「犬公方」と言われた男 第5回 灰のなかで消えなかったもの
人は、生きているあいだに一度敗れるだけでは足りないらしい。
死んでから、もう一度敗れることがある。
徳川綱吉という人を思うとき、私はいつもそのことを考える。
彼は生前、すでに孤独だった。理想は理解されきらず、法は人々を息苦しくさせ、赤穂事件では人の心の熱から取り残された。将軍でありながら、どこか輪の外に立っているような寒さを抱えたまま、晩年へと入っていった。だが綱吉の本当の敗北は、死後に完成したのかもしれない。
「犬公方」。
このあまりに便利なあだ名が、そのことをよく物語っている。複雑な人間が、たった一つの記号に押し込められる。それは、死者にとってかなり残酷なことである。
晩年の綱吉のまわりからは、少しずつ人がいなくなっていく。まず、母・桂昌院の死が大きい。元禄十八年、桂昌院は世を去る。綱吉にとって母は、単なる生母ではなかった。陽の当たらない部屋で育った少年時代から、自分の寒さを知ってくれていた、ほとんど唯一の存在だったろう。学問へ向かう心も、命を粗末にしてはならぬという感覚も、その根には母の気配があったように思える。その母がいなくなる。それは、将軍が母を失うという以上に、ひとりの男が、自分の原点を失うことだったのではないか。
広い江戸城のなかで、綱吉はどんなふうに老いていったのだろう。人の気配はある。家臣もいる。大奥もある。だが、気配があることと、心が通うことは違う。将軍のまわりには、いつだって人がいる。だからこそ、ほんとうの孤独は見えにくい。綱吉のそばに最後までいたのは、柳沢吉保だった。だが、理解者がひとりいることは、孤独を消すことと同じではない。むしろ、理解者がひとりしかいないという事実は、その人の孤独の深さを逆に照らしてしまう。母を失い、世継ぎにも恵まれず、理想は世間から疎まれ、喝采は別のところへ向かっていく。綱吉の晩年には、そういう静かな冷えが満ちていたのではないか。
そこへ、天が追い打ちをかける。
宝永四年、宝永地震。そしてそののちの富士山噴火。江戸の空に灰が降る。昼なお暗く、町も屋敷も、庭も屋根も、白とも黒ともつかぬ灰に覆われていく。この光景を、当時の人々はただの自然現象としては見なかった。天災は、為政者の不徳のしるしでもあった。政治が悪いから、天が怒る。そういう感覚が、まだ生きていた時代である。綱吉に向けられた視線が、どれほど冷たかったかは想像に難くない。人を苦しめ、犬ばかりを大事にしたからだ。神仏が怒ったのだ。そんな声が、町のどこかでささやかれたとしても不思議ではない。
綱吉は、その灰をどんな思いで見上げたのだろう。私はときどき、その場面を想像する。御殿の障子を少し開ける。外は昼なのに薄暗い。空から降ってくるのは雪ではなく、冷たい灰である。庭木の葉は汚れ、池の面も濁り、世界そのものが色を失っていく。命を守ろうとしてきたはずの男にとって、それはあまりに残酷な景色だったのではないか。自分は、間違っていたのか。弱いものを見捨てまいとしたことも、殺生を嫌ったことも、法で世を整えようとしたことも、すべて天に否定されているのか。そう感じたとしても、少しもおかしくない。人は、世間から責められるだけでも堪える。それなのに、空までが自分を責めているように見えたなら、その孤独はどれほど深いだろう。
綱吉の晩年を、ただ「悪政の報い」として片づけるのは簡単である。だが、そうしてしまうと、また人間が消える。ここで見たいのは、報いの物語ではない。自分の信じたものが、天からも民からも否定されていくように感じながら、それでもなお手放せなかったものは何だったのか、ということである。
綱吉は、最後まで「命」を手放さなかったのではないか。それは意地だったのかもしれない。執着だったのかもしれない。だが同時に、自分がこの世で信じてきたものの、最後の芯でもあったのだろう。
宝永六年、綱吉は病に倒れる。
麻疹とも言われる高熱のなかで、六十四年の生涯を閉じる。
死の床で彼が何を語ったか、どこまでが史実でどこからが後世の潤色か、慎重であるべきだろう。
だが、彼が最期まで自らの法、とりわけ生類憐みの令を捨てきれなかったことは、いかにも綱吉らしい。
もし彼が「この法をなくさないでくれ」と願ったのだとしたら、それは単なる頑迷さだったのだろうか。私は、そうは思わない。そこにはもっと切実なものがあったのではないか。自分が生きてきた意味を、どうか全部は消さないでくれ。自分が守ろうとした命の痕跡を、なかったことにしないでくれ。そういう、ひどく弱く、ひどく人間くさい願いがあったのではないかと思えてならない。
