哲学者って、なんでしょうね?

哲学者って、どういう人をいうのでしょう。
みなさんがよくイメージされるのは、「生き方について考える人」という感じでしょうか。
世の中には、生き方や仕事術について書かれた本がたくさんあります。そのタイトルにも、よく「○○の哲学」という言葉が使われています。
「仕事前にモチベーションが上がる哲学」なんて本も、どこかにありそうですね。
ただ、もともとの哲学は、それとは少し違います。
哲学というのは、簡単にいえば、世界がどのように存在しているのか、そして私たちはその世界をどのように知ることができるのかを考える学問です。
たとえば、プラトンは、私たちが目にしている世界の背後に、完全な「イデア」があると考えました。
デカルトは、あらゆるものを疑った末に、それでも疑っている自分の存在だけは疑えないとして、「我思う、ゆえに我あり」という出発点にたどり着きました。
カントは、私たちが世界を認識するとき、経験する以前から人間の側に備わっている形式があるのではないかと考えました。
このように、哲学者たちはそれぞれ異なる出発点から、世界のあり方や、世界がどのように見えているのかを説明しようとしました。
そして、世界について考えていくうちに、問いは人間の心や知識、社会、倫理、生き方へと広がっていきます。
つまり哲学者とは、単に「どう生きれば幸せになれるか」を教える人ではありません。
自分には世界がどのように見えているのか。
人間は何を知ることができるのか。
そもそも、ここに何かが存在するとはどういうことなのか。
そんな、少し面倒で、でも避けて通れない問いを考え続ける人なのだと思います。
『哲学者たちが女子高生になった。なお、主な活動はパン購入と日向ぼっこです。』に登場する、哲学者をモチーフにした女の子たちも、それぞれの哲学に沿った言動をします。
もちろん、コメディなので、かなり大げさにはしています。
デカルトはすぐに自分の存在を確認し、カントは購買の列に普遍的な規則を求め、ヘーゲルは何でもアウフヘーベンしようとします。
傍から見れば、ただの変わった女子高生たちです。
けれど彼女たちには、本当に世界がそのように見えているのです。
同じ教室にいて、同じパンを見ていても、それぞれが見ている世界は少しずつ違います。
実在した哲学者たちにも、世界はそれぞれ違った姿で見えていたのでしょう。
かなり極端な描き方ではありますが、この物語が、哲学者たちには世界がどのように見えていたのかを知る、ちょっとした入り口になればいいなと思っています。
だったらいいなー。
今回は少し堅くなってしまいましたが、哲学について書いてみました。
