主人の代わりに400キロ。江戸の街道を駆け抜けた「おかげ犬」の奇跡
見返りを求めない優しさが、犬の背中に乗って旅をした
ニュースを開けば、今日も誰かが誰かを責めている。効率が悪い、自己責任だ、迷惑だと。私たちはいつから、こんなに他人に不寛容な世知辛い世界に住むようになったのだろう。
そんなことを考えていたら、江戸時代の奇妙で温かい話に出会った。首に小銭の入った袋をぶら下げた一匹の犬が、たった一匹で数百キロ先の伊勢神宮を目指して歩き出す。嘘のような本当の光景が、街道にはあったという。
おかげ犬、と呼ばれた。
誰もが一生に一度はお伊勢参りを夢見た時代。けれど病や老いでどうしても叶えられない人たちがいた。その無念を晴らすように立ち上がったのが、共に暮らす犬たちだった。首には路銀の入った袋と、「伊勢参り」と書かれた木札。主人の深い祈りを小さな背中に背負い、見知らぬ土地へ旅立っていった。
この話が単なる口伝ではないのが面白い。浮世絵師・歌川広重の『東海道五十三次 四日市』や『伊勢参宮 宮川の渡し』には、伊勢街道を行き交う旅人に混ざって、首にしめ縄や大きな木札を下げてトコトコ歩く白い犬の姿がはっきり描かれている。国学者・本居宣長も随筆に、明和8年、1771年の爆発的なおかげ参りの際、山城国、いまの京都府の犬が単身で参拝を果たして戻ってきた、と驚きをもって書き残している。
地元に名を残した犬もいる。
福島県須賀川の秋田犬シロ。庄屋の市原家で飼われていた利発な犬だ。主人の綱稠が病に倒れ、毎年の伊勢参りに行けなくなったとき、周囲の勧めでシロが代参することになった。「人間の言葉がわかるので、どうか道を教えて助けてやってください」という書付を頭陀袋に入れ、福島から出発。シロは数ヶ月の旅を終え、伊勢神宮のお札を持ち帰った。今も須賀川市の十念寺には、シロを祀った犬塚が大切に残されている。
山口県、長門国萩藩の椿八幡宮で飼われていた赤斑点のメス犬ぶちも、お賽銭とお札を入れる竹筒を首に巻き、はるばる山口から三重の伊勢まで往復した記録が講談で語り継がれている。
本来、犬は仏教や神社の境内では不浄の生き物として立ち入りを制限されることが多かった。それでも伊勢神宮では超法規的なもてなしがあった。伝承によれば、単身でたどり着いたおかげ犬は本宮の前でお辞儀をしたとも語られている。神官たちは「これは普通の犬ではない、神の使いか主人の強い一念が乗り移ったものだ」と感動し、最高の御祓札を特製の竹筒に入れて背中に結び、来た道へ優しく送り出した。
この奇跡を可能にしたのは、犬の根性だけではない。街道の人々のリレー式の善意だった。
おかげ犬を見つけた旅人や宿場の主人は、自分の食べ物を分け、次の宿場まで一緒に連れて歩いた。一人の手から次の人の手へ、大切なバトンのように引き継がれていく。犬を助けることは、自分も伊勢の神様からお陰を分けてもらえる徳の高い行為だと信じられていたからだ。道中、犬の首の袋に「自分の願いも届けてほしい」とお金を足す人も少なくなかった。盗む者は神罰が下ると恐れられ、むしろ帰りは行きよりお金が増えていたという。
袋が重くなれば、町の人が小銭を軽い紙のお金に両替してやり、首に負担がかからないように気遣った。法律で守られたのではない。利他の心と、細やかな気配りが犬を守ったのだ。
人は、か弱きもの、言葉を持たぬものを前にしたとき、もっとも純粋な優しさを引き出されるのではないか。
我が家には今、19歳と8ヶ月になる雑種の老犬がいる。もう寝たきりの介護状態で、自分で立ち上がることもできない。それでも、そこにいてくれるだけで愛おしい。食事の介助をし、体位を変え、声をかける。何の見返りもない。ただ、生きていてくれることが嬉しい。
江戸の人々がおかげ犬に注いだ眼差しと、今私がこの老犬に向ける気持ちは、きっと同じ種類のものだ。効率も生産性も関係ない。ただ守りたい、楽に歩かせてやりたい、という祈りに近い感情。
現代の伊勢の門前町、おかげ横丁には、今もおかげ犬の可愛いキャラクターグッズやサブレ、おみくじが並んでいる。一匹の犬の旅は、時代を超えて愛され続けている。
効率や自己責任ばかりが求められる今だからこそ、思い出したい。見知らぬ誰かが差し出した一握りの餌と、一杯の水と、少しの気遣い。その優しさを背中いっぱいに乗せながら。首に袋を下げて歩いた小さな旅人たちは、それをずっと昔から教えてくれていた。
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