見出し画像

めざせ!普門館! 普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-いきなり最終章

Aloha!

これは、大田区の住宅街のはずれにある、自由でのんびりとした校風の普通の都立高吹奏楽部が、普門館のステージを夢見た奮闘記である。
なんて(^^ゞ

初めてお立ち寄りいただいた方には、末尾につけてあるリンクから「私の音楽遍歴」、「めざせ!普門館!」をたどって頂けると幸いです<(_ _)>


1977年当時の吹奏楽コンクールの日程は、
11月に全国大会、10月に東京都大会、9月に高等学校の大会、でした。

昔は学生にとってぎりぎりまでコンクールあった感じですね。
逆に言うと、25年前に吹奏楽の世界に戻った時に、すべてが1か月前倒しになっていることに驚きました。隔世の感がありますね。

夏休み中みっちりコンクール練習ができないじゃん!( ゚Д゚)
って感じでしたね。
最終学年で、全国大会まで目指す生徒さんはほんと大変なんだろうなぁ。

とはいえ、そこまで行ける学校は限られてるから、大多数の生徒さんは夏休みのうちに受験モードに突入するということですね。


さて、当時の私たち(私と、後輩の生徒さん達)は、9月のコンクールを目指して夏休み中も練習練習。合宿も行って練習練習をしていたのです。

それまでの母校の部活は、音楽をゆる~く楽しんでできれば良いという雰囲気で活動していました。

そんな雰囲気の部活が、コンクールに出る。
それも、「めざせ!普門館!」だなんてね。
コンクールに出るってこと、みんなわかってたのかな。(^0^;)

いまになって考えると甚だ無謀な目標ですよね。
いうのはただですから(^^ゞ

正直なところ、中学の時にコンクールに出たことがあるって人間が何人かいただけでしたからね。当時の幹部だけでなく他の誰もどんな練習をしたらいいのかなんてわからない状態で、ただただ課題曲と自由曲を上手に演奏できることを目指す。

コンクールで良い点を取るためのポイントとかってあるじゃないですか。
そんなことも全く知らないで、今風にいえばタイパが悪い練習を重ねていたんだろうなぁ、と思います。

上手なバンドにする、Know-How 。
そして、必要なハードウェアも持たずにコンクールに挑んでいった私たちは、丸腰で戦場に飛び込んでしまった兵士だったのかもしれません。

初めてなんだから仕方ないといえばそれまでです。
でも、何事にも初めてはあります。
やってみなければわからないことは世の中に沢山あります。
それも青春だ!多分、無駄にはならないんじゃないかと(^◇^;)

9月、コンクールの初舞台は、東中野の「明大中野高校」の講堂のステージでした。
おぼろげな記憶では、たしか最期の演奏順だったような、、、

出演前の舞台袖で運営側の役員?に言われたことが頭に残ってます。
出番に備えて、ティンパニ(グラスファイバー製の軽いやつ)を移動させていたんですが、
「指揮者がそんなことをしてたら、指揮棒振るのに影響があるじゃないか」みたいな、、、
なんか、感じわる、と思ったけど、今思えばたしかにそうかもね。

そうこうするうちに、演奏順になりステージにならび、学校名がアナウンスされ、緊張の極限の私は指揮棒を振り下ろしました、、、

きっと、メンバーにも緊張が伝わったことでしょうね。
出だしでテンポがつかめずに、ソロから始まる各パートのアンサンブルが乱れてしまいました。
その後のことは記憶にありません。と言うか、全く思い出せないんですよね。

コンクールへの初挑戦。私たちの12分間はあっという間に過ぎ去りました。

結果は「銅賞」を頂きました。失格にはなりませんでした(^_^)v

杉並区和田の普門館は、イスカンダルのように遠かったのですよ。
あのときは宇宙空間までもたどり着けなかったかなぁ~~、って感じだったかも。

出演した現役のみんなにはお詫びします。ひとえに、私の力不足でした。
ゴメンなさい。来年こそは、めざせ!普門館!(・O・)

以上、「めざせ!普門館! 普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-いきなり最終章」でした(^◇^;)

回り道が多かったのに、ラストシーンはあっけなくて済みません<(_ _)>
これからも、よけいなことを書いてしまうと思いますが、ご勘弁ください。

これからも続きをお楽しみ?に(・_・)

それでは、また。
Mahalo!

「めざせ!普門館!~プロローグ」に戻る
「普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-6」に戻る
私の音楽遍歴:サイトマップへ戻る


いいなと思ったら応援しよう!

Flute Papa この記事がお気に召しましたらサポート頂けますか? いただいたサポートはよりよい記事作成に役立てさせて頂きます( ̄^ ̄)ゞ