役割過負荷:水平線の海と猫
【#110_LIMINAL VOID —— Human Bug Report】
人は“役割”を持った瞬間から不安定になる。
社会は、ときに理由を与えない。若かりし時、何もしていないのに、かつて仕事をすべて外されたことがある。
何ら説明はなかった。一時的な左遷だった。
再教育と称して、自分の抱えるチームメンバーに経費を使い、海沿いの研修施設を借りた。かつてのゴルフ場を転用した場所だった。やることはなかった。
教育は外部に委託した。私は一週間、海を見ていた。
雲のない空。水平線に、タンカーが浮かんでいる。
止まっているようで、ゆっくり動いている。
そのとき、自分から役割が消えていた。
なぜか、少し軽かった。
こういう状態がある。
・誰とも会話しない時間が続く
・自分の名前を一度も使わない
・役割を思い出す必要がない
そのとき、少しだけ輪郭が曖昧になる。理由は分からない。
ただ、“自分が薄くなる感覚”だけがある。
「人間はどこまで人間でいられるか」。この問いには、ひとつ前提の誤りがある。人はこう信じている。
「役割があるから安定していられる」と。だが、観測結果は逆だ。
■役割と言う安定装置の誤認
役割は“固定”ではない。それは、
評価され続け
維持され続け
他者によって更新され続ける
外部接続の状態だ。つまり役割とは、持った瞬間から維持コストが発生する“不安定な状態”である。その不安定性が露出した事例がある。
船を降りた男がいた。
海を背負った「英雄」だった存在が、母親の隣に座る「父親」へと書き換えられる。
三島由紀夫――役割と美に執着した作家。『午後の曳航』。
少年たちは、その変化を許さなかった。
■三島由紀夫(安定への回帰は排除される)
竜二は壊れたのではない。むしろ、役割のループから外れた。海という物語を降り、維持し続ける必要のない存在へ移行した。
だが、それは排除された。なぜか。少年たちの世界は、”英雄は英雄であり続け、その役割は永遠に固定される”という前提で成り立っている。
その前提が崩れると、自分たちの認識も不安定になる。だから彼らは解体した。裏切りに対してではない。不安定な状態そのものに対して。
■カフカ(接続しようとする限り揺らぐ)
別の方向から、同じ現象が観測されている。ある男が「呼ばれた」とされ、村に入る。だが、その証明は最後まで届かない。
フランツ・カフカ――「定義されない存在」を描き続けた作家。
『城』。
彼は“呼ばれているのか不明なまま”存在し続ける。
彼は排除されているわけではない。消されているわけでもない。
ただ、”確定されない”、”定義されない”、”接続が成立しない”それだけだ。
それにもかかわらず、彼は崩れていく。なぜか。接続しようとし続けているからだ。役割がないことが問題ではない。役割に接続しようとする限り、状態は揺らぎ続ける。
■不安の発生源
この状態は、意図的に作ることができる。
誰にも連絡しない
自分の役割を思い出さない
名前を使う場面に入らない
最初は軽い。
何も求められない状態は、むしろ楽だ。何者である必要もない。
一瞬、解放される。だが、そのまま続けると変化が起きる。しばらくすると、違う感覚が出てくる。戻ろうとする。
何かしなければならない
このままでいいのか
理由は説明しにくい。ただ、“止まっていられない感覚”だけが残る。
この動きが、揺らぎになる。役割がないことが問題ではない。役割に戻ろうとする反射そのものが、揺らぎを生んでいる。
■役割は安定ではなく“負荷”である
役割は安定ではない。維持を強制する“負荷”だ。
人間は「役割を持っているから」不安定なのではない。
「役割を持とうとする構造」を持っているから不安定なのだ。
三島の男は、その構造から降りた瞬間に排除された。
カフカの男は、その構造に入ろうとして崩れた。
方向は逆だが、現象は同じだ。
■ 猫の視点
猫は安定しているのではない。そもそも“接続しようとしない”。
だから揺らがない。
【デバッガー所感】
休む人、遊ぶ人、満喫する人。すべて役割だ。その横で、一つだけ試せることがある。役割を止めるのではない。
役割になろうとする動きを観察する。
不安が出るなら、それは正常だ。
君が壊れているのではない。その構造が、もともと不安定なのだ。
「何者でもない時間」が異常なのではない。
「何者かでいようとする時間」の方が、むしろ不自然なのかもしれない。
