チャンドーギヤ・ウパニシャッド第二篇—音は、世界に織りこまれている
火の中に、歌がある。
雨の中にも、歌がある。
太陽の光にも、ひとの息にも、同じ響きがある。
その響きを知る者は、世界を少し深く見る。
この第二篇は、少し読みにくい巻です。
同じ形の話が、何度も何度も出てくるからです。
火。
雨。
季節。
動物。
体。
太陽。
神々。
祭り。
それらが、ひとつずつ、
サーマンという聖なる歌に結びつけられていきます。
サーマンとは、
古代インドの祭りで歌われた歌です。
ただの歌ではありません。
神々へ向けて歌われ、
世界のしくみを映すものでもありました。
この篇では、世界そのものが、
ひとつの歌として見られています。
まず出てくるのは、
五つに分かれたサーマンです。
ヒンカーラ。
プラスターヴァ。
ウドギータ。
プラティハーラ。
ニダナ。
おおまかに言えば、ヒンカーラは、
歌い出す前の声です。
プラスターヴァは、歌の始まりです。
ウドギータは、歌の中心です。
プラティハーラは、歌が返ってくるところです。
ニダナは、歌のおさまりです。
この五つの流れが、地にも、火にも、空にも、
太陽にも、天にも当てはめられます。
雨にも当てはめられます。
風が来る。
雲が来る。
雨が降る。
稲光が走り、雷が鳴る。
そして雨が止む。
これも、ひとつのサーマンです。
季節も同じです。
春があり、夏があり、雨の季節があり、
秋があり、冬がある。
これも、世界の歌の一節です。
山羊、羊、牛、馬、人。
におい、言葉、見ること、聞くこと、心。
この篇は、あらゆるものを、
歌の流れとして見ていきます。
それは、何もかもを、
少し強引に歌へ結びつけているようにも見えます。
けれど、言おうとしていることは、
とても静かです。
世界は、ばらばらではない。
流れがある。
順番がある。
響き合いがある。
その響きを知ることが、
世界を知ることなのです。
途中から、
七つに分かれたサーマンも出てきます。
ヒンカーラ。
プラスターヴァ。
アーディ。
ウドギータ。
プラティハーラ。
ウパドラヴァ。
ニダナ。
アーディは、最初のものという意味です。
ここでは、オームと結びつけられます。
オームとは、古代インドの聖なる音です。
日本語にぴったり置きかえるのは難しい音です。
ただ、この篇では、
すべての言葉の根にある音として語られます。
すべての葉が、
一本の茎につながっているように。
すべての言葉は、オームにつながっている。
そう考えるのです。
太陽についての章も大切です。
夜明け前。
日の出。
朝の光。
真昼。
午後。
夕暮れ。
日没。
太陽の一日の動きが、
七つのサーマンとして見られます。
そこには、動物も、人も、鳥も、神々も、
生まれようとする命も、森の獣も、祖霊も、
よりかかっています。
太陽は、ただ空を行くだけではありません。
世界にいるものたちの命と、
静かにつながっているのです。
ブラフマンという言葉も出てきます。
ブラフマンは、この篇では、
世界の根にある大きなものです。
一人の神の名前というより、
言葉で言い切れない、
世界を支える本体のようなものです。
祭り。
学び。
施し。
苦行。
師の家での修行。
それらは大切な行いです。
けれど、いちばん深いところでは、
ブラフマンにしっかり立つ者だけが、
不死を得ると言われます。
ここでいう不死は、
ただ肉体が死なないことではありません。
死に飲みこまれないものへ近づくことです。
プラジャーパティも出てきます。
プラジャーパティは、
生きものを生み出す主のような存在です。
そのプラジャーパティが、
世界について深く思います。
すると、三つの知があらわれます。
さらに深く思うと、ブーフ、ブヴァハ、
スヴァハという三つの音があらわれます。
さらに深く思うと、オームがあらわれます。
世界の奥へ、奥へと進むと、
最後に音へたどり着く。
この第二篇は、それを語っています。
火を見ても、歌がある。
雨を見ても、歌がある。
季節を見ても、歌がある。
体を見ても、歌がある。
太陽を見ても、歌がある。
世界は、ただ物が並ぶ場所ではありません。
見えない歌が、そこに織りこまれています。
本文は、たしかに少し読みにくいです。
けれど、その重なりの中に、
古代インドの静かな感覚が残っています。
世界を、音として読む。
この第二篇は、そのための巻です。

SECOND PRAPÂTHAKA.
FIRST KHANDA.
