ー豆餅の時間➖
※magazine「夏のソラノエ」篇より
青い空に浮かぶ白い雲が大きな魚や柔らかい渦巻きパンに見える。見えない風にゆらりと吹かれ、ちぎれてふわふわ漂う浮浪雲。ザラメが溶かされ空に向かって巻き上げられていく綿飴のようだ。何故か私に食べられてしまうことになる夏雲たち。食べきれないほどの入道雲が待ち遠しい。どんな姿になるのかな。
忙しく、しかもとびきり暑い日に、時間を割いて友人二人が遊びに来てくれた。あれ、二人を乗せて来た車は新しくオシャレなものに変わっている。スマートなVolvoだ。やはりオシャレな主人にとてもよく似合っている。聞けば乗って三年になるということ。
時間は留まることなく流れている。
手土産に、なんと、豆餅をいただいた。
あの人気店の豆餅だ。店の前には朝早くから人が並ぶ。その列は何重にも折り返し、向かいの道にまで及ぶこともある。
しっとりと白く粉を拭きながら、柔らかく甘い餅が絶妙な塩加減の黒豆を抱いている。昔はそれをむしゃむしゃと、いくつも口にしていた思い出がある。今はいつも車から横目で見ながらため息を出しつつ通り過ぎていく。「あかんでしょ」とぼやきも出る。我が家では幻クラスの伝説的存在になってしまった。水無月や草餅、桜餅もいいのに、巻き添えを食らっている。
前日に良い茶葉を買って冷茶を用意しておいて良かった。
美味しくいただきました。
友人との3時間の話題は、豆餅のこと、仕事のこと、教育のこと、いくつかの本と組織マネジメントについて、音楽とギター(また歌ってしまった)のこと、などなど。
話題はあちこち変わりながらも楽しく、そして、やはり時間は早く過ぎていった。
10年以上前に買っていた本を、久しぶりに書架から探し出して読んでいる。「徒然草」の解説本だ。これも大切な友人とのやりとりの中で読み返すことになった。
兼好法師が卜部兼好(うらべかねよし)となり時空を超えて語ってくれる。隠棲した双ヶ丘と、隣の船岡山の街並みやお店が目に浮かぶ。大正ロマンあふれる好きな銭湯もある。対して鴨川の東側には吉田兼好由来の吉田山がある。山頂付近の茂みの奥にあった、あの店はまだやっているのだろうか。やはり大正の茶室建築を活かした趣あふれるカフェである。
兼好法師が、まるで身近に暮らす知人のようだ。
市井の知識人は私の家の近くにも住んでいる。ギリシャ文学で高名な大学名誉教授の方は、いつも夏はステテコ姿で自転車に乗って、道で遊ぶ小さな子どもたちに優しい声掛けや挨拶をされている。以前に銀梅花(マートル)の苗をいただいた。その花を冠にした女神の名を忘れたと笑いながら玄関まで持って来られた。植え付けた苗は立派に育ち毎年白い花をつけ楽しませてくれている。
兼好が綴り、時は流れ、江戸の時代に注釈され、現代に解説される徒然草を読み進め、読み深め、心の中で語るにつれて、私とは微妙な感覚のズレが生じてくる。女性観など今ならありえない。袋叩きに遭うだろう。まあ、もっとも変わらぬ色気も見せてはいるが。
自分と比較すること自体がおかしいのは言うまでもないが、それを時代と恥ずかしいまでの思索レベルの違いとはせずに、まあ、多様性の尊重として考えておきたい。
友人達がさまざまな学びのファシリテーター(Facilitator)となり、人生を楽しませてくれている。
楽しい時間と美味しい時間はいつも横にある。
豊かさ(Well-being)は多様だ。
ありがとうございます。
友達。
豆餅。
徒然草。
※この記事はマガジン内「夏のソラノエ」に収録されています。
※マガジンには「春のソラノエ」、「学校とソラノエ」、「先生とソラノエ」のテーマ別に詩とエッセイ、教育エッセイを収録しています。
※それぞれ表現は異なりますが全てソラノエ塾の視点からのものです。



