「犬公方」と言われた男 第2回 若き理想主義者の夜明け
その報せは、あまりにも唐突にやって来たはずである。
延宝八年五月。四代将軍・徳川家綱が四十歳で世を去る。後継ぎはなかった。すでに次男の綱重も、三男の亀松もこの世にはいない。残されたのは、かつて将軍になるはずのない子として育てられた四男、館林藩主・徳川綱吉だった。
三十五歳。
若いとは言えぬが、老いてもいない。人が自分の運命を、ある程度は受け入れたつもりになっている年齢である。綱吉もまた、そうだったのではないか。自分は将軍にはならない。ならぬように育てられ、ならぬものとして生きてきた。館林藩主としての立場もあり、学問に親しみ、儒学を好み、自分なりの世界を形づくってきた。そこへ突然、徳川の天下が転がり込んでくる。
人の一生には、ときにこういう乱暴な瞬間がある。長いあいだ閉ざされていた扉が、ある日いきなり開いてしまう。しかもその向こうにあるのが、栄光ではなく、巨大すぎる責任だったりする。綱吉がその報せを聞いたとき、胸のうちで何が鳴ったのだろう。恐怖だったのか。戸惑いだったのか。それとも、もっと別の、言葉にしにくい震えだったのか。
私は、そこにはたぶん、恐れとともに、ひそかな昂揚もあったのではないかと思う。なぜなら彼は、ただ権力から遠ざけられてきた男ではなかったからだ。遠ざけられながらも、学び、考え、世のあり方について自分なりの理想を育ててきた男だったからである。もし自分に力があったなら。もし自分の言葉が、この国を動かすところまで届くなら。陽の当たらない部屋で書物を抱えていた少年は、そんな夢を一度も見なかっただろうか。いや、見たに違いない。見たからこそ、あれほど必死に学んだのではなかったか。
将軍就任とは、綱吉にとって、単なる出世ではなかった。それは、長いあいだ胸の奥にしまいこんでいた理想に、突然、現実の器が与えられるということだった。しかもその理想は、武断ではなく文治にあった。刀ではなく言葉。威圧ではなく教え。力で黙らせるのではなく、徳によって従わせる政治。それは、戦国の血なまぐさい残り香を嫌い、弱い者が踏みにじられる世を見たくないと願ってきた綱吉にとって、きわめて自然な志向だったはずだ。
もちろん、将軍の座は夢見るだけの場所ではない。そこにはすでに、古い権力が根を張っていた。
家綱の時代、幕政の実権を握っていたのは大老・酒井忠清である。老臣たちは、綱吉をどう見ていたか。おそらくその多くは、学問好きの館林様、少々理屈っぽいが、扱えぬ相手ではない、くらいに思っていたのではないか。武辺の将軍ではない。豪胆な覇者でもない。書物の匂いをまとった、少し神経質な学者殿。そんなふうに侮られていたとしても、不思議ではない。だが、綱吉は彼らが思うほど柔らかな人形ではなかった。むしろ、長く日陰にいた者ほど、いざ光の中へ出たとき、自分を軽んじる視線に敏感になる。
綱吉は、将軍になったその瞬間から、自分が誰かの傀儡で終わるつもりはなかったのではないか。彼は、与えられた権力にしがみつくのではなく、その権力に自分の理想を流し込もうとした。
そこが、この人の面白さであり、怖さでもある。
綱吉は就任からわずか二ヶ月後の延宝八年七月、酒井忠清を退ける。この一事だけでも、彼が単なる温厚な学者肌ではなかったことがわかる。周囲が思うより、ずっと意志が強い。しかもその意志は、権力そのものへの執着というより、自分の考える「正しい政治」を実現したいという熱から来ていたように見える。
理想家は、現実に敗れやすい。だが、ときに理想家ほど、現実の障害を容赦なく切る。自分の理想が正しいと信じているからである。綱吉のなかには、そういう種類の冷たさが、すでに芽生えていたのではなかったか。しかし、この時期の綱吉を、ただ権力的な人間として見るのはやはり違うだろう。彼の中心にあったのは、もっと青く、もっと切実なものだったはずだ。それは、学問によって世を変えられるという信念である。
綱吉は儒学を重んじた。館林時代から学問に親しみ、質素な藩邸で、朱子学の書を丸暗記するように読んでいた男だった。将軍となってからもその姿勢を崩さなかった。のちに湯島聖堂の整備へとつながる文治の気風も、この時期の綱吉の熱から始まっている。彼は、ただ学者を保護したかったのではない。本気で、学問こそが世を整える力だと信じていた。だからこそ将軍となったあとも、自ら儒学を講じ、道徳を説いた。政治とは命令だけではなく、人の心を育てることだと考えていたのである。