第二篇
第一章
サーマン全体を、よいものとして思いなさい。
サーマンとは、よいものである。
古い人々は、何かがよいものであるとき、
こう言いました。
「それはサーマンである」
何かがよくないものであるときは、
こう言いました。
「それはサーマンではない」
人が誰かのもとへ、
正しい態度で近づいたときにも、
こう言われました。
「彼は、サーマンをもって近づいた」
反対に、心の形が整わず、
ふさわしくない近づき方をしたときには、
こう言われました。
「彼は、サーマンなしで近づいた」
サーマンは、ただの歌ではありません。
人と人のあいだにある、よい響きでもあります。
まことに、
これは私たちにとってサーマンである。
そう言うとき、それは、
これは私たちにとってよいものである、
という意味です。
まことに、
あれは私たちにとってサーマンではない。
そう言うとき、それは、
あれは私たちにとってよいものではない、
という意味です。
もし、このことを知る人が、
サーマンをよいものとして思うなら、
よい性質はその人へ近づいてきます。
風が草の上を渡るように。
水が低いところへ流れるように。
よいものは、
すみやかにその人のところへ来ます。
そして、たしかに、その人のものとなるのです。
SECOND KHANDA.
第二章
五つに分かれたサーマンを、
五つの世界として思いなさい。
ヒンカーラは、地です。
プラスターヴァは、火です。
ウドギータは、空です。
プラティハーラは、太陽です。
ニダナは、天です。
これは、下から上へとのぼる並びです。
足もとの地から、火が立ちます。
火の上に、空があります。
空に、太陽が輝きます。
その向こうに、天があります。
歌は、地からはじまり、
天へおさまっていきます。
けれど、くだる並びもあります。
ヒンカーラは、天です。
プラスターヴァは、太陽です。
ウドギータは、空です。
プラティハーラは、火です。
ニダナは、地です。
天から光がくだり、空を通り、火となり、
地へおさまります。
このことを知り、
五つに分かれたサーマンを世界として思う人には、
のぼる世界も、くだる世界も、
その人のものとなります。
世界は、上へ向かうだけではありません。
また、下へ帰るだけでもありません。
のぼる歌と、くだる歌。
その二つの流れの中に、人は立っているのです。
THIRD KHANDA.
第三章
五つに分かれたサーマンを、
雨として思いなさい。
ヒンカーラは、風です。
雨を運んでくる風です。
遠くの空で、風が動きます。
まだ雨は見えません。
けれど、雨の歌は、もう始まっています。
プラスターヴァは、雲が来た、ということです。
白い雲、黒い雲が、空に集まります。
そこに、歌の始まりがあります。
ウドギータは、雨が降る、ということです。
水の粒が、地へ落ちます。
草も、木も、畑も、その音を聞きます。
プラティハーラは、稲光が走り、雷が鳴る、
ということです。
空が光り、空が答えます。
歌は、強く返ってきます。
ニダナは、雨が止む、ということです。
雲がほどけます。
地は濡れています。
静けさが戻ります。
このことを知り、
五つに分かれたサーマンを雨として思う人には、
雨があります。
そして、その人は、
ほかの人々のためにも雨をもたらす者となります。
雨は、
ひとりのためだけに降るのではありません。
田にも、森にも、
知らない家の屋根にも降ります。
だから、雨のサーマンを知る人は、
世界の渇きにも目を向けるのです。
FOURTH KHANDA.
第四章
五つに分かれたサーマンを、
すべての水として思いなさい。
雲が集まるとき、それがヒンカーラです。
まだ水は空にあります。
風にのり、光を含み、静かにかたまっています。
雨が降るとき、それがプラスターヴァです。
空の水が、地へ降りてきます。
東へ流れていくもの、それがウドギータです。
西へ流れていくもの、
それがプラティハーラです。
水は、ひとつの場所にとどまりません。
川となり、流れとなり、
見えない道をたどります。
海、それがニダナです。
すべての水は、最後に広い海へおさまります。
そこでは、川の名も、谷の名も、雨の名も、
静かにほどけていきます。
このことを知り、
五つに分かれたサーマンをすべての水として思う人は、
水によって死ぬことがありません。
いや、その人は、水に豊かになります。
水は恐ろしいものでもあります。
けれど、水はまた、
命を育てるものでもあります。
その両方を知る人の心には、
深い流れが生まれるのです。
FIFTH KHANDA.
