「犬公方」と言われた男 第1回 陽の当たらない部屋の少年
炭のはぜる音だけが、薄暗い部屋に小さく響いていた。
冬の江戸城の一角。障子の向こうには鈍い光が溜まり、畳の上には冷えたい空気が沈んでいる。火鉢のぬくもりは、部屋の隅々までは届かない。幼い少年は、かじかんだ指先を何度か息で温めてから、硯に水を落とし、墨をすった。墨の匂いが、冷たい空気のなかにゆっくりとひろがっていく。
その手にあるのは刀ではない。木刀ですらない。重たく、分厚く、文字の詰まった書物だった。
少年の名は、徳川綱吉。
のちに「犬公方」と呼ばれ、江戸でもっとも評判の悪い将軍のひとりとして記憶される男である。だが、いきなり将軍としての綱吉から語り始めても、この人のことは見えてこない。綱吉という人間を本当に書こうとするなら、まず見なければならないのは、この寒い部屋なのだと思う。
陽の当たらない部屋。刀のない部屋。笑い声の少ない部屋。
そこでひとり、書物にすがるようにして育った少年の姿こそが、のちの将軍・徳川綱吉の原風景だったのではなかったか。
綱吉は、徳川家光の四男として生まれた。
四男。この順番が、すでに彼の運命をかなり決めていた。
長男がいて、次男がいて、三男がいる。将軍家の子として生まれても、四番目ともなれば家督の中心からは遠い。しかも綱吉の母・桂昌院は、将軍家の正室でも、名門大名家から迎えられた姫でもなかった。低いところから大奥に入った女であり、そのことは城のなかでの親子の位置を、いやでも決めただろう。
華やかな場所には、華やかな人々がいる。その輪の外にいる者は、自分がそこに属していないことを、言葉で教えられなくても知る。子どもは、そういう空気にひどく敏い。
ある日、廊下の向こうから兄たちの声が聞こえてきたのではないか。
木刀の打ち合う乾いた音。それを見守る大人たちの気配。父・家光の、満足そうな笑い声。
障子をほんの少しだけ開け、兄たちを見つめる小さな目があった——そんな情景を、私は思い浮かべてしまう。自分はあの輪の中には入れない。あそこにいるのが「徳川の子」であるなら、自分は少し違う場所にいる。そんなことを、綱吉は幼い肌で冷たく理解していったのではなかったか。
彼は、武芸よりも学問を与えられた。
それは父・家光なりの配慮だったのかもしれない。兄弟同士の争いを避けるため、あえて武の道から遠ざけたのだとも言われる。なるほど、政治の理屈としてはそうなのだろう。だが、子どもにとって理屈はいつも遅れてやって来る。先に胸に残るのは、なぜ兄たちは刀を持てるのに、自分は持てないのか、という感覚のほうである。
だから綱吉は、刀の代わりに書物を抱いた。抱かされた、と言ってもよい。
だがやがて彼は、その書物に自分からすがるようになっていったのではないか。
父に認められたい。ここにいてよいと思われたい。自分にも価値があると証明したい。
そういう切実さは、子どもを驚くほど生真面目にする。綱吉は儒学を学び、『四書五経』を読み、文字の海に沈むようにして日々を送った。病の夜にも本を手放さなかったという話が伝わるのも、あながち誇張ばかりではない気がする。学問だけが、自分がこの城で息をしていてよい理由だった。そう思いつめるほどの少年だったとしても、私はあまり驚かない。
冬の夜、蝋燭の火は小さい。
その小さな火に照らされて、紙の上の文字だけが浮かび上がる。墨の匂い。紙の乾いた手触り。目の奥の痛み。眠気で何度も落ちそうになる頭を、必死に起こしながら文字を追う少年。褒められたい一心だったのかもしれない。置いていかれたくない一心だったのかもしれない。あるいは、文字のなかにしか自分の居場所がなかったのかもしれない。
綱吉の生真面目さは、のちに将軍となってからもしばしば人を息苦しくさせる。だがその生真面目さは、もともと権力者の傲慢から生まれたものではなく、むしろ愛されたい、認められたい、見捨てられたくないという、ひどく弱いところから生まれたものだったのではないか。
そして、この少年のそばには、いつも母がいた。
桂昌院。