その熱は、想像以上に強かったのではないか。綱吉は将軍となっても、自ら儒学を講じるような男である。最高権力者が、自分の言葉で儒学を説き、道徳を語り、政治の理想を口にする。これは、冷静に考えれば異様な光景にも見える。だが綱吉にとっては異様でも何でもなかったのだろう。彼にとって政治とは、単に命令を下すことではなく、世のあり方を教えることでもあったからだ。刀を持てなかった少年は、ついに言葉を武器にした。いや、武器というより、祈りに近かったのかもしれない。
この国を、優しい場所にしたい。
理不尽に命が奪われず、弱い者が見捨てられず、力のある者が勝手に振る舞えない世にしたい。その願いは、少なくとも出発点においては、真っ直ぐな気持ちだったはずである。
綱吉の政治を語るとき、後年の生類憐みの令ばかりが前に出る。だが、その前に見ておくべきなのは、この人が最初に抱いていた光のほうだろう。彼は、世を息苦しくしたかったのではない。むしろ逆で、息苦しい世を終わらせたかったのではないか。辻斬り、捨て子、弱者の放置、暴力の残り香。そういうものがまだ消えきらぬ江戸を前にして、綱吉は本気で「もっとましな世」を夢見たのだと思う。その夢が、のちに人を縛る。だが、縛ったという結果だけを見て、最初の願いまで嘘だったことにしてしまうのは、少し違う。
このころの綱吉は、まだ光の側にいる。もちろん、その光はすでに危うい。理想を信じる人間は、自分の正しさを疑いにくい。しかも綱吉は、長く認められなかったぶん、自分の理想が世に通じる瞬間に、強い手応えを感じたはずである。大名たちが耳を傾ける。老臣たちが頭を下げる。自分の言葉ひとつで、国の空気が変わっていく。
それは、日陰の四男坊だった男にとって、どれほど眩しい経験だったろう。ようやく、自分の学んできたことが無駄ではなかったと証明される。ようやく、自分の言葉が世界に届く。その歓喜は、綱吉の胸に強く満ちたに違いない。そして強い歓喜は、ときに人を危うくする。自分の理想が現実を動かし始めたとき、人はそれを止めにくくなるからだ。
だが、この第2回では、まだその危うさを責める気にはなれない。
むしろ見ていたいのである。長いあいだ寒い部屋にいた少年が、ようやく朝の光のなかへ出てくる瞬間を。自分は将軍になる男ではない、と言われるように育った者が、思いがけず天下を背負い、それでも怯えるだけではなく、「ならばこの力で世を変えてみせる」と胸を熱くする、その一瞬を。
綱吉は、このとき幸福だったのではないか。少なくとも、希望に満ちていたのではないか。自分の人生は、ただ冷遇された四男坊として終わるのではない。学んできたことにも意味があった。母から受け取った教えも、書物のなかで育てた理想も、いまや天下を治める力へと変えられる。そう思えたとしたら、それは彼の人生でもっとも明るい朝のひとつだったろう。
だが、理想がもっとも美しく見えるのは、たいてい現実に傷つく前である。綱吉の言葉を、心から理解した者はどれほどいたのか。老臣たちは、どこまで本気で彼の理想に従ったのか。そして何より、綱吉自身は、自分の優しさが権力と結びついたとき、どんな形に変わるかを、まだ知らなかった。
このころ、館林以来の近習のなかには、綱吉の言葉に誰よりも耳を傾ける若者がいた。身分は高くない。だが、主君の理想に心酔し、その言葉を現実へと運ぶ才を持った男。
柳沢保明、のちの吉保である。
綱吉はこのとき、初めて出会ったのかもしれない。自分の言葉を、上辺ではなく、本気で受け止めてくれる相手に。日陰の少年が将軍となり、理想主義者としてもっともまぶしく輝いたその朝に、彼は同時に、自分の理想を加速させすぎる「理解者」をも手に入れようとしていた。
光は、強ければ強いほど、濃い影を生む。
綱吉の朝は、まだ美しい。だがその光の足もとには、すでに次の時代の影が、静かに伸び始めていたのである。
次回、第3回「魂の双子と、歪みはじめた歯車」。
綱吉はついに、自分を理解するただひとりの男と出会う。理想はそこで初めて現実の速度を得る。
そして、愛する者を失う悲しみが、その理想を少しずつ、逃げ場のないものへと変えていく。
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