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鯨の轍〜新入り埋文調査員の日々〜 第6話

 その晩はなかなか寝付けなかった。教授の言葉が頭の中で、何度も何度もリピートされたからだ。
「石上さんは、山で鯨を見つけたんだ」
 父は軽い内輪話をしただけかも知れない。
 なぜなら教授は伊佐摺渓谷に足を踏み入れておらず、詳しく話を訊いたわけでもなさそうだった。
 父は教授になぜ詳しい話をしなかったのか。おそらく確信が持てなかったからに違いない。
 あくまで仮定だけど、単独で渓谷に行ったのなら、上流で「何か」を見つけていた可能性もある。
 事実、日本でも恐竜の化石が発掘され続けている。福井県で恐竜の化石を最初に発見したきっかけは、崖でワニの骨を見つけたことだという。
 山の中には手つかずの化石が未知数レベルで遺されている。滝や川の侵食によって化石が姿を現すのは、稀有な偶然が重なってのことなのだ。
 教授は万葉集の短歌のことは判らないと話した。ただ僕と同じ考えを示された。
「水がないと生き物は死んでしまう。太古の昔、日本の内陸にまで海があったことを鯨は教えてくれているね。そして何らかの原因、例えば、鯨は引き潮によって帰れなくなり、息絶えてしまったのかも知れない。そうして幾年月も経ち、やがて地殻変動が起きて隆起した」
「それで、山の鯨ということですか」
 吉野さんが教授の発言に続いた。帰れなくなった鯨のことまで父が考えていたのなら、たしかに万葉集の短歌に思いを重ねたのかもしれない。
 もう一度あの場所に行きたい。鯨を探したい。父の思いを辿りたい。
 
 そんな思いが日に日に強くなる頃、ようやく三輪先輩と渓谷往きのバスに乗り込むことが叶った。と言うより、吉野さんと僕のことを根掘り葉掘り聞かれ、困った僕が先輩の機嫌を直すために、約束を取り付けたようなものだった。
 九月も中旬を過ぎている。
 山の秋の訪れは早い。窓から観る渓谷はしずかに季節を迎え入れようとしていた。以前は青モミジだったのに、段々と色づき始めている。
 三輪先輩は誰に言うともなく呟いた。
「山奥だな」
 何気ないひと言に聴こえるが、先輩は美しい景色など眼中にない。化石しか頭にないのだ。先輩の気合いの入れようは凄まじく、まるで犯人を追い詰める刑事のようだと思った。
 現場では困ったことが起きていた。
 川原に降りる鉄梯子が下半分ごっそりと失われていたのだ。三輪先輩は途端に機嫌が悪くなった。
「これじゃあ降りられないじゃないか!」
「前に来たとき錆びてたので、流されたのかも知れませんね」
 僕がどうしたものかと思案していると、先輩はリュックを足元において物色し、ロープを取り出した。
「先輩、何でそんな物を持ってるんですか」
「葛城、いいか。こういう時のために備品は常に身につけておくんだ」
 先輩はロープの端を素早くガードレールに巻き付けると、もう一方を自分の腰に巻きつけた。そして5メートル程の段差をするすると跳ねるように降りてゆく。まるで有名映画の考古学者を見ているようだった。
「葛城も降りてこい」
 早くも下に降りた先輩は、僕に向かってロープを投げた。
 先日の水かさが嘘のように水位が下がっていた。身の危険を感じたあの日を思い出すと、今でも背筋がゾッとする。
 里山の秋は陽が落ちるのも早い。切り上げ時も見定めなくては危険度も増す。常にリスクを考えなくてはいけない。
 先輩は川原を這いずり回っていた。僕も色を目安にして探し始めた。目当てはもちろん化石だ。
 鉄梯子を失ったせいか、積まれた石が無くなっていた。おそらく増水で流されたのだろう。新たに石を積もうにも、鉄梯子がなくては川原まで降りられない。あの綺麗な女の人はもう来られないのだろうか。
「こりゃなんだ、黒いぞ」
 麻薬を嗅ぎまわる犬のような先輩が声を上げた。僕は急いで駆け寄った。
 先輩の手のひらには関節のような物が乗っている。動物の物だろうか。やはり色は黒かった。
「凄いじゃないですか!」
「葛城、今度はもっと上流で探してみないか」
「そうですね。まず切り立った崖を見つけるのが良さそうですね」
 最終バスの時間も迫り、その日は引き上げることとなった。

 後日、先輩が持ち前の機転を利かせて、渓谷最寄りの埋蔵文化財センターへ連絡を入れてくれた。すると意外な応えが返ってきた。
「年代は特定できませんが、あの川原では流れつくものを焼いていたようです。魚や動物、そして、人も」
「燃やした? 人を?」
 僕はとても動揺した。只事ではない。でも先輩はいたって落ちついていた。
「年代にもよるが、昔は焼却場も何もない。葛城君も知っているだろう。海や川に遺骸を流していたし、少しも驚くことはない」
 たしかに昔は屍人を野焼きで弔ったり、土を掘って土葬もした。それが日常だった。
 渓谷の骨の解明は時がかかりそうだ。埋没する場所が判明しないため、発掘作業ができない。気の遠くなる話だ。でも僕は粘り強く探し当てるつもりでいる。
「どうだ葛城君。これは相談なんだが、時々渓谷へ探検に行かないか。ただ、これは仕事ではない。そこは解るよな」
「先輩。その件ですが、場所を変えてもいいですか」
「なんでだ。出し惜しみか」
「ち、違いますよ。渓谷のもっと上流、伊佐摺山に行きたいんです」

 伊佐摺山は登山道が整備されておらず、今も手つかずの自然が残されているという。化石が川原まで辿り着くのなら、もっと上に何かあると考えても良いのではないか。
 僕の憶測に先輩は目を瞠った。
「葛城は大胆な発想をするな」
「大袈裟ですよ。父の書斎で見た事があるんです。伊佐摺山には二つの頂きがあって、間の窪地は雨の多いときに湖のようになるんです。夏の晴天が続くと渇水しますけど」
「ちょっと待て。窪地と川がどう繋がるんだ。伊佐摺川は山を迂回しているだろう」
 先輩は怪訝そうな表情で突っ込みを入れた。
「窪地は大雨や雪解け水で水嵩が増すと、水が溢れ出して滝になります。そして下流で川に合流する。レアケースですよね」
「ややこしいな。窪地から落ちる水は伊佐摺川に流れ込むのか……」
「ただ、伊佐摺山には懸念もあります。僕も調べてみたんですが、登山道として開放されていなくて、本にも出てないんです」
 先輩は少し考え込んだ。そして、
「よしわかった。確かめるとしよう。じゃあアイツを連れて行かねばな」
 アイツとは誰のことだろうか。
 段取りは三輪先輩がつけてくれた、と言うより強引に予定を組まれてしまった。
「今週末は予定を入れるなよ。それと俺は高い所が苦手だから、山登りが得意でない。だから助っ人を連れて行く」
 僕はふと、崖をロープで降りた先輩を思いだした。どうも怪しい。高所が苦手と言うのは本当だろうか。
「助っ人って、誰のことですか」
「あそこにいるアイツだ」
 先輩が指さしたのは意外な人物だった。
〈続く〉

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