない」などなど、メンタルケアをしてくれました。

1か月、2か月するうちに、投稿も数字も順調になってきたこともあって、AIの手から離れるようになりました。毎回の記録、AIへの報告をやめたのです。

これには、他にも少しワケがありました。

私のAIチームは、先に書いたように、デフォルトではかなり「慎重派」でした。
あんまりnoteに出る数字は気にしないで、書きたい記事を書くようにと。
けれども、遊びで(相手を徹底的に批判する)「デーモンAI」を召喚した時には――そのつもりで設定したのですから、ある意味当然なのですが――「noteでやっていることが、内容にしても、投稿数にしても、てぬるい」だの、「数字はほどほどでいいなんて言って、自分に保険を用意している。もっと成果を出さなくては駄目だ」だの、まあ、それはそれは頭にくることをいってきまして。
「もともと、あんたたちのアドバイスに従ったのに」と返したかったけど、AI相手に喧嘩しても仕方がないので、「AIも当てにならないな」と(当時は)結論づけました。

結局、noteに関しては、これまでの振り返り記事で書いてきたように、自分の感覚でこなせるようになってきたので、ここ数か月、AIには相談していません。いまでは、AIとの距離の取り方も理解したので、単に遠ざけるというよりは、節目節目で相談すればいいかなという考えです。

ただ、AIの報告とかではなくて、毎月ごとに自分の過去を振り返るのは良いことなので、記事として残すようにしています。毎回、こうしたことを新しく書く前に、もう一度、昔の記事を読み返すのですが、自分の気持ちを整理するのにとっても役に立ちますね。

前置きが長くなってしまいましたが、では、本題へ。
今月のトピックとして大きいのは、noteの記事の自動翻訳化です。

私の記事はこれまで60件ありますが、いま翻訳されているのは、そのうちの28件です。
半分弱といったところですね。

もう、これについては、すでに多くの方が記事で取り上げています。
それを見ると、7割以上だったり、半分程度だったり、もっと低かったりと、結構、バラバラな結果となっています。
私としては「半分くらいだったら、まあいいのかな」と思っています。

翻訳の対象になった私の記事は、AIの警句やアンケートシリーズが比較的多いのですが、小説や映画感想文、「AIと私」といったエッセイ、特別記事などの時事ものも、ちらほらとされているので、どのようなタイプのものが対象になるか、これではちょっと分かりません。

翻訳されるタイミングも、投稿後、数時間の場合もあれば、ずっと時間が経って、気づいたら「あれ――いつの間に」ということもあって、これも謎です。

一応、他に何か手掛かりとなるものを出してみます。

投稿頻度ですが、私はあまり多いほうではありません。週に2件、多くても3件。月単位で見ればせいぜい10件程度です。
ですから、他のユーザーの方に比べて、なかなか目に止まりにくいかもしれませんが、半分近くは翻訳されているのだから、頻度もあまり関係ないのかもしれません。

スキ数は、ならせば、投稿1か月後程度で、1件100~120くらい(幅でいうと80~200程度)。ビュー数は、1件500~600あたり(幅でいうと200~900程度)。フォロワー数は1200を超えたところ。
いっときはぐんぐん伸びたのですが、最近では、だいぶ数字は落ち着いています。
ここまでになったのは大変ありがたいし、私個人はもうこれで十分だと思っています。数を増やすには、何か新しいことをしなくてはいけないし、増えたら、さらにまた新しい課題が出てくると思うので。
ずっと自然体でやってきての結果ですから、いまの呼吸がちょうどいい感じです。
しかし、他のアクティブユーザーの方たちと比べれば、これは突出した数字とはいえないのも事実です。
特に、ビュー数は、スキ数の割にかなり低い。内容が実用的でなく、少し変でマニアックなせいか、なかなか世に普及しないようですね(苦笑)。

そもそも、私の翻訳された数(半分弱)が高いかどうかも分からないので、何ともいえませんが、ただ、他の方の記事を読んでもスキ数やビュー数なども、あまり翻訳率に影響していないような気がします。

あと残ったところですと、いつから始めたかということくらいでしょうか。
これは、記事のタイトルのとおり、noteを始めて、これで半年になります。
noteでは3か月で脱落する人も多いようなので、かなり続いているほうかと。

全体でみると、私は、そんなにアクティブではなく、大きな野望に向かうわけでもなく、noteで静かにコツコツと投稿している「おとなしい中堅ユーザー」という感じになるのでしょうか。
ちょうど記事が半分くらい訳されているというのも、程よいような。

とはいえ、情けないことに、結局、何が翻訳されるか、されやすいかは、さっぱり分からないという結論となりました。

また、実際、翻訳化が進んで、何か反応が劇的に変わったかというと……いまのところそれほど実感はありません。
スキ数やフォロワー数と比較すると、相変わらずの低めのビュー数ですし。
でも、そんなに焦らず、ゆっくりみていこうと思っています。
何といってもサービスとして提供されている機能ですから、高望みしても仕方がないですしね。