その枕元にいたのは、やはり吉保だったのだろう。主君の理想を誰より理解し、その理想が歪んでいく過程にも最後まで付き添った男である。この二人の関係を、美しく言いすぎるつもりはない。綱吉と吉保の結びつきは、政治を硬直させた面もあった。理解しすぎる側近は、ときに主君を誤らせる。
だが、それでもなお、最期の綱吉のそばに吉保がいたという事実には、やはり胸を打たれるものがある。誰にも理解されぬと思っていた男のそばに、最後まで理解しようとした者がひとりいた。それだけは、綱吉の人生の救いだったのかもしれない。
だが、死は容赦がない。
綱吉が息を引き取ったあと、彼の政治は急速に切り替えられていく。生類憐みの令は否定され、次の時代は、綱吉の治世を「行きすぎたもの」として整理し始める。もちろん、それには現実的な理由もあっただろう。人々は疲れていた。現場は窮屈だった。綱吉の法が、暮らしを圧迫した面もたしかにあった。だから、その反動が起きるのは自然でもある。だが、自然であることと、残酷でないことは別だ。
死者の体温がまだ消えぬうちに、その人の信じたものが次々と切り捨てられていく。
それはやはり、ひどく寒い光景である。
そして後世は、綱吉を「犬公方」と呼んだ。
このあだ名は強い。強すぎる。強いあだ名は、人間を一瞬で記号に変える。綱吉が何を学び、何を恐れ、誰を愛し、どんな孤独を抱えていたか。そういう面倒なものを、全部ひとまとめにして捨ててしまえるからである。犬を大事にしすぎた愚かな将軍。そう言ってしまえば、話は早い。だが、歴史のなかで話が早すぎるとき、たいてい何か大事なものが埋められている。
綱吉は、名君ではなかったかもしれない。少なくとも、手放しでそう呼べる人ではない。では暗君だったのかと言われれば、それもまた違うだろう。彼はもっと厄介で、もっと不器用で、もっと人間くさい。優しい世界を夢見た。だが、その優しさを、優しいかたちのまま制度にすることができなかった。
命を守りたかった。だが、その願いはしばしば人々の暮らしを締めつけた。法を守ろうとした。だが、人々の心は法より物語へ流れた。理解されたいと願った。だが、死後にはもっとも単純な悪役にされた。そういう男だったのである。
私は、この連載の最初で、綱吉を「陽の当たらない部屋の少年」として見たいと思った。
最終回まで来ても、その印象は変わらない。将軍になっても、法をつくっても、浪士に喝采されても、富士の灰が降っても、綱吉の底にはずっと、あの寒い部屋の少年がいたのではないか。父に認められたかった少年。母を守りたかった子。刀ではなく書物を抱きしめ、優しい人間であろうとした四男坊。
その少年が大きな権力を持ってしまったとき、理想は歪み、善意は人を苦しめ、ついには本人まで歴史の敗者になった。だが、それでもなお、出発点にあった体温までを嘘だったことにはしたくないのである。
富士の灰は、あらゆるものを覆い隠す。
庭も、屋根も、道も、人の足跡も。
綱吉の死後、彼の理想もまた、そうやって灰の下に埋められていったのかもしれない。後世はその灰の上に、「犬公方」というわかりやすい札を立てた。そして長いあいだ、私たちはその札だけを見てきた。だが、灰の下にはまだ、消えきらなかったものがある。刀を持てなかった少年の寒さ。母の手のぬくもり。命を見捨てたくないという、少し過剰で、少し息苦しく、けれど切実だった願い。それらは、完全には消えていない。消えていないからこそ、いまなお綱吉という人は、ただの笑い話では終わらないのである。
歴史は勝者がつくる、とよく言う。たしかにそうだろう。だが、敗者の側にしか残らない体温というものもある。
徳川綱吉は、その意味で、歴史の敗者だった。誰も救えなかったわけではない。だが、誰からも十分には理解されなかった。優しい世界を夢見た。だが、その夢のかたちは不器用すぎた。そして死後、夢ごと笑われた。その哀しさに、私はどうしても惹かれてしまう。
「犬公方」と呼ばれた男。
その冷たいあだ名の奥には、ひとりの少年の息づかいが、まだかすかに残っている。歴史はしばしば、その声を消す。だが、耳を澄ませば、消えたのではなく、ただ長く埋もれていただけなのだとわかる。綱吉とは、そういう人だったのではないか。
灰のなかでなお、消えきらなかったものを持つ人だったのだと、私には思える。
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