第二部 身体を読む 第4回 ―健康とは何か
はじめに
「健康になりたい。」
私たちは、ごく自然にそう願います。
では、健康とは何でしょうか。
病気がないことでしょうか。
血液検査の数値が正常であることでしょうか。
毎日元気に働けることでしょうか。
痛みや不調が何もないことでしょうか。
もちろん、それらは健康を考えるうえで、とても大切なことです。
けれど、臨床の現場で多くの方と出会う中で、私は何度も立ち止まる場面がありました。
検査では「異常なし」と言われるのに、つらさを抱えている人。
病気があっても、自分らしく穏やかに暮らしている人。
身体に不自由さがあっても、日々の中に深い喜びを見つけている人。
その姿を見ていると、「健康」という言葉は、もっと広く、もっと深いものではないかと思うようになりました。
ある患者さんから言葉
作業療法士として病院で働き始めた頃、私は「できること」が増えることが健康につながると思っていました。
歩けるようになること。
食事が自分でできるようになること。
仕事に戻れるようになること。
もちろん、それらはとても大切です。
けれど、ある患者さんが退院の日に、こんな言葉を話してくださいました。
「先生、前みたいには歩けないけれど、また庭で花の世話を出来るようになったんです。」
そのとき、私は気づきました。
その方にとって健康とは、「百メートル歩けること」だけではありませんでした。
毎朝、自分の庭に出ること。
季節の花を眺めること。
土の匂いを感じること。
風に触れること。
その時間を取り戻せたことが、その人にとっての「健康」だったのです。
健康とは、単に身体機能の高さだけで決まるものではない。
その人が、その人らしい暮らしを取り戻していくことの中にも、健康は宿っている。
そのことを、私はその方から教えていただいたように思います。
健康とは
世界保健機関、WHOは1948年に健康を次のように定義しました。
健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に病気や虚弱でないことではない。
これは、とても重要な定義です。
健康とは、ただ病気がないことではない。
身体だけでなく、心や社会との関係も含めて考える必要がある。
この視点は、今でも大切にされるべきものだと思います。
さらに後年、WHOでは健康の定義に関して、次のような表現も提案されました。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
ここで注目したいのは、
dynamic と spiritual という言葉です。
dynamicとは、動的であるということ。
つまり健康は、固定された完成形ではなく、常に変化し続けるものだという視点です。
そしてspiritualとは、霊的、あるいは精神的な深さに関わる側面です。
これは特定の宗教を意味するものではありません。
むしろ、
自分は何のために生きているのか。
何に支えられているのか。
人生にどのような意味を感じているのか。
そうした、人間の奥深い領域を含んだ言葉として受け取ることができます。
この提案は正式な定義として採択されたものではありませんが、健康をより全体的に捉えるうえで、とても示唆に富んでいます。
健康とは、身体だけの問題ではない。
そして、静止した状態でもない。
健康とは、揺れながら、変化しながら、なお自分自身に戻っていく力なのかもしれません。
東洋医学では、人は身体だけでできているとは考えません。
気が巡り、血が巡り、水が巡る。
季節と響き合い、感情と身体が影響し合いながら、一つの生命として生きている。
怒りが続けば、身体はこわばることがあります。
不安が強ければ、呼吸は浅くなることがあります。
考えすぎれば、胃腸が重くなることがあります。
悲しみが深ければ、胸が閉じることがあります。
心と身体は、別々ではありません。
東洋医学には、
標本同治(ひょうほんどうち)
治病求本(ちびょうきゅうほん)
という考え方があります。
「標」とは、表に現れている症状のこと。
「本」とは、その奥にある根本のこと。
標本同治とは、現れている症状を大切にしながら、その根本にも目を向けるという考え方です。
治病求本とは、病を治すには、その本を求めよ、という意味です。
たとえば肩こりがある。
頭痛がある。
不眠がある。
胃の不調がある。
もちろん、まずそのつらさを和らげることは大切です。
痛みが強いとき、眠れないとき、症状を軽くすることは、その人の生活を守るために必要です。
けれど、それだけで終わらせてよいのか。
なぜ肩に力が入り続けているのか。
なぜ眠れないほど、神経が休まらないのか。
なぜ胃が重くなるほど、何かを抱え込んでいるのか。
そうした問いを持つことも、同じくらい大切なのではないでしょうか。
雑草の葉だけを刈っても、根が残っていればまた生えてくることがあります。
身体の症状も、それと似ているところがあります。
表に現れた症状だけを見るのではなく、
その奥にある生活、感情、環境、関係性、生き方にも目を向ける。
そこに、東洋医学やホリスティックな健康観の深さがあります。
多角的な視点、多層構造
私は健康を考えるとき、「階層」という視点も大切にしています。