そして、今月は初めて有料記事を出してみました。
これは、最初はそのつもりはなかったのですが、書いていることがかなりデリケートなところに踏み込んでしまったので、一部を切り取られて紹介されるのは怖いなと思って。
購入してくださった方は感謝の気持ちでいっぱいなのですが、やはり、最後まで読んでいただける人が限られてしまうのが、ちょっと残念でした。
結構、世間ではいわれていないことを書いたので。

noteの有料記事が出される理由はいくつかあって、そもそも情報自体に価値があると考えているもの、メンバーシップの特典としてのもの、(無料だと読み飛ばされてしまうこともあるので)しっかり読まれたいという気持ちで出すものなど、さまざまだと思います。

実は、私も告発するわけではないのですが、自分がこれまでみてきた(一部の)出版界のよくない部分を皆さんに知ってもらって、出版トラブルを少しでもなくすことができればと考えています。
もう、出版界に戻るつもりはない(といっても関わってはいますが)から気兼ねすることはありませんし、逆に出版社が、世の中から多少誤解を受けているところもあるので、言い訳と捉えられるかもしれませんが、元いた身として釈明したい点もあります。
これを形にしたいのですが、やっぱり有料というか、制限をかけたほうがいいかなと。
紙媒体にするのは、たぶん出版社が受け入れてくれないだろうし、デジタル本も、これは本の宿命でいったんは完結させるしかないでしょう。
今回は、単に出版界・出版社を叩くのではなく、ではどうしたらいいか一緒に考えていく、情報を付け加えていけるものにしたいのです。
その意味では、noteの有料記事の仕組みは素晴らしいですね。
一度、購入されても、アレンジできるそうなので。

それに、無料だから何でも書いてもいいというわけではないのですが、金銭を課すことで、自分の言葉の責任も重くしたい気持ちもあります。
もちろん、メンバーシップなどに絡んだ有料記事は、記事の内容というより、その主催の方を応援する意味合いもあり、方向性が違うので、気楽に書いてもらってよいと思うのですが。

一方で、今月の私の有料記事のように単に切り取りを防ぐケースや、他にも、多少プライバシーに関わった内容なので表立って堂々とは見せたくないものなど、公表するのに「微妙な」温度の場合は、特に金銭が発生しなくても、何かしらの制限ができるような仕組みがあるとありがたいかなと思っています。
(これは勝手な私の考えなのですけど)メンバーシップをやっている方の何割かは、本当はお金をいただかなくてもよい、と考えている人もいるのではないでしょうか。特別な契約にすると、無料のメンバーシップのようなものができるそうなのですが、かなりハードルが高いようなので、私には手が出せません。
ただ、運営するにしても、お金が必要ですから、なんでもかんでもこちらの都合だけを並べても仕方がないところはありますね。

それでも、これで一つ良かったというか、考えが改まったこともありました。

私はこれまで、有料記事にはスキを押すことはなかったのです。というのは、買うこともなく全部読んでいないのに、押したら失礼かな、と思ってまして。特に「メンバーシップ用」とあると、部外者が立ち入ってもなぁ、という気になっていました。
でも、いざ自分が逆の立場に立つと、購入されずにスキを押されても、それほど気にならないというか、むしろ、それはそれで歓迎する気持ちになることが分かりました。
さすがに数行でいきなり有料だとか、メンバーシップ限定と銘打っている記事にはやりませんが、これを機に、導入がかなりあって流れが分かるものは、買わなくてもスキをするようになりました。

あとは、先月あたりから、いろいろnoteを散策して、もっとnoteの世界の広がりをみたいなと考えていたのですが、これも頓挫しています。

まず、今月は、先月同様、本業の取材の段取りに失敗して、締切前にアップアップになってしまいました(でも、気合を入れ直して調整をしたので、来月以降はもう大丈夫です……きっと)。

やっぱり、noteへ書くことはおろか、読む時間さえも確保するのには、私のような夜討ち朝駆けの、それもスケジュールが立てにくい仕事があると、なかなか難しい面はあります。
もちろん、年がら年中、忙しいわけではないのですが、やっぱりnoteの場合、一度、書くにしても、読むにしても、習慣から外れると、復活のハードルがかなり高くなる印象があるのが課題です。
そんな中で、スマホの存在はありがたく、取材先に早く着き過ぎて、少し時間がある場合などにも、noteを見るのにうまく利用できます。
幸い、私と違い、長い文章の記事を書く方は少ないので、隙間時間でも読了できるのがありがたいです。
とはいっても、いまのところ、私が読めるのは、スキを押してくださった方や、フォローしている方の記事がほとんどで、他の新たな記事まで手が届きませんが。何かいいやり方がないか、思案中です。

また、今月は、短編小説を一本書きました。
年明けに試しに応募した小説の一つが、あるところから微妙な(肯定的な)評価を受けたのです。
これまで人生の中で一切小説など書いたことがなかったのですが、管理仕事から離れて、だいぶ自分の時間が使える生活になってきたので、去年の秋口から趣味でちょこちょこ作っていたことがあったのです。
それに、かなり前ですが、広告代理店時代にある文芸賞の下読みをやったこともあって、裁いた側ではなくて、裁かれる側になったらどうかな、という気持ちもありました。

