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捜神記・巻四・七 白い車の使い

秦始皇三十六年。
使者の鄭容が関東から来た。
函関へ入ろうとして、
西へ進み華陰に至ったとき。
華山から下り、また上る、
素車白馬が見えた。
白い車。白い馬。
それは生きている白ではない。
死人の白に似ていた。
鄭容は、道の途中で止まり、待った。
疑ったのだ。人ではあるまい、と。
車は近づき、車上の者が言う。
「どこへ行く」
「咸陽へ」
すると車上の者は言った。
「吾は華山の使い。
一通の牘書を託したい。
鎬池君のところへ届けよ」
「子は咸陽へ行く道すがら、鎬池を過ぎる。
そこに大きな梓がある。文石もある。
石で梓を叩け。応える者がいる」
書は渡された。
鄭容は言われた通りにした。
石で梓を叩く。
すると本当に、
どこからともなく、受け取りに来る者が現れた。
翌年。
祖龍。秦始皇は死んだ。
白い車は、予告だったのだ。
王の寿命を告げる、山の使い。


解説
この話は、
「死は、前もって知らされることがある」という話です。
白い車と白い馬が現れます。
ただの白ではありません。
生きているものの白ではない。
死人の白です。
ここが重要です。
当時の人は、色にも意味があると考えていました。
白は、清らかさの色でもあります。
けれど同時に、死の色でもあります。
葬りの場で使われる色です。
だから、この白い車は、
最初から普通ではないものとして描かれています。
人のように見える。
けれど人ではない。
そういう存在です。
ここで出てくる「使い」という考え方も大事です。
山には山の主がいる。
水には水の主がいる。
そして、その意思を伝える者がいる。
この場合は、華山の使いです。
華山は特別な山です。
五岳の一つで、
天と地をつなぐ場所とされていました。
だから、その山から来る使いは、
ただの使者ではありません。
天の側の知らせを運ぶ者です。
鄭容は、その書を託されます。
届け方も不思議です。
池のそばにある木を、
石で叩く。
すると、受け取る者が現れる。
ここでも構造は同じです。
場所には意味がある。
行為にも意味がある。
正しい場所で、
正しいやり方をすれば、
見えないものと通じる。
それが当時の感覚です。
そして、翌年。
秦始皇が死にます。
ここで、この出来事の意味がはっきりします。
白い車は、
ただの不思議な存在ではありません。
王の死を知らせるものです。
しかも、
人の言葉ではなく、
山の側からの知らせです。
この話が示しているのは、
大きな出来事は、
前もって現れる、という考え方です。
特に、王の死のような大きな変化は、
いきなり起きるのではない。
天に兆しがあり、
それが地上に現れる。
その一つが、
この白い車です。
ここで大事なのは、
誰にでも見えるわけではない、という点です。
通りがかった者だけが見る。
書を預かる者が決まっている。
つまり、
知らせは、選ばれて届く。
この世界は、
ただ起きているのではなく、
順序をもって動いている。
山が告げる。
人が受け取る。
そして現実が起きる。
その流れが、
静かに描かれています。
白い車は、ただ通り過ぎたのではありません。
死の前に、
すでに来ていたのです。



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タオ ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 古い言葉を、今の人にも届く形で残していきたいと思っています。 応援していただけたら、とても励みになります。