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宇倍(うべ)神社

2016.09.04 06:09

鳥取県鳥取市国府町にある宇倍神社は、武内宿禰命たけうちすくねのみことをお祀りする因幡の国の一宮です。

社碑と大鳥居(一の鳥居)
二の鳥居前の吽形狛犬
二の鳥居前の阿形狛犬
二の鳥居
神社案内板
参道の石段
参道の杉に掲げられた神社の横断幕
平成28(2016)年のときのもの
令和7(2025)年のもの

境内社・国府神社

境内社・国府神社
建御雷神
宇迦之御魂命
国府神社前・阿形狛犬(子抱え)
国府神社前・吽形狛犬
国府神社の扁額
国府神社拝殿に奉納されていた陶器の獅子像
国府神社・ご本殿
国府神社・ご本殿
横から撮影


拝殿正面
拝殿横にある説明板

由緒
延喜式記載の名神大社にして、因幡國中の一宮なり、御鎮座の起源に付きては、延喜式神名頭註に、「因幡國法美郡宇部一宮、風土記曰、武内宿禰垂跡也、仁徳帝治五十五年春三月御歳三百六十餘歳當國御下(二)向於龜岡(一)雙履残、御陰所不(レ)知、六代帝後見也、當國宇部・大和葛城境・美濃不破關、是三ヶ國同日同時顯座、」と有るを以て明らかなり、即ち當社本殿の後阜を龜金と云い、古来祭神昇天の靈蹟なりと傳へ、古色蒼然たる標石を存す、武内大臣雙履跡之れなり、諸社根元記また二十二社註式に、孝徳天皇の大化四年社壇を造ると載せたり、
ー以下略ー

昭和10年 鳥取県神社誌

資料の鳥取県神社誌には、延喜式の記述を引用してありますが、この地宇部と、大和葛城、美濃不破関の三か所に同日同時に顕座したとあるのも面白いですね。
武内宿禰命たけうちすくねのみことは、元々八代孝元天皇の血筋であり、紀伊の国で生まれ、成務天皇と同日に生まれ、景行天皇からずっと六代に渡って使えたと云われている人です。
安彦良和氏『ヤマトタケル』では、景行天皇の御子の一人である小碓命おうすのみこと日本武尊やまとたけるのみことのライバルとして描かれていたり、武内宿禰命たけうちすくねのみことの孫が竹内文書を残したり、別の子孫には蘇我氏がいて、大化の改新(乙巳の変)では、蘇我入鹿そがのいるかが暗殺されると、その父蝦夷えみしが図書を焼き尽くしてから亡くなるなど、武内宿禰命たけうちすくねのみことの一族が時代の転換期に大きく関わっているのも面白いと思ってしまいます。

拝殿正面
拝殿扁額
拝殿向かって右手
鳳凰の像があります
拝殿向かって左手
福徳亀
願って撫でると願いを叶えるそうです
神輿社
神輿社
特別公開中でした
神輿社
神輿が見えますでしょうか
神輿社の横にあったご神木の跡
鹿の角がお供えされてました
ご本殿


武内宿禰終焉の地の碑
横の石段を上がっていきます
双履石の案内
双履石は高台の上にあります
双履石
双履石
双履石から見える本殿

武内宿禰命たけうちすくねのみことは、300歳を超える長寿で、長寿の神様としてお祀りされているところが結構あると思います。
島根県松江市にも意宇の森近くにある平濱八幡宮・武内神社でお祀りされていました。
武内宿禰命たけうちすくねのみことは、日本で初めて大臣になった人物としても有名で、大臣の祖として出世の御神徳、そして長寿の神様として信仰されています。

そういえば、天智天皇も履物を残してお隠れになったと、中村真理子氏のマンガ『天智と天武』で読んだのを思い出しました。
過去の時代に於いて、履物を残して隠れる事に何か深い意味があったのでしょうか?
時代が違っても繰り返される事象には、何かの意味を探してしまいますw
そういう事にしておきたい、そうでなければならない何か・・・
真実が分からないから面白いのですが、いっそタイムマシーンで覗きに行きたいですね(^^)

06:09の記事に加筆してnoteに転載


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