敬意、という習慣
今日の話は料理ではありません。
ニュースを見ていて、少し心に引っかかったことがあります。
愛子さまについて、「結婚できない」という趣旨の発言をした政治家がいると知ったからです。今日になって、いろいろと釈明されているようですが。
制度についてさまざまな意見があることは理解しています。でも、一人の若い女性について、そのような言葉が公に語られることには違和感を覚えました。
制度については、さまざまな考え方があるでしょう。議論されること自体は大切なことだと思います。
私は、ヨーロッパの国がそうであるように、男女にかかわらず長子が継ぐという考え方も、一つの選択肢ではないかと感じています。
立場や考え方は人それぞれでしょう。
ただ、制度を語ることと、一人の人の尊厳を大切にすることは、両立できる社会であってほしい。
それは何も難しいことではないと思います。
例えば、最近読んでいる『エムズワース卿受難録』P.G.ウッドハウスのロード・エムズワースは、どこか頼りない人物として描かれます。でも、庭師にも執事にも孫にも、相手を一人の人として接しているように感じます。
「偉そうにしない」というより、「相手を尊重することが当たり前」なのです。
成熟した社会とは、そういうことではないかなと思うのです。
そういう考えに至ったのは、
父がそういう人だったからかもしれません。父親だから偉い、といったことは全くなく、いつも対等に話を聞いてくれていたと思います。
大学生の時にホームステイ先で、で、あなたの考えは?と尊重してもらっていたからかもしれないし、
子供の幼稚園の園長先生や、中学、高校の先生方が相手が生徒だから従わせるのではなく、相手の人格を尊重する対応をされていたのを見ているからかもしれません。
たがら、年齢や性別、立場を理由に、自分の方が上だと思ってしまうような言動をする人がいると憤ってしまうのかもしれません。
園長先生は70代でしたが、子供に何か頼む時は、「〜してくださる?」とおっしゃっていたし、頭から否定しているのも見たことはありません。
私は年齢を重ねるほど、人を尊重できる人になりたい。
肩書きではなく、一人の人として向き合える大人でありたい。
そういう人たちに囲まれて過ごしてきたことを、改めてありがたく思いました。
人は、立場や年齢に関係なく、敬意を払われるべき存在
だと思うのです。
私も年を重ねるほどに、そんな当たり前のことを、当たり前にできる人でありたい。
そう願っています。
