何者にもならなかった男の幸福論
私はダイヤモンドの次に硬い仕事をしてきた人間である。コランダム並みに硬い仕事だった。
要するに、組織にがっちり守られ、毎月決まった日に給料が振り込まれる、世の中で最も退屈で安全な部類の仕事だ。人生の大半を、そこにしがみついてきた。勤め上げた、と言えば聞こえはいいが、実態は「しがみつく以外の選択肢を一度も選べなかった男」である。
そんなカチカチの男のくせに、妄想だけはやたらと柔らかかった。「こんな事業始めたら儲かるんじゃないか?」と考えるのが、三度の飯より好きだった。実行したことは、もちろん一度もない。
最初の妄想は20代前半だった。「家庭用宝飾品洗浄機」の飛び込み販売である。当時、全国の百貨店で「宝石フェア」なる地獄のキャンペーンが繰り広げられていた。食品売り場のおばちゃんも紳士服の兄ちゃんも、知り合いに宝飾品を売らされる。これはノルマである。なのに、馬鹿みたいに売れる。だから私は考えたのだ。「あれだけ宝石が売れるなら、それを洗う機械も絶対売れるはずだ」と。
愛知県蒲郡市の医療機器メーカーに頼んで超音波洗浄機を千個作らせ、宝石を買わされた気まずい客の家を一軒一軒回る。「奥さん、そのくすんだダイヤ、家でピカピカになりますよ」と。これは我ながら名案だと思った。だがやらなかった。理由は単純で、硬い業界に勤めながらそんな柔らかい商売をする勇気が、私にはなかったからだ。勇気がない男が「名案」を思いつくのが、いちばん恥ずかしい。
第二の妄想は20代後半から30歳にかけてだ。ある大手建築会社が、農家向けに農業用倉庫を売りまくっていた。私は考えた。「農家は市街化区域に結構な宅地を持っている。倉庫よりアパートを建てさせた方が、絶対に相続税対策になる」と。これは妄想で終わらせなかった。私はペンを取り、社長宛に手紙を書いた。拙い字でアパート経営の未来を熱く語ったのである。
数日後、社長本人から返事が来た。「ぜひ当社に入社して力を貸してほしい」と。達筆すぎて、絶対に秘書の代筆だと思った。当時のその会社は「今日面接に行ったら明日から現場」みたいな評判だった。コランダムみたいに硬い仕事をしている私が、そんなところに飛び込むわけがない。
ところが2、3年後、テレビをつけたら西田敏行が満面の笑みでその会社のCMをやっているではないか。農業用倉庫の会社は、見事にアパート建築へ業態転換していた。あの時、もし私が硬い鎧を脱ぎ捨てて飛び込んでいれば、今頃は社長の横で専務くらいにはなっていたかもしれない。もちろん、なっていない。妄想である。
ただ、その妄想で酒が三日は飲める。実際に飲んだのは一日だけだったが。(飲んだんかい!)
そして最近の妄想が「何でも屋」だ。「なんでも鑑定団」というテレビ番組を見ていて閃いた。「いかにも本物っぽい偽物」を、「偽物ですよ」と正直に売るのだ。千五百円で仕入れた「渡辺崋山っぽい」掛け軸を「崋山っぽいけど偽物です。でも雰囲気あるでしょ?」と一万円で売る。いわば雰囲気商売である。
しかしすぐに気づいた。これはマズい。私が偽物として売っても、買った誰かが「本物だ」と言って次の誰かを騙す可能性がある。一次的には合法でも、二次的に詐欺の片棒を担ぐことになる。これは倫理的にアウトだ。というわけで、この妄想はそこで打ち止めになった。
私は、脳内でだけは実に様々な事業を起業してきた。実行は一度もしていない。だから今、私は何者でもない。浜松市の辺境に住んでいる、そこらへんのクソジジイである。
「見る前に跳べ」という言葉があるらしい。誰が言ったかは知らない。跳べなかった人間が言うのもなんだが、若い人たちには言いたい。跳びたいなら跳べばいい。思い切り跳ぶがいい。失敗しても、案外死にはしない。だが、跳ばなかったからこその幸せもあるのだ、ということも付け加えておきたい。
結局私は、何一つ実行しなかったがゆえに、何者にもなれなかった。だが、そのおかげで今、妻と、もうすぐ19歳10カ月になる老犬と、慎ましくも心穏やかに暮らせている。十九年十か月。犬としては、もはや仙人である。毎日、老犬が今日も息をしているかを確認するのが、私の最も重要な業務だ。
これは吉川英治の『新・平家物語』に出てくる麻鳥の心境に近いと思う。権謀術数の渦中で何者かになろうとした者たちが次々と倒れていく中で、何者にもならずに市井で生きることの平安だ。
ダイヤモンドの次に硬い組織で、石みたいに硬い頭のまま、ただ柔らかい妄想だけを抱えて生きてきた。結果、何者にもなれなかった。
しかし、何者にもなれなかったからこそ、今のこの平和があるのだと思う。
老犬八太郎が、今日も私を呼んでいる。
今の私は、案外幸せだ。
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