第五章
五つに分かれたサーマンを、
季節として思いなさい。
ヒンカーラは、春です。
土がやわらぎ、芽が少しずつ出ます。
歌の前の声のように、世界が目をさまします。
プラスターヴァは、夏です。
大麦などを収穫する季節です。
日ざしは強く、畑は働きます。
歌は、はっきり始まります。
ウドギータは、雨の季節です。
雲が厚くなり、水が満ちます。
世界の歌は、もっとも深く響きます。
プラティハーラは、秋です。
光が澄み、実りが返ってきます。
人は、手にしたものを見つめます。
ニダナは、冬です。
葉は落ち、土は静かになります。
歌は、そこでおさまります。
このことを知り、
五つに分かれたサーマンを季節として思う人には、
季節がその人のものとなります。
いや、その人は、いつも時にかないます。
春に春のことをし、夏に夏のことをし、
冬に冬の静けさを知る。
それが、時にかなうということです。
SIXTH KHANDA.
第六章
五つに分かれたサーマンを、
動物として思いなさい。
ヒンカーラは、山羊です。
プラスターヴァは、羊です。
ウドギータは、牛です。
プラティハーラは、馬です。
ニダナは、人です。
小さな山羊がいます。
毛のやわらかな羊がいます。
ゆっくり歩く牛がいます。
風のように走る馬がいます。
そして、人がいます。
それらは、
ばらばらに置かれているのではありません。
それぞれが、
歌のひとつの位置を分け持っています。
このことを知り、
五つに分かれたサーマンを動物として思う人には、
動物たちがその人のものとなります。
いや、その人は、動物に豊かになります。
ここでいう豊かさは、
ただ多く所有することだけではありません。
命あるものの息づかいを、
世界の歌として聞くことです。
SEVENTH KHANDA.
第七章
大きなものよりも、
さらに大きいサーマンがあります。
五つに分かれたそのサーマンを、プラーナ、
すなわち感覚のはたらきとして思いなさい。
ヒンカーラは、においです。
それは、鼻のはたらきです。
プラスターヴァは、言葉です。
それは、舌のはたらきです。
ウドギータは、見ることです。
それは、目のはたらきです。
プラティハーラは、聞くことです。
それは、耳のはたらきです。
ニダナは、心です。
においがあり、言葉があり、見ることがあり、
聞くことがあり、最後に心があります。
これらは、一つずつ、
前のものより大きいとされています。
なぜなら、世界は、
ただ鼻で嗅がれるだけではありません。
言葉となり、姿となり、音となり、
最後には心の中におさまるからです。
このことを知り、
大きなものよりもさらに大きいサーマンを、
プラーナとして思う人には、
大きなものよりもさらに大きいものが、
その人のものとなります。
いや、その人は、
大きなものよりもさらに大きい世界を手に入れるのです。
EIGHTH KHANDA.
第八章
つぎに、
七つに分かれたサーマンについて説きます。
七つに分かれたサーマンを、
言葉の中に思いなさい。
言葉の中に、フンという音があるとき、
それがヒンカーラです。
プラという音は、プラスターヴァです。
アーという音は、アーディです。
それは、最初の音です。
すなわち、オームです。
ウドという音は、ウドギータです。
プラという音は、プラティハーラです。
ウパという音は、ウパドラヴァです。
ニという音は、ニダナです。
言葉は、ただ意味を運ぶだけではありません。
その中には、音の骨があります。
息のかたちがあります。
このことを知り、
七つに分かれたサーマンを言葉の中に思う人には、
言葉が乳を与えます。
それは、言葉そのものの乳です。
その人は、食べものに豊かになり、
食べものを食べる力を持ちます。
言葉が、命を養う。
この章は、そのように語っています。
NINTH KHANDA.
