気分よく過ごす
いつも気分良く過ごそうと思っても、これにもなかなかの苦労がある。
鈍感な人は敏感な人を「気にしい」と言い、敏感な人は鈍感な人を「雑すぎる」と言う。
何千年と行われてきた会話だ笑。
普段自分や人のことを気にしても細かな衝突が起こるから、どっちかというと鈍感に生きようと気をつけていたら「鈍感だよね〜」と言われて「ほんとは気にしてるんだけど! それを気づかないアナタのほうが鈍感だろ!」と思うんだけどそれを気にしてもストレスだから、そうだよねぇ〜と流す鈍感力をさらに問われるのだ笑。あるあるだ。
また、敏感な人は「そんなに気にしても他人は変えられないんだから気にせず生きることだよ」とアドバイスされても、気になることを気にしないで生きることのほうがもっとストレスだったりする。
このように人の「心」の基準を合わせるというのはとても難易度が高いので、「技」や活動に頼ることになる。自分のできる作業や、趣味や、仕事をして、そのフィルターの向こうに人間が居るようにする。もしくは釣りなどしていれば仕掛け作ったり魚を触っているだけで人間と話もしない。
蟻が蟻を理解してないように、人間が同じ人間を明確に客観視できないですよね。。。だからモノや生き物や活動に間に入ってもらう。
さて、、、自分の活動を見つけたぞ、と思ったら、今度は歳をとる、という軸が現れてくる。
年齢が上がっていくにつれて、その活動基準も下げていく。啓発本とかには「人生は60代から」とかタイトルもあるんですが、そんなことあります???
私はそこまで陽キャじゃないのでそんな風に思えません笑。
30代だと1日でできたことが、50代が近づくと到底できなくなった。残念だとは思うけど老いてるんだから仕方ない。
みんな赤ちゃんのときは色んなことを身につけ出来ることが増えていくから一旦「万能感」を持ち、青年になると「世間で自分にできることって何かなあ?」という「有能感」に切り替わる。これがうまく行かないと、「私は何もできない人間だ」という思いとか「自分探し」が長引く。
歳をとるとその逆が生じて、出来るようになったことが失われたり、やることを絞ったりしていく。あんまり言うと終活みたいだけど、終活なんだろう笑。
広い有能感を持って生活するタイミングや、その期間にも個人差があり、私は迷い、その時期が遅かったほうだと思うし、体力も大したことない。人生は不可逆だからほかの「世界線」は考えず、諦めています。
