見出し画像

【敗者たちの幕末】第10回榎本武揚  後編:敗北ごと回収された男――旧幕臣は、なぜ明治国家の中枢へ入ったのか

 榎本武揚の後編は、「敗者とは何か」という問いそのものを揺さぶる。
 
 箱館は敗れる。旧幕府勢力の最後の拠点は崩れ、榎本も降伏する。ここで物語が終われば、彼はわかりやすい忠臣だ。最後まで戦い、最後に敗れた男。それで完結する。
 だが榎本武揚は、そこでは終わらない。本当に面白いのは、その後だ。
 
 彼は死なない。処刑もされず、歴史の闇に消えもしない。やがて明治政府に取り込まれ、新国家の中で重要な役割を果たしていく。この展開に違和感を覚える人は多いだろう。最後まで旧幕府側として戦った人間が、なぜ新政府で働くのか。変節ではないのか。節を曲げたのではないか。
 
 だが、ここを単純に「裏切り」と断じると、彼の本質は見えなくなる。むしろ榎本は、敗北したあとも、自分の能力を国家に使うことをやめなかった人間として見るべきなのだろう。
 もちろん、現実的な判断もあったはずだ。死ぬより生きて働くほうがいい。旧幕臣としての誇りを抱えたままでも、国家のためにできることはある。
 しかし、それだけではない。彼にはもともと、徳川家への忠義と同時に、もっと大きな「国家実務」への意識があった。海軍、外交、開拓、制度——そうしたものは、政権が変わっても必要であり続ける。彼はその必要性を、誰よりもよく知っていた。
 
 明治国家は、旧幕府を倒して生まれた。だが国家を作るには、理念だけでは足りない。技術が要り、制度が要り、外交感覚が要る。海軍も、開拓も要る。新しい国家は、旧い側にいた有能な人材を、どこかで必要とせざるを得なかった。
 榎本武揚は、その典型だった。
 
 降伏後、投獄された彼は赦免され、開拓使に出仕。北海道開発に携わり、駐露公使として樺太・千島交換条約をまとめ、以後海軍卿、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任する。ここだけ見れば、もはや敗者ではないようにも見える。
 だが、本当にそうだろうか。
 
 私はむしろ、ここに別種の敗北を見る。自分が最後まで守ろうとした旧幕府の世界を失ったまま、その喪失を抱えて次の国家に働く敗北である。
 
 榎本は生き残った。だが、生き残るということは、失ったものを忘れることではない。むしろ、生きているぶんだけ、失った世界の不在を抱え続けることになる。徳川の海軍、箱館で試みた秩序、旧幕臣としての誇り——それらを完全に捨てたわけではないだろう。旧幕臣たちの路頭を案じ、彼らを救う場として北海道開拓に情熱を注いだように、彼は失ったものを胸に抱えたまま働いた。
 この「抱えたまま働く」という姿勢は、非常に大人で、現実的で、そして非常に苦い。ここに、榎本武揚の「滅びきれなさ」の本質がある。
 
 彼は、きれいに滅びることができなかった。だがそれは、未練がましいという意味ではない。滅びるには能力がありすぎ、責任感がありすぎ、国家実務への意識が強すぎたからだ。だから彼は、死んで物語になるより、生きて国家に使われる道を歩いた。この選択は、ロマンとしては美しくない。だが、現実としてはきわめて筋が通っている。
 
 榎本を書くとき、どうしても浮かぶのは「節」という言葉である。武士は節を守るべきか。敗者は滅ぶべきか。忠義とは、最後まで旧主と運命を共にすることなのか。
 榎本武揚は、その問いに対して、きわめて曖昧で、きわめて現実的な答えを生きた人である。
 彼は最後まで戦った。だから節を失ってはいない。だが最後まで滅びなかった。だから「美しい敗者」にもなりきれない。この中途半端さを、卑怯と見ることもできる。
 
 だが私はむしろ、そこに近代の匂いを感じる。
 近代国家は、忠義だけでは動かない。能力が要り、制度が要り、継続が要る。そしてその継続のためには、ときに昨日の敵を今日の官僚として使う冷たさが必要になる。榎本武揚は、その冷たい現実を受け入れて生きた。そして、その現実を受け入れられるだけの理性を持ってしまった人でもあった。
 だから彼は、単なる敗者ではない。敗北を経てもなお、国家に必要とされることで、敗北そのものの意味を曖昧にしてしまった男なのである。これは、単純には割り切れない敗北である。
 
 「敗者たちの幕末」というシリーズの中で、榎本武揚は特別な位置を占める。
 渡辺崋山は早すぎた知性として、高野長英は突出しすぎた天才として、鳥居耀蔵は自分の正義に殉じて、江川英龍は正しい実務を積み上げながら、歴史全体には勝てなかった。安倍正弘は国家の矛盾を一身に背負い、松平春嶽は理性を信じたがゆえに、徳川慶喜は見えすぎていたがゆえに、小栗忠順は未来を作れる男だったがその未来に所属を許されず、松平容保は忠義を尽くしすぎたがゆえに時代の怨念を一身に受けた。
 そして榎本武揚は、敗者として戦い抜いたのに、その敗北ごと新国家に回収され、滅びきれなかった。
 
 この敗北は、きわめて近代的である。死ねば美しい。滅べばわかりやすい。だが榎本は、死なず、滅びず、次の国家に働く。その姿は、忠義の物語としては収まりが悪い。
 しかし、国家というものの現実を考えると、むしろこちらのほうが本当なのかもしれない。
 彼は裏切ったのだろうか。それとも、最後まで国家に仕えたのだろうか。
 おそらく、そのどちらでもある。そして、そのどちらでもあるという曖昧さこそが、榎本武揚という人物の逃れがたい魅力なのである。
 
 滅びきれなかった敗者。
 その言葉ほど、彼に似合うものはない。そして私たちは、その滅びきれなさの中に、幕末から明治へ移る日本そのものの、複雑で逃れがたい現実を見るのである。


いいなと思ったら応援しよう!

新苦労の適当コラム ありがとうございます。心より感謝申し上げます