第九章
七つに分かれたサーマンを、
太陽として思いなさい。
太陽は、サーマンです。
なぜなら、太陽はいつも同じだからです。
同じであることを、サマと言います。
だから、太陽はサーマンです。
また太陽は、すべての人に同じように見えます。
だれもが、
太陽は自分の方を見ていると思います。
だから、太陽はサーマンなのです。
すべての生きものが、
この太陽によりかかっていると知りなさい。
太陽がのぼる前のあり方。
それが、ヒンカーラです。
そこには、動物たちがよりかかっています。
だから動物たちは、日の出の前に、
ヒンと鳴きます。
それは、
このサーマンである太陽のヒンカーラを分
け持っているからです。
太陽が、はじめてのぼったときのあり方。
それが、プラスターヴァです。
そこには、人々がよりかかっています。
だから人は、ほめられることや、
名が知られることを好みます。
それは、
プラスターヴァを分け持っているからです。
太陽が、朝の高い時にあるあり方。
それが、アーディです。
アーディとは、最初のもの、
すなわちオームです。
そこには、鳥たちがよりかかっています。
だから鳥たちは、
支えがないのに空を飛びまわります。
自分で自分を支えています。
それは、アーディ、
すなわちオームを分け持っているからです。
太陽が、ちょうど真昼にあるあり方。
それが、ウドギータです。
そこには、神々がよりかかっています。
神々は、光り輝くものです。
だから、プラジャーパティの子孫の中でも、
もっともすぐれているとされます。
それは、ウドギータを分け持っているからです。
太陽が、昼を過ぎてから、
午後になる前にあるあり方。
それが、プラティハーラです。
そこには、すべての芽、
生まれようとするものがよりかかっています。
だから、宿された命は落ちません。
それは、
プラティハーラを分け持っているからです。
太陽が、午後を過ぎてから、
日が沈む前にあるあり方。
それが、ウパドラヴァです。
そこには、森の動物たちがよりかかっています。
だから森の動物たちは、人を見ると、
森という安全な隠れ場所へ走って逃げます。
それは、
ウパドラヴァを分け持っているからです。
太陽が、まさに沈みはじめるときのあり方。
それが、ニダナです。
そこには、祖霊たちがよりかかっています。
だから人々は、祖霊たちを下に置きます。
それは、ニダナを分け持っているからです。
このようにして、
七つに分かれたサーマンを太陽として思うのです。
朝から夕べまで、
太陽はひとつの歌を歌っています。
その歌の中に、動物も、人も、鳥も、神々も、
生まれる命も、森の獣も、死者たちもいます。
TENTH KHANDA.
第十章
つぎに、それ自体がひとつに整っていて、
死をこえさせる、
七つに分かれたサーマンを思いなさい。
ヒンカーラという言葉は、
原語では三つの音節からできています。
プラスターヴァという言葉も、
三つの音節からできています。
だから、これは等しいのです。
すなわち、サマです。
アーディ、すなわち最初の音であるオームは、
二つの音節からできています。
プラティハーラという言葉は、
四つの音節からできています。
余っている一つの音節を、こちらに取れば、
等しくなります。
これも、サマです。
ウドギータという言葉は、
三つの音節からできています。
ウパドラヴァという言葉は、
四つの音節からできています。
三つと三つなら、等しくなるはずです。
一つの音節が余ります。
けれど、その一つも、
三音節のまとまりに入ります。
だから、これも等しいのです。
ニダナという言葉は、
三つの音節からできています。
だから、これは等しいのです。
これらを合わせると、二十二の音節になります。
二十一の音節によって、人は太陽に達します。
そして、死に達します。
なぜなら、太陽はここから数えて、
二十一番目にあるからです。
しかし、二十二番目の音節によって、
人は太陽の向こうにあるものを手に入れます。
それは、さいわいです。
それは、悲しみから自由になることです。
このことを知り、それ自体がひとつに整い、
死をこえさせる七つに分かれたサーマンを思う人は、
この世において、太陽への勝利を得ます。
そして、その人には、太陽への勝利よりも、
さらに高い勝利があります。
それは、死をこえさせるものです。
たしかに、死をこえさせるものなのです。
ELEVENTH KHANDA.
第十一章
ヒンカーラは、心です。
プラスターヴァは、言葉です。
ウドギータは、見ることです。
プラティハーラは、聞くことです。
ニダナは、息です。
これは、五つのプラーナ、
すなわち感覚のはたらきの中に織りこまれた、
ガーヤトラ・サーマンです。
心が動きます。
言葉が出ます。
目が見ます。
耳が聞きます。
最後に、息があります。
息は、静かです。
けれど、すべてのはたらきの底にあります。
このように、
プラーナの中に織りこまれたガーヤトラを知る人は、
自分の感覚を保ちます。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
このようにガーヤトラを思う人の守るべきことは、
こうです。
「思い上がってはならない」
感覚を得ているからといって、
心を高くしすぎてはいけません。
見えることも、聞こえることも、
息があるから起こるのです。
TWELFTH KHANDA.