人間は、いくつもの層が重なり合って生きています。
環境の層。
身体の層。
気やエネルギーの層。
感情や思考の層。
無意識や深い記憶の層。
人生の意味や魂の方向性に関わる層。
これは、一つの見方です。
絶対的な答えではありません。
けれど、臨床に立っていると、症状が身体だけの問題として現れているわけではないと感じることがあります。
慢性的な疲労の背景に、睡眠や栄養だけでなく、職場環境や住環境の影響があることがあります。
胃の不調の背景に、食事だけでなく、過度な責任感や我慢が関係していることがあります。
免疫の低下や慢性的な不調の奥に、長く続いた自己否定や、言葉にならなかった傷つきが隠れていることもあります。
もちろん、すべてを単純に結びつけることはできません。
「この症状の原因はこれです」と簡単に言い切ることは、むしろ危険です。
けれど、人間を一つの層だけで見るのではなく、
複数の層が重なり合った存在として観てみる。
そうすると、健康という言葉は、もう少し立体的に見えてきます。
現代医療は、検査によって異常を見つけ、診断し、治療方針を決めていきます。
これはとても大切な営みです。
急性の病気や命に関わる状態では、西洋医学の力が必要な場面がたくさんあります。
一方で、検査では異常が見つからない不調や、慢性的な症状、生活や感情と深く関わる不調に対しては、別の視点も必要になることがあります。
症状を抑えること。
原因を探ること。
生活を見直すこと。
身体の声を聴くこと。
その人の人生の文脈を読むこと。
どれか一つだけではなく、いくつもの視点を重ねること。
それが、これからの健康観に必要なのではないかと思っています。
では、Time Field 9では健康をどのように考えるのか。
私は、健康とは、
自分らしく生きる力が、身体に宿っている状態
ではないかと思っています。
ここでいう「自分らしく」とは、好き勝手に生きることではありません。
自分の身体の声を聴き、
自分の心の動きを感じ、
自分に与えられた役割や人生と対話しながら、
今日という一日を生きていけること。
その力が身体に宿っている状態を、私は健康と呼びたいのです。
だから健康は、誰かと比べるものではありません。
年齢だけで決まるものでもありません。
病気の有無だけで決まるものでもありません。
検査の数値だけで決まるものでもありません。
その人が、その人の人生を生きているかどうか。
そこに、健康という言葉の本当の意味があるように思います。
健康は、ゴールではありません。
「健康になったら生き始めよう」と考えていると、人生はいつまでも始まりません。
健康は、生きるための土台です。
そして、生きることそのものが、健康を育てていきます。
好きな人と笑うこと。
季節の風を感じること。
誰かの役に立てたと思えること。
静かに本を読む時間。
歩くこと。
眠ること。
食べること。
庭の花を眺めること。
朝の光を浴びること。
深く息を吐くこと。
どれも特別なことではありません。
けれど、そんな日々の積み重ねが、私たちの生命を少しずつ整えていくのだと思います。
健康とは、完璧であることではありません。
揺れないことでもありません。
いつも元気でいることでもありません。
不調が一切ないことでもありません。
揺れても、戻ってこられること。
ずれても、整え直せること。
疲れたら、休めること。
迷ったら、立ち止まれること。
そしてまた、自分の歩幅で歩き出せること。
その回復する力こそが、健康の本質なのかもしれません。
東洋医学では、これを正気や自然治癒力という言葉で捉えてきました。
身体の中にある、戻ろうとする力。
生命が本来の流れを取り戻そうとする力。
Time Field 9では、その力を信頼したいと思っています。
Time Field 9では、健康を「手に入れるもの」とは考えていません。
本来、私たちの中に備わっている生命の力を思い出していくこと。
その力が、自分らしい暮らしの中で自然に発揮されること。
その過程を、ともに観て、ともに読み、ともに歩んでいきたいと思っています。
身体を観る。
症状を読む。
暮らしに返す。
また観る。
また読む。
また生きてみる。
健康とは、この小さな循環の中で育っていくものなのかもしれません。
今日は、一つだけ問いを持ってみてください。
もし「健康とは何ですか」と聞かれたら、あなたは何と答えるでしょう。
病気がないことでしょうか。
元気に働けることでしょうか。
誰にも迷惑をかけないことでしょうか。
それとも、別の答えがあるでしょうか。
正解は、一つではありません。
けれど、その問いを持つこと自体が、自分の人生を見つめ直す小さな始まりになるかもしれません。
研究ノート
今日、自分に問いかけてみてください。
私は、健康になるために生きているのだろうか。
それとも、生きるために健康を育てているのだろうか。
答えを急ぐ必要はありません。
その問いを胸に、一日を過ごしてみてください。
歩くとき。
食べるとき。
誰かと話すとき。
眠る前に、静かに息を吐くとき。
健康という言葉が、昨日とは少し違って見えてくるかもしれません。
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