『春は馬車に乗って』誤読。(あるいは願望。) 妻の本懐
今日は真面目にノートします。
『春は馬車に乗って』をご存知でしょうか。新感覚派と呼ばれた横光利一の本です。
私はとても好きなのです。その雰囲気が、文体が。目を閉じれば浮かぶとは、このことを言うのかもしれません。とはいえ、3回くらいしか読んでおりませんが・・・。
最近ふとしたきっかけで読みました。読むたびに好きなるそんな感じの本です。それは、歳を重ねることに関係があるのかもしれません。
なので、本日は少し遊んでみたいと思います。もし、『春は馬車に乗って』をまだ読んでいない、読んだけれど覚えていない、という方は、どこかであらすじを読むか、もう一度、読んでから(青空文庫で読めます、薄い、という表現はネットだと当てはまりませんが、短い方だと思います)、『春は馬車に乗って』誤読。(あるいは願望。) 「妻の本懐」を読んで頂ければ幸いです。
『春は馬車に乗って』誤読。(あるいは願望。)「妻の本懐」
「死が怖い。いや、正確に言うとあなたと居られなくなるのが、寂しい、寂しい、寂しい。」
「あなたが顔を出すたびに、死はそっと柔らかく、私の肌を包み込む。私は、そして、ことばの刃を、裏腹に時には本音で、あべこべに斬りつける。
あなたがいる時、私は朝焼け。どうせなら、はじめから雨でいい。でも、心が弾む。いる時だけは。だから、はじめから雨でいいのに。」
「籠の鳥は、本当に空を求めているのかしら。案外、食べ物に困らなく満たされているかもしれない。その世界しか知らなければ、考える余地もないでしょう。私は外の世界を知っている。だからこそ『檻の中の理論』になるのでしょう。それでも会話が楽しい。楽しいのです。例えあなたの顔が何かを物語っていたとしても。私のために疲れた顔であったとしても。それを抑えることに何の意味があるのでしょうか。」
「あなたの『もうすぐ俺も参る。二人、ここに呑気に寝転んでいよう』、例えようもなく胸に染み渡りました。きっとその言葉が聞きたかったのでしょう。『助ける』『助かる』ではなくて。その本心が私を檻から解放してくれたのです。そして、あなた自身もその言葉により『檻の中の理論』から解き放たれたと思うのです。死は、その言葉をただひたすらに優しく、私を待っていたのです。」
「花束が春を告げ、私の、あなたの、心に温かさを連れてきました。ことば告げなくともお分かりでしょう。
春は別れも告げるもの、そして、新たな旅立ちの息吹。未来に、ありがとう。」
