AOE2 キャンペーンの元ネタをググった程度で解説するだけの記事 Part1
キャンペーン関連の記事ってあんまりないよな~ってことで書いてみた。簡単にしか書いてない&間違い等あるかもですが、ご了承ください。
※倶利伽羅峠の解説を編集しました。(2022/4/27)
Part1はAOK、AOC、歴史上の戦いのキャンペーン解説です。
Part2はこちら。
知らない人向けに捕捉しておくと、AOE2のキャンペーンとはシナリオモードのことで、実際の歴史に合わせたストーリーが展開されるゲームモードです。
Age of Kings
ウィリアム・ウォーレス
ケルト 1297~1298年
我らがケルトのウォーレス。幾度となく日本のプレイヤーにもて遊ばれた英雄。(´・ω・`)
1297年頃、イングランドのエドワード1世による支配に対して、スコットランド民を鼓舞して抵抗運動を起こした。スターリングで勝利し、ファルカークで敗北して処刑された。以後スコットランド民は抵抗運動でエドワード1世を打ち負かした。
ジャンヌダルク
フランス 1339~1453年
フランスのために戦った田舎娘。ジョン・ファストロフはイングランドの軍人。
かつて1066年にノルマンディー公ウィリアムがイングランドに侵攻して支配を始めた。そのため、イングランド王がフランスに領地をもつ形となった。以後しばらくフランス内でイングランドとの領地合戦が続き、1339年に百年戦争が始まる。
フリードリヒ・バルバロッサ
チュートン 1152~1190年
フリードリヒ1世(赤髯王)。1189年に第3回十字軍に参加し、サラディンと戦った。鎧の重さで川に溺れたという話は有名。
サラディン
サラセン 1138~1193年
十字軍に占領されたエルサレムを奪還し、第3回十字軍と戦った、アイユーブ朝創始者。ルナールはフランスの悪い騎士。
チンギスハーン
モンゴル 1206~1227年
モンゴル帝国創始者。ちなみにクチュルクはナイマンの王族であり、モンゴルから逃げて西遼(カラ・キタイ)に亡命、簒奪を企て第4代皇帝となる。
The Conquerors
アッティラ
フン 433~453年
フン族がアラル海辺りからヨーロッパへと西征した影響で、ゲルマン民族の大移動が起こり、ローマ帝国が崩壊した。スキタイは中央アジアにいた遊牧民で、騎馬の技術で周囲に影響を与えた。
ちなみに、フン人の子孫はマジャール人であると言われている。
エルシッド
スペイン 1072~1099年
カスティリャ王国(西スペイン)の貴族。当時のイスラム王朝はムラービト朝(ベルベル人の国)。
モクテスマ
アステカ 1502~1520年
モクテスマ2世。メシカ族9代目君主。アステカ最大版図を築き、かつコルテスに敗北した。
歴史上の戦い
ブハラ
ペルシア 557年
ササン朝ペルシアのホスロー1世が、中央アジア北部で遊牧民エフタルと戦った。
ドスピラス
マヤ 648年
ドスピラス、ティカル、カラクムル、いずれもマヤの都市であった。詳細は知らん。
トゥール
フランク 732年
フランク王国の宮宰カールマルテルが、イスラム勢力のひとつであるウマイヤ朝の進軍を撃破した戦い。この戦いのおかげでキリスト教がヨーロッパに留まった(ヨーロッパがイスラム圏にならなかった)と言っても過言ではないと思う。
正確に言うと、トゥールとポワティエの間で起こった戦いである。
ヨーク
バイキング 865年
バイキングの侵入を再現したキャンペーン。
ホンフォグララス
マジャール 695年
マジャール人がパンノニア(現在のハンガリー辺り)に移住してきた頃の話。ここからレヒフェルトの戦い(955年)を経て、ハンガリー王国が建国される。
