美術のウンチク、いくら読んでも入ってこない
美術館へ行って展覧会の絵を見る時
絵の横にある注釈や解説文などを読むと
まぁー小難しい言葉が並んで頭に入ってこない
習作、素描、構図、画風、写実主義、象徴主義、主題、モチーフ、メチエール…
まるで暗号
そしてよくわからないモヤモヤを抱えて、
やっぱり絵の良さもわからないまま
数々の絵の前をつまらなそうに、
「ゆっくり歩行」で素通りして行くことが常だったし、立ち止まったとしても感情を揺さぶられるなんてそうそうなかった
なんなら美術館博物館苦手勢
そんな私が大学で美術史を専門で専攻しなければいけないという、
下調べ不足による大学選びの大失敗のお陰で、
入学後悪夢のような授業をはしごしながら
眠気と戦って時間をやり過ごしていた時
ある一枚の絵が、私の美術への扉を開くこととなりました
その絵がこれ↓
エデュアール・マネの「草上の昼食」 /1863
「家に飾りたい」と思う部類の絵ではなく…、
失礼ながら🤭
場所はフランス、時は印象派が出てくるのとほぼ同時期の1863年に発表されたこの絵画
これは批評家たちに散々酷評されたスキャンダラスな絵でした
しかも「落選者展」
色々細かい美術史視点、そして構図や手法も面白いことあるけれど、書きだすと情報量多くて美術に興味ない人にはつまらなくなるので(私がそうだった)全部端折ります🤭
さて、私がそれまで授業で学んでいた美術は、
「構図」とか、使用される「色」とか、「光」の当たり方とか、技術的なことが多かった中で
「スキャンダル」
ってワードがまず「どういうこと?」って
私の興味を惹きつけた
そもそも芸術って表現自由だし、この絵の何がどうスキャンダルなのよ?
大体裸の女性なんてそれまでだって普通に描かれてるし、裸の男女が絡み合った彫刻だって
もっと昔から普通にあったよね?
なのになんでダメなの?これが
神話とか宗教のワンシーンとして
裸体って色々描かれてるよね????
…そうなんです、この絵に描かれてる裸婦は
神話や宗教由来のテーマでもなく
「当時の時代の普通の女性」を裸で描いた
そして横には
「当時の服装の普通の男性たちが座っている」
と言うことがスキャンダルだったんです
それまで
「これはヴィーナスです」
と言えば裸でも芸術扱いだった
ところがマネは
「いや、パリにいる普通の女性ですよ」
という描き方をした
裸婦は昔から描かれていた
ギリシャ神話にも、宗教画にも、ルネサンスの名画にも
けれどこの時人々が本当に驚いたのは、
裸そのものではなかった
その裸婦がヴィーナスではなく、
今この街を歩いている現実の女性だったこと
神話という舞台装置も、
宗教という大義名分もなく、
「これは現代のパリの女性です」
と、マネが平然と差し出してみせたことだった
考えてみれば不思議、同じ裸なのに
女神なら芸術で、隣町の女性になるとスキャンダルになる
人は何を見ていたのだろう
裸を見ていたのか
それとも、裸を正当化するための物語を見ていたのか
マネが描いたのは裸ではなく
「芸術の建前をはぎ取った現実」
だったのかもしれない
そんなことを知り、考え始めた時
私にとって美術館の絵は、単なる「上手な絵」ではなくなった
構図や画風がわからなくてもいい
写実主義や象徴主義を知らなくてもいい
一枚の絵の向こう側で、
当時の人々が何に驚き、
何に怒り、
何を隠そうとしていたのか
そんな人間くさい物語を探し始めると、
急に絵画は面白くなる
たぶん私が好きなのは絵そのものというより、
絵の中に閉じ込められた時代の価値観なのかもしれません
そして『草上の昼食』は、
そんな寄り道の楽しさを私に最初に教えてくれた一枚だったのです
実は卒論のテーマの一部にもしたこの絵
パリのオルセー美術館に所蔵されているのですが
実際にその絵を前にした時、
色んな感情が押し寄せて胸が熱くなり涙が出て来ました
絵画を前に涙が出たのは、その時が初めてでした
懐かしい思い出
当時、ゼミの先生から
「専門的な知識がないうちは、美術史を勝手に自分の言葉で語るべからず」
と教わりました
その言葉は今でもどこか頭の片隅に残っています
だから私は、美術史を解説する人ではなく、あくまで一人の観覧者として絵を眺めています
難しいことはわからなくても、「なんだか気になる」「なぜか心に残る」
そんな寄り道のような視線で、美術史そのものを勝手に解釈してしまわないよう心掛けながら
これから美術について語っていけたらと思っています
あしからず😉
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