第十二章
ヒンカーラは、火を起こす木をこすることです。
まだ火は見えません。
木と木のあいだに、熱だけがあります。
プラスターヴァは、煙がのぼることです。
細い煙が、空へ向かいます。
火の歌が、姿を見せはじめます。
ウドギータは、火が燃えることです。
赤い光が立ちます。
闇が退きます。
プラティハーラは、炭が赤く光ることです。
火は静かになります。
けれど、内側に熱を持っています。
ニダナは、火がしずまることです。
ニダナは、火が消えてなくなることです。
これは、火の中に織りこまれた、
ラタンタラ・サーマンです。
このように、
火の中に織りこまれたラタンタラを知る人は、
光を帯びる者となります。
強い者となります。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
守るべきことは、こうです。
「火の前で、口をすすいではならない。
また、つばを吐いてはならない」
火は、ただ燃えるものではありません。
そこにも歌があるのです。
THIRTEENTH KHANDA.
第十三章
つぎに、
男女が結ばれることの中に織りこまれた、
ヴァーマデーヴィヤ・サーマンについて説きます。
女に言葉をかけること。
それが、ヒンカーラです。
女に思いを伝えること。
それが、プラスターヴァです。
女とともに横たわること。
それが、ウドギータです。
女と重なって横たわること。
それが、プラティハーラです。
その時に至ること。
それが、ニダナです。
終わりに至ること。
それもまた、ニダナです。
これは、
男女が結ばれることの中に織りこまれた、
ヴァーマデーヴィヤ・サーマンです。
ここでは、命が生まれる道も、
ひとつの歌として見られています。
人のからだは、軽いものではありません。
言葉をかけることも、思いを伝えることも、
身を寄せることも、
次の命へつながる静かな道の中にあります。
このように、
男女が結ばれることの中に織りこまれたヴ
ァーマデーヴィヤを知る人は、
男女の結びつきを得ます。
そして、その結びつきから、
子どもが生まれます。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「どの女も、退けてはならない」
この言葉は、古い時代の言葉です。
けれど、この章の底には、
命の道を粗末にするな、
という響きがあります。
FOURTEENTH KHANDA.
第十四章
太陽がのぼろうとするとき、
それがヒンカーラです。
空はまだ青く暗く、光は地平の下にあります。
太陽がのぼったとき、
それがプラスターヴァです。
世界は、朝の光を受けます。
太陽が真昼にあるとき、それがウドギータです。
光はもっとも高くなります。
影は短くなります。
太陽が午後にあるとき、
それがプラティハーラです。
光は、少しずつ返っていきます。
太陽が沈むとき、それがニダナです。
一日の歌は、夕暮れの中におさまります。
これは、太陽の中に織りこまれた、
ブリハット・サーマンです。
このように、
太陽の中に織りこまれたブリハットを知る人は、
光り輝く者となります。
強い者となります。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「太陽の熱さに、
決して不平を言ってはならない」
暑さもまた、太陽の歌の中にあるからです。
FIFTEENTH KHANDA.
第十五章
霧が集まります。
それが、ヒンカーラです。
雲がのぼります。
それが、プラスターヴァです。
雨が降ります。
それが、ウドギータです。
稲光が走り、雷が鳴ります。
それが、プラティハーラです。
雨が止みます。
それが、ニダナです。
これは、
雨の神パルジャニヤの中に織りこまれた、
ヴァイルーパ・サーマンです。
パルジャニヤとは、雨をもたらす神です。
雨は、空から降る水であると同時に、
命を養う力でもありました。
このように、
雨の神パルジャニヤの中に織りこまれたヴ
ァイルーパを知る人は、
さまざまな種類の家畜を得ます。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「雨に対して、決して不平を言ってはならない」
雨の日には、足もとがぬかるみます。
衣も濡れます。
けれど、雨がなければ、草も、穀物も、
家畜も生きられません。
そのことを忘れるな、とこの章は言うのです。
SIXTEENTH KHANDA.
第十六章
ヒンカーラは、春です。
プラスターヴァは、夏です。
ウドギータは、雨の季節です。
プラティハーラは、秋です。
ニダナは、冬です。
これは、季節の中に織りこまれた、
ヴァイラージャ・サーマンです。
春は、歌の前の声のようです。
夏は、歌が始まるときの明るさです。
雨の季節は、歌の中心です。
秋は、歌が返ってくるときです。
冬は、歌がおさまるところです。
このように、
季節の中に織りこまれたヴァイラージャを知る人は、
子どもによって輝きます。
家畜によって輝きます。
顔の光によって輝きます。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「季節に対して、
決して不平を言ってはならない」
寒い日にも、暑い日にも、
それぞれの役目があります。
季節は、世界の大きな息なのです。
SEVENTEENTH KHANDA.
