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八太郎と奈良時代の夢(嘘みたいに眠れる奈良時代の話)

 睡眠障害に陥った私は、もう数年も前から医師に睡眠導入剤を処方してもらってきた。それでもなかなか寝付けず、薬を服用したところで2時間も3時間も布団の中でじっと目を冴えわたらせているような夜がざらにあった。

 そんな私の生活に大きな変化が訪れたのは、昨年の末あたりのことだ。間もなく19歳10カ月になろうとしているわが家の老犬・八太郎が、寝たきりの介護状態になったのだ。歩くことは勿論、立つことすら自分では出来ない。獣医からは白内障が悪化し、目もほとんど見えていない状態だと言われた。
 だが、八太郎のバイタリティーは物凄い。食欲は旺盛で、大きな声でよく吠える。排泄したいとき、水が飲みたいとき、お腹が空いたとき、そして寝返りを打ちたいとき、大声で私を呼ぶのだ。不思議なことに、最近の私には八太郎が何を要求しているのかが手に取るように分かるようになってきた。

 20年近く一緒に暮らしてきた家族だからこそ通じ合える、無言の会話なのだろう。彼の要求を満たしてやると、八太郎は満足したように静かに眠りにつく。その愛おしい寝顔を確認して、私は安心してブログに掲載する歴史コラムを書き始めるのだ。そんな愛しくもドタバタとした生活だが、これがもう数カ月以上も続いている。

 八太郎は昼夜を問わず私を呼ぶ。だから私は睡眠導入剤をやめた。彼が必要とした瞬間に、すぐ起きられるようにしたかったからだ。

 あとどれくらい八太郎と一緒に過ごせるかは分からない。だからこそ、彼が自分を必要とした瞬間にはいつでも飛び起き、できる限り近くに寄り添っていてやりたい。

 さて筋金入りのYouTube嫌いだった私が、最近スマホの動画を見るようになったのもそのせいである。夜中に目を覚ました際、ふと画面に出てきた「ぐっすり眠れる平家物語」という番組を見つけたのがきっかけだった。平家物語の原文を淡々と朗読してくれるのだが、これを聴いていると、本当に30分ほどで心地よい眠りが訪れるのだ。しかも薬の力で無理やり眠っているわけではないので、八太郎が「ワン」とひと声吠えれば、すぐに目を覚まして駆けつけることができる。

 「これはなかなかいいものを見つけたぞ」

 そこで調子に乗ってスマホの画面をスクロールしてみると、朗読番組の世界は実に多彩であることが分かった。その中に、ふと気になるタイトルが飛び込んできた。

 『驚くほど眠れる奈良時代の話』

 歴史を書いている私である。タイトルを目にした瞬間、思わず「嘘だろう?」と画面にツッコミを入れた。
 試しにその夜は、その番組を流してみることにした。史実に間違いがあったり、いい加減な解説をしていたりしたら、思いっきり心の中で突っ込んでやろうと、半ば意地悪な検閲官のような心持ちで耳を傾けたのだ。

 ところが、どうだろう。
 番組が始まって5分くらいだったか。持統天皇が登場し、続いて元明天皇が出てきた。そして「どうも藤原京のままでは都合が悪い、どこかへ引っ越さなければならない」という話になり、遷都の議論が始まった。ふむふむ、そうそう歴史はこうでなくっちゃな……と頷きながら聴いていた。

——しかし、記憶があるのはそこまでだ。

 気がついた時には、私は完全なる夢の中にいた。藤原京が結局どこに移転したのか、さっぱり分からない。仙台か? 札幌か? それとも沖縄にでも行ったのか?(もちろん平城京なのだが)。聞き出してからわずか7、8分、歴史の検証どころか、見事なまでに爆睡してしまっていたのだ。

 「ワン!」

 八太郎の声で跳ね起きた。時計を見ると、奈良時代の解説はとっくに終わっている。オシッコのサインだなと察し、彼を抱えて庭に連れ出して用を足させながら、私は一人で苦笑した。

 撤回しよう。これは「驚くほど眠れる」なんて生ぬるいものではない。
 「嘘みたいに眠れる奈良時代の話」だ。

 愛犬の介護という緊張感の中で、遠い昔の歴史ロマンは、なぜか現代の私たちを優しく深い眠りへと誘ってくれる。今夜も八太郎が静かに寝息を立てたら、私はまた、奈良へ行くか、平安へ行くか、それとも鎌倉へ行くか――どこかの時代へ「嘘みたいに眠る旅」に出かけることにしよう。


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