【褒め方】私はコミュ力を褒めて欲しい【苦手克服】
今日ふと、「私はコミュ力を褒めて欲しい」と思った
多分それは「不得手なことに取り組んだから」だと思っていて、人は他人がどう思っても「自分が頑張った」と思うものを克服した時、「頑張ったんだよ」と口に出して言いたくなるもの。
すると必ず「いやそんなの普通だから」と昔は言う人がいて「他人の成長のレンジを自分の物差しでしか測れないことに気づいてもいない愚か」が湧いてきますが、それからは、皆さん是非是非全力逃走してほしいものです。
今日はそんな「褒めどころ」の話
褒めて欲しいのは能力ではない
もちろん嬉しくはあるけれど、「意識して取り組んでいる方」をもっと褒めて欲しいと思うのが人の常なのだと思います
その人自身の「能力」は、本人にとっては当たり前ですからね。
苦手だと自覚している分、研究も捗りますし、振る舞いも難しくなります。
いずれにせよ、その人にとって「今までやってこなかったこと」は負荷が大きいものです。
私は人生で、とにかく「女性」に苦しめられてきたので(私が苦しめてもきたと思います)3年前にXを大勢で無視されて追い出されてからは、女性と関わることを完全に避けてきました。
かと言ってあからさまに無視するとかではなく【普通に関わって深くならない】を徹底してきました。
でも、そうもいかなくなってきたな、と思ったのが今の会社に入ってからです
全方位に愛想がなかった人生
おそらくASD由来の無表情もあるのですが、単純につまらなかったので笑っていませんでした
合わせて笑う、という発想もなく
私に会った人はわかると思いますが、大体LOWな上に話のリアクションも大して無いので、話している方とすれば「あれ?なんか反応ない」「怒ってる?」みたいになるそう。
私としてはしっかり話を聴いてるだけなのですが、確かに無表情で「ほう、ほう」と聴いていることが多いかと思います。
今現在はだいぶ改善されましたが、長くそれで生きてきてしまいました
どこかそういったコミュニケーションを無駄と感じてきたのだと思いますが、ある時に「愛嬌もコミュ力」ももしかして一番重要かも、と気づいてから訓練を始めました。
得意の全コピーで「努力は裏切らない」
とにかく色んな人の愛嬌やコミュニケーション能力を観察しました
正直、得意のパターン学習なので「本当にそう思っているかどうか」は不問にして、とにかく「良い印象」を与える言動、表情ってなんだろう?という「見よう見まね」の連続でした。
始めたのは2021年からですが、半年前、今の会社に入った時に「ちょうど良いから今までの総決算を!」と息巻きました。
そして今、とても良い人間関係となりました
「言う時は言う」は変わらず
とはいえ仕事でも意見がぶつかることはよくあります
特に今は仕組みを作っているので余計にあるので、「ここは言っておかなければ」はかなり多いのですが、それでも良い関係を作れています。
それはとにかく「相手の立場に立ち、笑顔で元気よくいること」を徹底しているからです。
先日も「これは言いたい」と思うことがあり、伝えましたが、やはり関係は壊れずで、「コミュ力をつけてよかった」と思ったものです。
苦手なことに取り組むフェーズ
特に私は得意なことは勝手にやるので、社会人になってからは「苦手なこと」に意識的に取り組んでいます
論理的な人が人当たり良かったらけっこう最強じゃないかな
と思ったのがきっかけでした。
そうして「人としての魅力」を鍛えるには「コミュニケーション能力」は避けては通れなかったのです。
わからずやにも、独りよがりにも、なりたくない
もはや強迫的にそうしているのは、「私を拒絶した人間から、できるだけ離れたいから」なのだと思います。
関係を「良くしてもらっている」という感謝を忘れずに
私がコミュニケーションを頑張ったところで、それを受け取ってもらう相手がいなければ成立しません
私の気遣いを、「気遣ってもらえた」と認識してもらわなければ意味が無いわけで
常々「私の優しさや気遣いの価値をわかってもらえる人にしか渡さない」と決めて、もちろんそのために環境を整えることに注力してきました。
私が私に必要だと思った環境を、自分の力で手に入れたわけですから、そりゃ大切にしますし、大切にされるわけで。
とはいえ、とはいえ、私を「コミュ力高い」と褒めてくださる方々、私と関わってくれる人には本当に感謝です。
こういう時、いつも「部屋の隅で座っていた過去の自分」との「別れ」を強く感じます。
生きていれば人間関係が嫌なこともあるし、嫌なことを言われることもありますが、そこで
「自分は何か相手に嫌なことをしていないかな?」
と思うことは重要かと思います。
そして、自分で大切なものを見極め、去るものは追わず、手のひらに残った人たちを見て大切にしていく、そうやってこれからも生きていきたいです。