第十七章
ヒンカーラは、地です。
プラスターヴァは、空です。
ウドギータは、天です。
プラティハーラは、方角です。
ニダナは、海です。
これらは、世界の中に織りこまれた、
シャクヴァリー・サーマンです。
足もとの地があります。
ひろがる空があります。
その上に、天があります。
四方には、方角があります。
そして最後に、海があります。
海は、すべての流れを受けます。
遠い山の水も、近い雨の水も、そこへ帰ります。
このように、
世界の中に織りこまれたシャクヴァリーを知る人は、
世界を持つ者となります。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「世界に対して、
決して不平を言ってはならない」
世界は、思い通りにはなりません。
それでも、そこに歌があると知る人は、
すぐに世界を憎まないのです。
EIGHTEENTH KHANDA.
第十八章
ヒンカーラは、山羊です。
プラスターヴァは、羊です。
ウドギータは、牛です。
プラティハーラは、馬です。
ニダナは、人です。
これらは、動物の中に織りこまれた、
レーヴァティー・サーマンです。
山羊が鳴きます。
羊が歩きます。
牛が草を食べます。
馬が走ります。
人が、それらのそばに立っています。
命あるものは、それぞれに違います。
けれど、それぞれが、ひとつの歌の中にいます。
このように、
動物の中に織りこまれたレーヴァティーを知る人は、
動物に豊かになります。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「動物に対して、
決して不平を言ってはならない」
動物もまた、
世界の歌を分け持っているからです。
NINETEENTH KHANDA.
第十九章
ヒンカーラは、髪です。
プラスターヴァは、皮膚です。
ウドギータは、肉です。
プラティハーラは、骨です。
ニダナは、骨髄です。
これは、体の部分の中に織りこまれた、
ヤジュニャーヤジュニヤ・サーマンです。
髪は、体の外にあります。
皮膚は、体を包みます。
肉は、体を満たします。
骨は、体を支えます。
骨髄は、そのさらに奥にあります。
体もまた、外から内へ向かう歌です。
このように、
体の部分の中に織りこまれたヤジュニャー
ヤジュニヤを知る人は、
強い手足を持つ者となります。
体のどの部分も、不自由になりません。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「一年のあいだ、骨髄を食べてはならない」
あるいは、こうも言われます。
「骨髄をまったく食べてはならない」
体の奥にあるものを、軽く扱ってはならない。
そんな古い畏れが、ここにはあります。
TWENTIETH KHANDA.
第二十章
ヒンカーラは、火です。
プラスターヴァは、風です。
ウドギータは、太陽です。
プラティハーラは、星です。
ニダナは、月です。
これは、神々の中に織りこまれた、
ラージャナ・サーマンです。
火が赤く燃えます。
風が通ります。
太陽が輝きます。
星が夜にまたたきます。
月が静かに満ち欠けします。
それらは、人の手には収まりません。
だから、神々の領分として見られました。
このように、
神々の中に織りこまれたラージャナを知る人は、
神々と同じ世界を得ます。
神々と同じ幸せを得ます。
神々と同じ仲間に入ります。
命をまっとうします。
長く生きます。
子どもと家畜によって大きくなります。
名声によっても大きくなります。
その人の守るべきことは、こうです。
「ブラーフマナたちを、悪く言ってはならない」
ブラーフマナとは、
祭りと聖なる言葉を守る人々です。
古い世界では、その言葉が、
神々への道を開くものと考えられていました。
TWENTY-FIRST KHANDA.
第二十一章
ヒンカーラは、三つの知です。
プラスターヴァは、この三つの世界です。
ウドギータは、アグニ、すなわち火であり、
ヴァーユ、すなわち風であり、
アーディティヤ、すなわち太陽です。
プラティハーラは、星であり、鳥であり、
光の筋です。
ニダナは、蛇であり、ガンダルヴァであり、
祖霊です。
ガンダルヴァとは、
天上に属する霊的な存在です。
歌や香り、
天の気配と結びつけられる者たちです。
これは、
すべてのものの中に織りこまれたサーマンです。
このように、
すべてのものの中に織りこまれたこのサーマンを知る人は、
すべてのものとなります。
そして、つぎの詩では、
このように言われています。
五つに分かれた三つのものがある。
三つの祭りの知。
三つの世界。
そのほか、サーマンのさまざまな形。
これらより大きなものは、ほかには何もない。
これを知る人は、すべてを知ります。
すべての方角は、
その人に贈りものをささげます。
その人の守るべきことは、こうです。
「自分はすべてであると知って、
サーマンを思いなさい。
そうである。
自分は、すべてであると知って、思いなさい」
ここでは、世界と自分の境が、
静かに薄くなります。
自分は小さな一人でありながら、
世界の歌を分け持つ者でもある。
そのことを知れ、とこの章は告げています。
TWENTY-SECOND KHANDA.
