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「千と千尋の神隠し」豚の中に両親が居ないと分かった理由

豚の中に両親が居ないと分かった理由


「千尋が成長したから」は理由ではない

考察され尽くしたネタだと思いますが、他サイトで見かけない考察をしましたので、是非読んでください。

一般的に有力な考察は「千尋が成長したから」「成長メタファー」が多いと思います。

しかしながらその解釈は、千尋が正解を選べた根拠ではありません。

物語の構造を曖昧に解釈したに過ぎません。


ユバーバの魔法で豚になった

序盤でユバーバが千尋に対して次のように述べます。

お前の親はなんだい、お客様の食べ物を豚のように食い散らして。
当然の報いさ。子豚にしてやろう、石炭という手もあるね。

劇中台詞の抜粋

後のハクは次のように述べています。

ユバーバに動物にされてしまう

劇中台詞の抜粋

これらの台詞から、ユバーバが両親を豚に変えた可能性が推測できます。

後半でゼニーバが、坊と"湯バード"の姿をそれぞれネズミとハエドリの姿に変えてしまうシーンがあります。そして、その姿になった2名と千尋が、ゼニーバの住家へ訪れたシーンで「2名の姿を元に戻してほしい」とお願いしています。すると

あんたたち魔法はとっくに切れてるだろ。戻りたかったら戻りな

劇中台詞の抜粋

とゼニーバが指摘します。

以上から、魔法の変身に期限があると仮説が成り立ちます。


千尋の思考

千尋にはこの仮説を立てる論理思考が初めから身についています。
まず状況判断をして、行動を決めています。それが的確なのです。

千尋の状況判断例


これらは視聴者の目線で見たら違和感が少ないかもしれません。

千尋はリンからドジ扱いされていますし、最初は何も出来ない子だったと思われても仕方がありませんが、よく考えてみてください。

上記の判断を、現代の10歳そこらの児童が間違えずにできるでしょうか。この状況に陥ったこどもは、何の疑問ももたずにハクを味方と判断するかもしれませんし、リンの指導をすぐに理解することができないのではないでしょうか。他にも支離滅裂な言動や行動があってもいいはずです。そのほうが自然ですが、千尋の行動には間違いが見当たらない時点で初めから優秀といえるのです。

千尋の気づき

"オクサレ様"事件の晩に、彼女は両親の見分けがつかない悪夢を見ていました。目が覚めたら「お父さんとお母さん、わからなかったらどうしよう」と心配です。

この時点で彼女は、ラストシーンを既に想定しています。

そしてユバーバが、姿を変えられた坊を見抜けなかったシーンがあります。

ユバーバ「なんだいその汚いネズミは」
千尋「えっあのー、ご存知ないんですか?」

劇中台詞の抜粋

これは千尋が嫌味を含めて言ってそうですが、本当に見抜けないのか確認しているのが本筋かと考えます。

この時の反応で、ユバーバのような魔法使いですら変身を見抜くことができないと判断しているわけです。であれば人である自分にも見抜くことができないだろうと千尋は後に仮説を立てられるわけです。

余談ですが、ハクもユバーバに対して、本当に見抜けないのか確認しているシーンがありますが、やはりここでユバーバはすぐに見抜くことができないでいます。ハクの目をじっと覗き込んで、言葉の真意を推し量ってから、ようやく推理して見抜けたシーンと言えるでしょう。このシーンはユバーバが他の何よりも、砂金に目をくれる意地汚さが象徴しているといえますが、ラストシーンの根拠としても機能しています。

そしてその当日中に、千尋は、ゼニーバから魔法の効果切れがあることを知らされています。

千尋の結論

千尋の思考を辿ればわかるように、常に事実を軸に思考しています。想像を交えず、これまで見聞きした情報だけを繋いでいます。

両親が魔法で姿を変えられたならば、経過した時間から考えて、既に元の姿に戻っている。だからこの豚の群れに居るはずがない。

ラストシーンの千尋は、豚を眺めていたというよりも、これまでの情報を推理していたと言えるでしょう。

ユバーバですらその目で見てわからない問題を、自分にわかるはずがない。ユバーバがこの出題を仕掛けてきた真意はどこにあるのだろう。ユバーバと自分との間にこれまで何が起きただろうか。と。

千尋は最初から優秀だった

こうしてストーリー、台詞を追ってみると、千尋は元から推理能力に長けており、それが後から身についた描写がありません。経験を材料として拾ったものを最後に繋ぎ合わせた。突拍子もない想像から飛び出た行動はひとつもありません。

ユバーバからの出題をクリアして、無事に両親と帰路を辿る千尋の姿は、結局のところ母親にしがみついて甘えていたので、精神年齢はフツーに10歳児のまま、変わっていません。本作が成長をコンセプトにしているなら、序盤のトンネルシーンと最後のトンネルシーンで、千尋の行動を対比させるはずです。ところが全く変わっていないので、千尋はある意味では殆ど成長していません。

千と千尋の神隠しは、人のポテンシャルを描いた物語

千尋は一見すれば甘えたこどもに見えますが、状況に応じた行動が出来る賢いこどもだったとみるほうが適切なのではないかと感じられました。こどもにせよ、おとなにせよ、そのひとがひとたび優れた行動をとれば、それを「成長した」と評価するのは結構、安易なことであり、それ自体が傲慢不遜なことなのではないかと思い知らされるというか。私たちはこの極限状態の社会の中で、千尋のような冷静さと賢さで立ち回れているのだろうか。


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当記事は、筆者の別ブログへ掲載していたものを転載、改訂したものです。

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floater 読んでくれてありがとう