『自分が死んだら、誰か来るのかな』
過日お亡くなりになった美輪明宏さんが
『結婚は他人との修行🧘
独身は孤独との修行🧘♀️
自分がどちらなら耐えられるかで決めなさい』
と言う言葉を残しておられます。
こういう人らは四六時中誰かといたいわけじゃない。
出かける時だけ
飯の時だけ
旅行行く時だけとか
スポット的な孤独を埋めたいだけで、共同生活してストレス溜める方がよっぽど嫌なわけ。
結婚していても、友達といっても、家族といても孤独は消えない。
孤独は状況の問題じゃなく、存在そのものに張り付いているもの。
孤独を「消せる」と思い込むことの方が、孤独を苦しくしている。
女性の孤独は「話し相手がいない」で、男性の孤独は「性行為と世話してくれる人がいない」なので一生かみ合わない。
みんな、普通に生きようとしていた人たちだ。
ただ、少しずつ、誰とも繋がらなくなった。
自分の人生だけ、誰にも拾われなかった。
遺品整理を仕事にしていた男は、最後、自分の遺品を3ヶ月誰にも引き取りに来てもらえなかった。
老いるというのは、身体が弱ることだけじゃない。
人との繋がりが少しずつ減っていくことでもある。
孤独死の問題は、「死」そのものではない。
人生でたくさんの人を助けて、
たくさん感謝されて、
たくさんの人を知っていても、
最後の時間を一緒に過ごす人がいなくなることだ。
最後の数年、誰かへ本音を話せていたんだろうかって。
今の日本には、こういう人が増えてる気がする。
優しい人。
真面目な人。
人のために動く人。
孤独死の現場には、そういう人が少なくない。
空気を読むのが上手い人。
ちゃんと謝れる人。
相手を傷つけない言葉を選べる人。
でも、
自分の苦しみだけ、誰にも言えない。
大人になるほど、“社会用の言葉”ばかり増えていく。
本当に言いたいことは、少しずつ奥へ沈んでいく。
そのうち、助けを求めることすら、「迷惑」みたいに感じ始める。
本当に危険なのは、
「助けて」
と言う人じゃない。
「少し疲れた」
で止まってしまう人だ。
今の日本は高齢化が進んでいる。
長生きする人は増えている。
でも、人との関係は長く続かなくなっている。
連絡先はたくさんある。
SNSもある。
スマホもある。
それでも、
二週間連絡がなかったら心配して訪ねてくれる人は、案外いない。
人生の成功とは、
何人に知られることではなく、
自分が必要な時に、
何人が思い出してくれるかなんじゃないだろうか?
孤独死した特殊清掃業者はこう語った。
「汚染箇所の薬剤洗浄とオゾン燻蒸を実施しましたが、翌日、コレクションの買取業者様が査定に来られた際には「臭気が強く、買取は難しい」との判断に(暗に縁起が悪い、とも言える)
孤独死現場では、このようにご遺品の価値にも影響が出ることがあり、ご遺品整理の費用が高額になるケースもあります。
部屋いっぱいに並ぶ、故人様の「大切なコレクション」。
おそらく生涯をかけて集められたものですが、故人様は大好きなコレクションに囲まれながら、最期の時を迎えられたのかもしれません。
この仕事をしていると、時々、人生について深く考えさせられます」と特殊清掃や遺品整理の業者さんが呟いていた。
世の中の「リサイクルショップ」はこの不景気のご時世、結構な売り上げを計上している。
しかし、よく考えて欲しい。
先程上げた特殊清掃業者の申し上げた故人の遺品(コレクション)は、提携する廃棄業者が”処分名目”で引き取る。
その先は不明だ。
中には”小遣い稼ぎ”で「リサイクルショップ」に持ち込み、買値が付かなければ”遺品整理”という名目で「ヤフオク!」「メルカリ」で転売するだろう。
昔から「モノ」には所有者の「想いや情念」が宿りやすい。
「ブランド品が安いからお得!」と安易に手に取ると前所有者の運気も身につけることとなる。
私はそれを良く知っているので殆ど「リサイクルショップ」では身につける衣類は買わない。
例外は海外から輸入される「ミリタリーウエア」だけだ。
『「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」の漫画を読んでから、最近、グッズを売るか捨てるか、終活を始めてます。
【独身おじさんの末路はこうなるので.…】』とあるコレクターが反応していた。
独身40歳男性の終活を考えさせられる、少し切ない漫画だ。
パートナーや養育する「子供」もいなければ、その時間とお金は「人生の暇つぶし(孤独を埋めるアイテム)」に宛てられる可能性は高まる。

私は家電配送のバイトで、70歳以上の高齢者宅に家電量販店や通販番組の製品を配送しており、「モノを処分できず、先延ばしにしてきたツケ」を数多見てきた。
売ればいいじゃんとか言ってる人いるけど、亡くなった後に業者以外でそんな気力や余裕ない。
死んだ後の手続きや葬式や相続はどうするか?
とか、そして遺品整理もやるとなるとそんな時間はない。
仕事休めても1ヶ月。
家庭あれば休めない。
業者に頼めば最悪100万はかかる。
「自分が死ぬ」ことは逃れられない。
『これで安心して死ねます』
「どんなに科学やAIが発展しても、人は目に見えない力に祈りたくなることがあるでしょう。
心の拠りどころとなる神社は、この先も人々にとって必要だと信じています」
人ってのは病気療養中は案外人との触れ合いがあって、死は襲ってこない。
逆に「明日もやることがある」
”普段の日常”中に襲い掛かってくる、と自分は思う。
「死」から目を逸らして生きてきた者は全く準備をしていない。
ずっと「死」を考えず、”先延ばし”にして、これまで生きてきた。
日本人の悪い国民病だ(家電配送のバイトでゴミ屋敷を数多見てきている)
逆に海外の資産家の著書(ベストセラー)にはいずれも45~50歳までに全財産リストを作成、子どもへの遺産相続含めてかなり早い段階で準備完了している。
無論「コレクション」も60歳を境に信頼できる仲間に”形見分け”で譲るので遺された遺族が「粗大ごみ」同然で処分、散逸することがない。
しっかりと「後世へ遺産として継承させる」
唯一6か月の余命宣告を受け、その期間中に講義の段取りや執筆中の原稿を総て世に送り出し、コレクションのミニカーの行く末と自身の金融資産も早期に手放して息子に負担を描けない様に総て手を打った「森永卓郎」氏くらいなもの。
私の場合、49~52歳の間に「人生(所有物)の減捨離」と「人間関係の終い」を終えた。
後は身を軽くして、余生を世の中に恩返しにあてるだけだ。
ナニも恐れることはない。