第二十二章
ウドギータについて、
ある詩人はこう言いました。
「わたしは、家畜によいものとして、
サーマンの深く響く音を選ぶ」
深く響く音は、アグニ、すなわち火に属します。
はっきりしない音は、
プラジャーパティに属します。
はっきりした音は、ソーマに属します。
ソーマとは、
祭りに深く関わる聖なる飲みもの、
またはその神格です。
やわらかく、なめらかな音は、ヴァーユ、
すなわち風に属します。
なめらかで、力強い音は、インドラに属します。
インドラは、力ある神です。
鷺の声のような音は、
ブリハスパティに属します。
ブリハスパティは、
祈りや祭りの知に関わる神です。
にぶい音は、ヴァルナに属します。
ヴァルナは、秩序や誓いに関わる神です。
人は、これらすべての音を身につけなさい。
ただし、ヴァルナの音だけは避けなさい。
歌う人は、歌によって、
神々のために不死を得たいと願いながら歌いなさい。
そして、歌い手であるウドガートリは、
心の中でこう思いながら讃歌を歌いなさい。
「わたしは、この歌によって、
祖霊たちのために供えものを得よう。
人々のために、望みを得よう。
動物たちのために、飼い葉と水を得よう。
祭りを行う人のために、天を得よう。
自分自身のために、食べものを得よう」
このように心に思い、
発音などをまちがえずに、讃歌を歌いなさい。
すべての母音は、インドラに属します。
すべての摩擦する音は、
プラジャーパティに属します。
すべての子音は、ムリティユ、
すなわち死に属します。
もし、だれかが、
その人の母音について責めるなら、
その人はこう言いなさい。
「わたしは、母音を発するとき、
インドラをよりどころとした。
インドラが、おまえに答えるだろう」
もし、だれかが、
その人の摩擦する音について責めるなら、
その人はこう言いなさい。
「わたしは、
プラジャーパティをよりどころとした。
プラジャーパティが、おまえを打ち砕くだろう」
もし、だれかが、
その人の子音について責めるなら、
その人はこう言いなさい。
「わたしは、ムリティユ、
すなわち死をよりどころとした。
死が、おまえを灰にするだろう」
すべての母音は、声をこめて、
力をこめて発音しなければなりません。
それは、
ウドガートリがインドラに力を与えるためです。
すべての摩擦する音は、
飲みこまれたように発音してはなりません。
また、
投げ出されたように発音してもなりません。
よく開いて、
はっきり発音しなければなりません。
それは、
ウドガートリが自分自身をプラジャーパテ
ィにささげるためです。
すべての子音は、
ゆっくり発音しなければなりません。
音をつめこまず、
一つずつ発音しなければなりません。
それは、ウドガートリがムリティユ、
すなわち死から、自分を遠ざけるためです。
ここでは、声そのものが祭りです。
音の一つ一つに、神々と死が宿っています。
だから歌う者は、
ただ声を出すのではありません。
命を整えるように、音を発するのです。
TWENTY-THIRD KHANDA.
第二十三章
法には、三つの枝があります。
祭りを行うこと。
学ぶこと。
人に施すこと。
これが、第一です。
苦行。
これが、第二です。
師の家に住み、
ブラフマチャーリンとして暮らすこと。
そして、師の家で、
いつも自分の体をきびしく整えること。
これが、第三です。
ブラフマチャーリンとは、
師のもとで学ぶ修行者です。
学ぶだけではありません。
身を慎み、生活を整え、
知の近くに身を置く者です。
これらはみな、さいわいある世界を得ます。
しかし、ブラフマンにしっかり立つ者だけが、
不死を得ます。
祭りも、学びも、施しも、苦行も、
修行も大切です。
けれど、それらはまだ道です。
その道の奥に、ブラフマンがあります。
世界を支える、言葉にならない大きなものです。
プラジャーパティは、
いくつもの世界について、
深く思いをこらしました。
そのように深く思われた世界から、
三つの知があらわれました。
それは、祭りの知です。
プラジャーパティは、その三つの知について、
また深く思いをこらしました。
そのように深く思われた三つの知から、
三つの音があらわれました。
ブーフ。
ブヴァハ。
スヴァハ。
プラジャーパティは、その三つの音について、
さらに深く思いをこらしました。
そのように深く思われた三つの音から、
オームがあらわれました。
すべての葉が、
一本の茎につながっているように、
すべての言葉は、オームにつながっています。
オームは、このすべてです。
そうです。
オームは、このすべてなのです。
世界を深く思うと、知があらわれます。
知を深く思うと、音があらわれます。
音を深く思うと、オームがあらわれます。
最後に残るのは、声になる前の響きです。
TWENTY-FOURTH KHANDA.
