【番外編】 『30代後半にして当時の場面緘黙症について考える』という記事を書いて【本編で書けなかったこと】
前回、前編後編と場面緘黙症についておはなししました。
こんなに赤裸々に当時のことを文字にするのはもちろん、ひとに伝えること自体はじめてだったので、書いているだけで胸がざわつき、
おなべのなかで膨らんだふわふわのはんぺんが蓋をあけた瞬間しゅーっと萎むかのように、こころがペタンコになることもありました。

書いては消し書いては消しを繰り返し、、、
「下書きに保存」回数最高記録達成


執筆中はさまざまな感情に振り回され、支離滅裂な文章になっていたかと思います。
そんな文章にも関わらず読んでいただいた方にはありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。
スキもひとつもつかないかもしれないと思っていたので、本当に励みになります。
改めて、ありがとうございます🙇

そして、note内でも場面緘黙症について執筆されているかたがたくさんいらっしゃることを知りました。
当事者さんはもちろん、そのまわりの方、あの子は場面緘黙症だったかもしれないと過去に思いを巡らせている方
note内でおなじ場面緘黙症について発信されている方がいることで、
ひとりじゃないんだとこころが救われ、こころが解き放たれたような…
そんなやわらかな気持ちになりました🍀
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
本編ではこころに余裕がなく書けなかったのですが、落ち着いた今改めて当時のことを少し振り返りたいと思います✍️
〜学生時代いやな思い出がある方へ〜
この記事を読むことにより記憶がよみがえり不快な気分にさせてしまう恐れがありますm(_ _)m
ご了承くださる方のみお進みください↓
『小学校卒業式の練習』
それはわたしが場面緘黙症を患っていたことにより、負ったダメージがとても大きかった出来事。
全クラスの6年生が集まった、
寒さがからだにしみる体育館。
地獄の卒業式練習のはじまり。
たのしかった 修学旅行ー!
みんなでがんばった 運動会ー!
『呼びかけ』といわれる、ひとりひとり順番に言っていくあの地獄の習わし。
あの練習のじかんは場面緘黙症のにんげんにとっては狂気の沙汰。
わたしは案の定、
取り仕切る先生に声が小さーい!!!!と体育館全体に響く声で怒鳴られます。
学校イチこわいと有名なヤクザみたいな風貌の男性教師。
全クラスの生徒が集まった体育館。わたしひとりだけ何度も何度もやり直しさせられ、
聞こえないだろ!
だめだ!もう一回!!
こうやって腹の底から声を出すんだ!
ほかの先生もヒートアップしたヤクザ教師には逆らえず、誰も止めてくれる大人はいません。
わたしはなんとか声を振り絞り、
自分史上最大の声を出すもきれいに裏返る。
まわりの生徒たちはクスクスクスクス…
もう恥ずかしさとくやしさとかなしさと…
さまざまな感情に押しつぶされ涙がとまりませんでした。
泣きながら大声を出せるわけもなく、ヤクザ教師もやっと諦めモード。
まわりの生徒はもちろん教師もだれひとり助けてくれず。
わたしはその後うつむき、
きれいに整頓されたパイプ椅子に座りながら大勢の中ひとりシクシク泣いてました。
早くこの場所から立ち去りたいその一心。
すると、そこへ女性の先生がやってきて、
なにか手をさしのべてくれるのかと思いきや
『ほら、泣いてないで立って!』
いやなものを見るあの女性教師の目はいまでも忘れられません。
───────
こんなにたくさんの人がいるのにだれひとりとして少しの心配もしてくれないこの状況を小学生にして経験。
そりゃにんげんゆがむな。
わたしのいまのこころの闇の大半はこの小学校時代にかなり形成されているとおもいます。

この出来事は親には話していません。
言ったところで声が小さいわたしが悪者にされるのは分かっていたので。
そして、家庭では『学校休む=悪』だったので休むこともままならず。
本当の体調不良時(風邪などの目に見える体調不良)はさすがに休めたので、
毎日風邪だったらな…と何度思ったことか。
わたしの幼少期はこころの病ということばが主流じゃなかったので、こころの体調不良はただの甘えで片付けられていました。

場面緘黙症は社会不安障害の一部であり、
決して本人のやる気不足や甘えなどではありません。
場面緘黙症を知らないひとにも届いたらいいなというおもいでこれまで3回にわたり執筆しました。
今後もっともっと周知され、
場面緘黙症で苦しんでいる方が生きやすい時代になりますことをこころから祈っております。

本日もさいごまでお読みくださりありがとうございました🍀
11月も終盤で本格的な冬がやってきましたね。
さむさはこころにも影響がありますので、あたたかくしてお過ごしください。
またお会いできたらうれしいです😌

