見出し画像

19歳8ヶ月のバカ犬、八太郎

  (写真は17歳時の八太郎)


 私の家には八太郎という名前の雑種犬がいる。世間でいうところの『ミックス』というようなシャレたものではない。正真正銘、どこの馬の骨とも分からない雑種の中の雑種だ。間もなく19歳と8カ月になる中型犬だ。人間でいうと100歳を優に超える頃合いだろうか。
 八太郎という名前は源氏の棟梁「源義家」の、八幡太郎義家にあやかって付けた。血統書付きのご立派な犬でなかった分、名前だけでも大層なものにしてやろうと思って、そう名づけてやった。
 ところがこの八太郎、チビの頃から元気だけは良く、食い意地も犬一倍汚かったが、救いようのないバカ犬だった。なにしろ「おすわり」も「お手」もなかなか覚えない。大切な皮財布や腕時計の皮ベルトを食いちぎる。木製の高級テーブルの脚は見るも無惨な状態にされてしまった。
 散歩中、近所の犬とすれ違おうものなら、猛烈な勢いで吠え散らかした。本当は気が小さいくせに、リードに繋がれていると思って安心して他の犬に喧嘩を売っていたのだ。そのたびに私はすれ違った他の犬の飼い主に「どうもすみませんねえ、とんでもないバカ犬でして」と犬に成り代わって謝っていた。
 奴は弱いクセに、近所で一番頭が賢いかと思われるシェパードにまで喧嘩を売ろうとしていた。もちろん相手はよく訓練された犬だ。アホの八太郎など歯牙にもかけていない様子だった。
 八太郎が喧嘩を売るのは決まってオス犬だった。メス犬を見ると「ハアハア」するだけで決して吠えかかったりはしなかったのである。犬は飼い主に似ると言うが、本当だろうか?

 そんな八太郎だが、昨年末くらいから自力で食べることも水を飲むこともできなくなってしまった。当然排泄も抱いて外に連れ出さなければならない。白内障が悪化して、どうやら目も見えなくなってしまったようである。
 だが水にしろオシッコにしろ、なにか要求があれば大きな声で呼ぶ。まるで赤ん坊が母親を呼ぶように、声だけは驚くほど大きい。その声だけを聞いていると、まだ当分生き続けそうな力強さがある。

 思うに、目が見えず、自力で水も飲めない状態でも声を上げ続けるのは、生きようとする力なのか、それとも「この人なら気づいてくれる」という信頼なのかもしれない。それは、八太郎なりの信頼の形なのかも知れない。
 
 犬にとって「幸せな最後の晩年」とは、どのようなものなのだろうか。
 犬は視力を失っても、最後まで嗅覚と聴覚が残るという。自分のすぐそばで、飼い主の匂いがすることは、おバカな八太郎にとっても大切なことなのかも知れない。
 
 自分で動けなくなった犬にとって、最大の恐怖は「自分の意思が誰にも伝わらないこと」だろう。排泄したいときに声を上げ、それを飼い主がすぐに察して体を支えてやれば、案外犬にとっては最大の喜びなのかも知れない。
 犬は飼い主の感情を非常に敏感に察知するという。介護による寝不足や終わりの見えない不安で、飼い主が涙を見せたり、張り詰めた空気をまとったりしていると、犬は「自分のせいで飼い主を悲しませている」と申し訳なく感じてしまうことがあるという話も聞いた。

 奴が犬としての最晩年を、幸せに誇りを持って生き抜いていけるよう、私は常に彼に語りかけている。「いいか、ハチよ、お前は八幡太郎義家にあやかって名前を付けた、ありがた~い、凄い犬なんだ。凄いぞ、もうすぐ20歳だ。そこまでなんとかガンバレ、お前なら絶対この夏の酷暑だって乗り切れるはずだ。大丈夫だ」と。
 そう声をかけるたびに、八太郎は静かに眠りにつくことが多いような気がする。
 結局、人も犬も最晩年に欲しいものは、案外似ているのかもしれない。カネやモノではなく、すぐそばに、自分を信じてくれる誰かがいること。八太郎を見ていると、そんな気がする。

いいなと思ったら応援しよう!

新苦労の適当コラム ありがとうございます。心より感謝申し上げます