のちには将軍生母として大きな権勢を持つことになるが、綱吉の幼い日々において、彼女はまず、城のなかで肩身の狭い思いを知る女だったろう。高い家柄の女たちに囲まれ、見えない序列のなかで息をひそめるように生きる。その寒さを、彼女もまた知っていたはずだ。
だからこそ、この母子は互いにすがり合ったのではないか。
夜になると、部屋はいっそう静かになる。遠くの廊下を誰かが歩く衣擦れの音。火鉢の炭が崩れる気配。
そのなかで、母は綱吉の小さな手を握ったのではないか。その手は冷えていただろう。母の手は、少しだけ温かかっただろう。
「殺生をしてはなりませぬ」
「因果応報というものがあります」
「優しい人になりなされ」
桂昌院がほんとうにどんな言葉で息子に語りかけたのか、私は知らない。だが、仏教への深い信仰を持つ母が、幼い綱吉に命のこと、殺生のこと、情けのことを繰り返し教えたとしても、少しも不自然ではない。
綱吉にとって「命を大切にせよ」という教えは、単なる宗教的な説諭ではなかったのではないか。それは、母の涙と結びついた言葉だった。母を泣かせるこの世界で、せめて自分だけは優しい側にいなければならない。傷つける者ではなく、傷つけられる者の味方でいなければならない。
そんなふうに、幼い胸のなかで、学問と慈悲と母への愛情が、ひとつに結びついていったのではなかったか。
もしそうだとすれば、のちの綱吉が「命」に異様なほどこだわったことも、少し見え方が変わってくる。彼はもともと、強い者の論理で世界を見ていなかった。刀を持つ側ではなく、刀を持てない側から世界を見ていた。輪の中心にいる者ではなく、そこから少し外れた場所で、寒さを知る者として世を見ていた。だからこそ、捨てられる命、踏みにじられる命、声を持たぬ命に、過剰なほど心を寄せたのではないか。
もちろん、それはのちに行きすぎる。優しさは、権力を持つと命令に変わる。命令になった優しさは、人を救うと同時に、人を縛る。
だが、その歪みだけを見て笑う前に、まず見ておきたいのである。その出発点にいた、ひとりの寒い少年を。
綱吉は、将軍になるはずのない子だった。少なくとも、そういうつもりで育てられた。だからこそ彼は、権力を当然のものとして身につけた人間ではなかった。権力のまぶしさより先に、権力の外側の冷たさを知っていた。これは、のちの彼の政治を考えるうえで、かなり大きい。
人は、自分が味わった寒さを忘れない。忘れないからこそ、誰かを温めようとする。だが同時に、自分が寒かったぶんだけ、温め方が過剰になることもある。
綱吉の人生は、その過剰さの物語でもあったのだろう。
この少年は、まだ何者でもない。
ただ、父の期待から少し外れた場所で、母のぬくもりにすがり、書物に顔を埋めているだけである。
だが歴史はときどき、そういう子を思いがけない場所へ連れていく。決して将軍になるはずのなかった四男坊に、やがて徳川の天下が転がり込んでくる。
そのとき彼は、何を思っただろう。
長いあいだ胸の奥で温めてきた理想を、ついにこの手で形にできると思ったのではなかったか。刀ではなく、学問と徳で世を変える。誰も傷つけられず、誰も捨てられない世をつくる。それは、陽の当たらない部屋で育った少年だけが抱きうる、あまりにも切実で、あまりにも危うい夢だった。
綱吉という人を、私はまだ責める気になれない。
この第一回では、なおさらである。なぜなら、ここにいるのは「犬公方」ではないからだ。悪法の将軍でも、忠臣蔵の敵役でもない。ただ、父に認められたかった少年。母を守りたかった子。
刀のかわりに書物を抱きしめ、優しい人間であろうと必死だった、ひとりの四男坊である。
そしてたぶん、歴史の悲劇はいつもここから始まる。
もっとも純粋な願いが、もっとも大きな権力と結びついてしまうところから。
次回、将軍になるはずのなかった男に、突然、天下が転がり込んでくる。日陰の少年は、三十五歳にして江戸城の中心へ押し出される。そのとき彼の胸で鳴ったのは、恐怖だったのか。それとも、ようやく自分の理想を試せるという、遅すぎた歓喜だったのか。
第2回「若き理想主義者の夜明け」。
綱吉という男の光が、もっともまぶしく燃え上がる瞬間へ。
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