HDの頃はくそでかマップかつ超長シナリオだったが、DEになって修正された。
ヴィンランド・サガ(葡萄の地)
バイキング 1000年
赤毛のエリック(エイリーク)がグリーンランドやアイスランドに移住する話。物語としても知られる。佐賀ではない。
ヘースティングス
フランク 1066年
フランスのノルマンディー公ウィリアムがイギリスを征服する話。
古代イギリスは、
ローマ帝国による支配、
アングロ=サクソン人の侵入(アングロ=サクソン朝)、
デンマークからのノルマン人(バイキング)の侵入(デーン朝)、
フランスからのノルマン人の侵入(ノルマン朝)、という風に変遷している。
マンジケルト
トルコ 1071年
セルジューク朝のアルプ・アルスラーンが、ビザンツ帝国のロマノス4世と相対した戦い。マラズギルトの戦いとも呼ばれている。アルプは捕虜にしたロマノス4世を護衛までつけて釈放した。
倶利伽羅峠
日本 1183年
石川と富山の間の峠で、源義仲(木曾義仲)が平維盛に対して圧勝した戦い。アニメ「平家物語」が分かりやすく面白い。おすすめ。
源義仲は源頼朝のいとこ。「弱肉強食」の言葉がお似合いな乱暴者。木曾(長野)に左遷されて、武士というより山賊みたいになった。部下に巴御前という女性がいるが、彼女も好戦的な性格であった。
平維盛は平重盛(平清盛の子で、平家棟梁だった)の子(長男)である。武術よりも文芸が得意で、「光源氏の再来」レベルのイケメンだったらしい。一条谷の戦い(兵庫)で戦線離脱、和歌山の龍神村で出家していたが、平家の未来の無さを占いで知り、入水自殺した。(他にも説があるらしい)
一進一退の源平合戦の後、倶利伽羅峠の戦いでは、源義仲が平維盛の陣に夜間奇襲した。1180年の富士川の戦いで、平維盛は夜間の水鳥の羽音を敵の襲来と勘違いして敗走した経験があり、そのトラウマもあって撤退する。しかし、逃げた先には源義仲の仲間の軍、さらに逃げた先には倶利伽羅峠の崖。これにより、平維盛軍は壊滅した。
ちなみに、源義経が崖を下ったのは一条谷の戦い(兵庫)。誰だよこの戦いと勘違いしたやつ(←お前や(´・ω・`))
(2022/4/27、一乗谷の戦いと間違えていたため、修正)
キプロス
ブリトン 1191年
第3回十字軍でのリチャード獅子心王の話。バルバロッサと共に進軍し、サラディンと戦った。
バフェウス
トルコ 1302年
オスマン1世がオスマン帝国を建国し、ビザンツ帝国を攻め始めた戦い。
八陽湖
華夏(中国) 1363年
モンゴル帝国、元が衰退した後、明の朱元璋が漢の陳友諒を倒した戦い。鄱陽湖とも。
なおAOE2の中国は唐、宋、元、明をモデルにしているらしい。元はモンゴルだけどいいのか。
アザンクール
ブリトン 1415年
百年戦争中、ヘンリー5世がアザンクールでロングボウの実力を見せつけた戦い。まだジャンヌダルクが3歳の頃の話である。
レパント
スペイン 1571年
スペインのドン・フアン・デ・アウストリアが、オスマン帝国セリム2世の海軍を撃破した戦い。スペイン無敵艦隊の実力を見せつける戦いであった。
なお、17年後にイギリスの海軍にやられている。これはドーヴァー海峡の狭さとイギリス側の知恵が原因。
本能寺・山崎(京都)
日本 1582年
本能寺の変の後、豊臣秀吉が明智光秀を討つ戦い。本能寺の変の話を聞いた秀吉は、岡山辺りで戦っていた毛利氏とすぐに休戦・和睦し、わずか2週間もたたないうちに京都まで軍勢を戻した。
これを再現してほしかった。(´・ω・`)
露梁
朝鮮 1598年
秀吉の2度目の朝鮮出兵(慶長の役)にて、秀吉の訃報を聞いて日本に戻る島津氏ら日本水軍に、李舜臣が追い打ちをかける戦い。
