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心の壁:『麻痺』から目覚めるための猫の生存戦略

【#081_THE_STAINED_GLASS —— Human Bug Report】
個体が極限状態に置かれると、脳は生存を維持するために「感覚の解像度」を意図的に下げるパッチを当てる。

若いころは無理をするものである。
私は20代後半まで、毎月80〜100時間という凄まじい残業をこなしていた。深夜0時過ぎにようやく仕事を終えても、アドレナリンで昂った脳は眠りを拒み、そのまま上司に誘われるままに飲み会に繰り出す。自宅に帰り深夜に風呂に入る。そして数時間の仮眠で再び戦場(職場)へ向かう生活。当時はそれが「普通」だった。

しかし、ある日、ふと目が覚めたのだ。きっかけは何も無かった。 「自分は何をしているのか?」社会人になってからその時までの記憶がなかった事に気づいた。 その瞬間、積み上げられていた「仕事という名の壁」に、初めて小さな亀裂が入った。もっと仕事とプライベートをキッチリ分けて生きれば良かったと後悔したのである。恐らく気が付かないでそのまま生きている人もいるに違いない。

歴史的に仕事とプライベートを完全に分離した強者はたくさんいる。
以下におぞましい例を見てみよう。

■映画『関心領域』が描く「究極のパーティション」

映画『関心領域(The Zone of Interest)』(2024年5月公開)は御覧になっただろうか。極めて実話に近い映画である。物語はアウシュヴィッツ所長、ルドルフ・ヘス一家を中心に描かれている。是非、未視聴の方は鑑賞いただきたい。

舞台は第二次世界大戦下のアウシュヴィッツ収容所の「すぐ隣」。壁一枚隔てた向こう側では、絶え間なく銃声が響き、煙突からは灰が舞い、絶叫が聞こえる。しかし、ヘス一家はその「隣」で、プールのある美しい庭を整え、子供たちを笑わせ、理想的な家庭を築いている。

彼らは悪魔として咆哮しているのではない。むしろ、あまりに「良き父、良き夫」として機能している。彼らにとって壁の向こうは単なる「職場」であり、こちら側は守るべき「私生活」という、完璧なセグメント化(区分け)が行われているのだ。仕事の内容は恐ろしいものである。如何に人間を大量に焼却するか等、効率化に励んでいるのである。

彼にとっての壁は、不都合な現実を「背景ノイズ」に変換するための遮断壁だった。しかし、その完璧な遮断こそが、自分が「死の灰」を撒き散らしているというフィードバックすら奪い去ってしまった。

■もし、壁に窓があったら

私は映画を観ながらアウシュビッツの壁に、こんな事を考えてしまった。

「もし壁に最初から小さな「窓」が開いていたら、結果はどうなっていただろうか?」

結果は全く違う結果になっていただろう。

窓があれば、壁の向こうの悲鳴を単なる「仕事のBGM」として処理できず、庭に降る灰をただの肥料だと思い込むこともできなかったはずだ。不都合な光景が常に視界に入ることで、彼は「理想の家庭」というシミュレーションを維持できず、もっと早くに精神的なエラーを吐き、立ち止まっていただろう。

しかし、その「停止(エラー)」こそが、人間を狂気から救う唯一の安全装置なのだ。

■現代の壁に窓を

現代社会を生き抜くために、仕事や責任という「壁」をゼロにすることはできない。過酷な環境を生き抜くには、ある程度の「遮断」は生存戦略として機能する。だが、壁を完璧に塗り固めて「向こう側」を完全に消去してはいけない。

壁を『窓付き』にする 「今は仕事だ」と割り切る壁はあってもいい。だが、その壁の一部を透明にしておき、常に「外の世界のざらつき」や「本来の自分」を覗き見れるようにしておくことが必要だ。

仕事中にふと感じる「これでおいしい酒が飲めるのか?」という微かな疑問や、自然を感じる心。それら「壁の外側」からの信号を遮断せずに受け取ること。それが、ヘスのような「完璧すぎて修正不能な自滅」を回避するための唯一の手立てである。

■猫の教え

猫は狭い箱(壁)に入るのを好むが、必ず耳と鼻を外に向け、周囲の気配を拾い続けている。彼は壁の安心感を享受しながら、世界との接続を一度も切断しない。
私が若き日の麻痺した生活から目を覚ますことができたのは、システムのどこかに、外の世界を映す小さな「窓」が残っていたからだ。 壁を厚くしすぎてはいけない。

「自分は今、壁を作っている」という自覚と、そこから外を覗く小さな「窓」。 それさえあれば、私たちはどんなに過酷な領域にいても、人間としての座標を見失わずに済むのだから。

【デバッガー所感】

理解ではなく、その「壁に開けた小さな穴」を、正気を保つための吸気口として保存しよう。