第二十四章
ブラーフマナたち、
すなわちヴェーダを教える者たちは、
このように言います。
朝の供えものは、ヴァスたちに属します。
昼の供えものは、ルドラたちに属します。
第三の供えもの、すなわち夕方の供えものは、
アーディティヤたちと、
ヴィシュヴェ・デーヴァたちに属します。
ヴァス、ルドラ、アーディティヤ、
ヴィシュヴェ・デーヴァ。
それらは、古代インドの神々の名です。
全部を覚える必要はありません。
大切なのは、祭りには時があり、
向かう神々があり、
開くべき世界の扉があるということです。
では、祭りを行う人の世界は、
どこにあるのでしょうか。
これを知らない人が、
どうして祭りを行うことができるでしょうか。
知っている人だけが、祭りを行うべきです。
朝の讃歌、
プラータラヌヴァーカが始まる前に、
祭りを行う人は、ガールハパティヤ、
すなわち家の祭壇の後ろにすわります。
そして北を向き、ヴァスたちに向けて、
サーマンを歌います。
「世界の扉を開け。
地の世界の扉を開け。
わたしたちが、
あなたを見ることができるように。
そして地の上で、治めることができるように」
それから、彼は供えものをささげて、
こう言います。
「地に住むアグニよ。
世界に住むアグニよ。
あなたを礼拝します。
祭りを行う私のために、
その世界を得させてください。
それが、祭りを行う者の世界です」
「この命が終わったなら、私はそこへ行きます。
これを受け取ってください。
かんぬきを押し戻してください」
こう言って、彼は立ち上がります。
その人のために、ヴァスたちは、
朝の供えものを成しとげます。
昼の供えもの、
マーディヤンディナ・サヴァナが始まる前に、
祭りを行う人は、
アーグニードリヤ祭壇の後ろにすわります。
そして北を向き、ルドラたちに向けて、
サーマンを歌います。
「世界の扉を開け。
空の世界の扉を開け。
わたしたちが、
あなたを見ることができるように。
そして空に広く、治めることができるように」
それから、彼は供えものをささげて、
こう言います。
「空に住むヴァーユよ。
世界に住むヴァーユよ。
あなたを礼拝します。
祭りを行う私のために、
その世界を得させてください。
それが、祭りを行う者の世界です」
「この命が終わったなら、私はそこへ行きます。
これを受け取ってください。
かんぬきを押し戻してください」
こう言って、彼は立ち上がります。
その人のために、ルドラたちは、
昼の供えものを成しとげます。
第三の供えものが始まる前に、
祭りを行う人は、
アーハヴァニーヤ祭壇の後ろにすわります。
そして北を向き、アーディティヤたちと、
ヴィシュヴェ・デーヴァたちに向けて、
サーマンを歌います。
「世界の扉を開け。
天の世界の扉を開け。
わたしたちが、
あなたを見ることができるように。
そして天において、
もっとも高く治めることができるように」
これは、アーディティヤたちに向けたものです。
つぎに、
ヴィシュヴェ・デーヴァたちに向けたサーマンを歌います。
「世界の扉を開け。
天の世界の扉を開け。
わたしたちが、
あなたを見ることができるように。
そして天において、
もっとも高く治めることができるように」
それから、彼は供えものをささげて、
こう言います。
「天に住むアーディティヤたちよ。
天に住むヴィシュヴェ・デーヴァたちよ。
世界に住む神々よ。
あなたがたを礼拝します。
祭りを行う私のために、
その世界を得させてください」
「それが、祭りを行う者の世界です。
この命が終わったなら、私はそこへ行きます。
これを受け取ってください。
かんぬきを押し戻してください」
こう言って、彼は立ち上がります。
その人のために、アーディティヤたちと、
ヴィシュヴェ・デーヴァたちは、
第三の供えものを成しとげます。
これを知る人は、祭りのすべての量を知ります。
そうです。
その人は、それを知るのです。
朝に地の扉を開きます。
昼に空の扉を開きます。
夕べに天の扉を開きます。
祭りとは、
ただ火に供えものを入れることではありません。
世界の扉の前に立ち、声を整え、
行くべき場所を願うことです。
そして、その願いもまた、
サーマンという歌の中にあるのです。
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