心をゆるめると、世界はやさしく見えてくる
世界が冷たく見えるとき
職場で誰かの陰口を耳にしたとき。
電車の中で知らない人が舌打ちをしたとき。
家族と一緒にいても、孤独感を感じるとき。
世界は冷たいなと
感じることがあるかもしれません。
世の中甘くない、
そんな思いが出てくることもあると思います。
けれど、どこかで心がざわざわする。
その違和感は、消えずに残り続けます。
やさしい世界で生きたいという感覚は、
ただの理想ではなくて、
もともと自分の中にあるものなのかもしれません。
外で起きていることに引っ張られるとき
私たちは、外で起きていることに反応します。
誰かにきつい言葉を投げかけられると、
心にナイフが刺さったかのように
感じることがあります。
すると今度は、
そのナイフを投げ返す対象を探し始めます。
自分を責めたり、相手を責めたり。
どこかに原因を置いて責めたくなる動きは、
どこまでも続いていきます。
心の中に悪者をつくり出し、
締め出そうとすると、
とげのような感覚や、
重さや固さが残り続けます。
その状態から世界を見ると、
世界は厳しいものとして映ります。
内側で起きていることに目を向けると
でも、少し立ち止まって見てみると、
実際に起きているのは、内側の反応です。
胸がぎゅっと固くなる感じや、
息がしづらくなる感覚。
そして、
今起こっている状況に対する否定的な思い。
今この場に起こっている感覚や思いを、
ただそのまま見ていると、
体験していると思っていたものが、
少し違って見えてくることがあります。
守ろうとしているものに気づく
それは、自分を守ろうとする力。
身体を固くすること。
感情を表に出さないようにすること。
誰かに厳しい言葉を投げかけること。
自分を責める言葉。
そうしたものはすべて、
自分を守ろうとする働きとして現れています。
開かれた世界に対して、
自分を閉じておくことが守りになると、
どこかで信じてきたのかもしれません。
守ろうとするほど、閉じる力は強くなり、
どこかで自分自身もしめつけていきます。
その状態に気づいたとき、
これが本来の在り方なのだろうか、
と感じることがあります。
もしかしたら、わたしたちは
もともと開いているのかもしれません。
ゆるんだときに起きること
守っている、そう気づくと、
少し身体がゆるむことがあります。
息も、ふーっと吐けるかもしれません。
ゆるむと、心もやわらかくなっていきます。
心がやわらいでいると、
穏やかさが戻ってきます。
自然と笑みがこぼれることもあります。
そんなとき、
「幸せだな」と感じることがあります。
気づいたら変わっていること
そうしているうちに、
出会う人や、交わされる言葉の質が、
どこか変わっているように
感じることがあります。
以前なら強く反応していた出来事が、
そのまま流れていくこともあるかもしれません。
この変化は、無理につくるものではなく、
気づけばそうなっているものなのだと思います。
やさしい世界はどこから
自分の心に起きていることに気づいていくこと。
守ろうとして閉じている、その動きに気づくこと。
無理に開こうとしなくても、
気づきがあると、心は自然とゆるんでいきます。
それが、心をやわらかくし、
自分をいやしていくことにつながっていきます。
そして、その心のあり方が、
やさしい世界とつながっていくのかもしれません。