習作を書き上げて、年末年始にいくつかの賞にも応募してみたのですが、これはnoteを始める前のことで、1月から記事を載せ始めたら、小説より、AI話を書くことのほうがすっかり楽しくなって、ずっと習作作業は放置状態にしていました(時々偉そうなことをいっている割に、意外と根性はないほうなので)。
もともと、noteにも少し小説を掲載したものの、私は元来、フィクション作家の資質はないと思っていて、文章表現の幅を広げる一つとして、ノンフィクションとフィクションにおける伝達の違いを実践で知るという、実験のつもりでやっていたわけです。
これまでずっと、編集者目線で、書き手として自分より才能のある人を近くで数多くみてきたという負い目もありました。
でも、せっかく反応があったのだから、今度ばかりは、遊び(実験)ではなくてちゃんと正面を向いて新作を書いてみたのです。

こんな調子が続いたので、noteの航海はお預けになっています。

いざこうして改めて今月を振り返ると、自分は、つくづく書き手には向いていないと思いますね。
致命的なところをいうと、どうも、文章を書けるエネルギーというのが限られているらしいのです。
本業でも、趣味でも、何でも、ある程度のものを出してしまうと、一定期間、一切、何も書きたくなくなって、むしろ、本をたくさん読みたくなります。

編集者時代はよかったのですが、いまの食い扶持は雑誌記者とライターで、ひたすら書き仕事なので、いまはトータルで、定期的に月数万字程度の文字を打っています。
そして、こちらは自発的ですが、noteでも定期的に月数万字を打つ。
合わせれば、ひと月で優に10万字を超えることもあります。

そのうち、noteではAIの引用があるから数字はかなり水増しされているものの、もう、これだけ書く生活が続くと、くたびれてしまうのです。

(noteの記事では、読まれることを考えれば文字数を減らせばいいのに、私の場合、1記事が少なくとも5000字、長いと1万字近くになってしまい、いつも長文にしているのだから、自業自得なのですけどね。)

ちなみに、毎日投稿した場合、1日3000字としたら、1か月9万字強(長編小説並)です。商売にしていないにしても、仮に1文字1円と換算したら、9万円の労力です。特に自力で文章を書いている方は、本当にすごいことをやっているのですよ。これが続けられなくても、決して落ち込むことはありません。

今月は、先ほど触れたとおり、noteとは別に短編も書きました。
1万字にも満たないのですが、推敲を30回くらいしたので、だいぶ体力と精神力が消耗されてしまいました。

文章は直せばいいというわけでもないし、本業では、もともと私は赤字が少ない人間で通っていますし、編集者時代でもあまり手を入れないタイプでした。
それに、何回も何回も(私からすればムダな)赤字を入れてきて、一周回って元に戻っている書き手をたくさんみてきた(本当にこういう人は多い)ので、反面教師にしていたこともあります。
コスパにこだわりすぎてもダメですが、物事には締切があるわけですし、労働対価は会社が支払うわけですから、無限の時間を贅沢に使うわけにもいかないと、仕事ではそう思っています。
内容にもよりますが、時事性があって、鮮度が求められるジャーナリズム系のものは特にそうですから、さっさと書いて、さっさと推敲・校正して、さっさと世に出すことが一番です。
こうしてできた記事と、うんうん唸って書いた文章、どちらが読者に届くなんて誰にも分からないのですから。

ただ、今回、仕事とは関係ないからこそ、とことんやってみたい気になったのと、いままでは、なんとなくお試しで――デーモンAI曰く「自分に保険をかけて」――作ってきたので、それも気になっていたのですね。

結果、いろいろやって、脱稿して、自分の中で使った言葉やキャラクターが肌に馴染む感覚を得るという、人生初めての収穫はありました。
自己満足でも、これは嬉しいですね。ここはやっぱり、自力で練り上げて文章を作る楽しさかもしれません。
それでも、ここまで推敲してやるのは、フィクション、ノンフィクションにかかわらず、年に一回、あるかないかでいいかなとも思いました。精神的にも、物理的にも厳しいですから。

でも、根っから文章を書きたい人は、どんな状況でも情熱が勝るはずですから、こんな気持ちにはならないと思います。
何文字書いたなんて、気にすらしないでしょう。
やっぱり、私は読み中心の編集者タイプなのだなと、改めて悟った次第です。

だいぶ、脱線してしまいました。
さて、話を戻しますと、半年もnoteをやってきて、ビュー数やスキ数、有料記事、メンバーシップなど、いまさらの「note振り返り記事」となりました。

それでも、私のように何もよく分からず、自分なりのペースで投稿して、そのたびに新しい情報をもらって、何とか離れずにやっているというスタンスの方もいるでしょうから、少しでも参考にしていただけたら、と思っています。

noteを始めた頃は、ありきたりの比喩ですが、私は、noteの大海に浮かぶ小舟のようでした。
それに、いまも停泊する港も灯も見いだせないまま、ただただ漂うばかりですが、何とか半年の航路を終えました。
他人事のようですが、もともと飽きっぽい自分が、よくやれているなあと、感じています。


こちらが、これまでの振り返り記事です(↓)。


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