高校一年生 フルートとともに 人生を変える新たな出会いが
あらためて書いてみると、言いにくいかも。
フルートとともに、って、タンギングの練習かい!
失礼しました、”と”ってアタックしませんね(^0^;)
お断り。↑の写真は意味深(^^ゞ 文中に出てくる名前は仮名?です。それと、記憶の曖昧な部分はAIが補正してるかも(^^;)しれませんが、そんなもんかなと温かい目で見て頂けると幸いです。
では、つづき、行きましょう\(^_^)/
幽霊部員の私?(^0^;)
高校一年の春(51年前)に、フルートを始めたこと、高校の吹奏楽部に入部したことを書き始めてはみたものの、
話の前後関係の曖昧さがハンパないことが分かってきて、
はて、どう書き進めるのがいいのか、ちょっと困惑気味の私です(^^ゞ
とまぁ、そんな状態ですから、出来損ないのドラマのように、時制をいったりきたりするので、多少フィクションの入った私小説的に読んで頂けると幸いです<(_ _)>
どうも、私はあまり部活に顔を出していなかったようでした。
あまり覚えていない。
家では毎日吹いていたけど、部活で吹いてなかったかなぁ~。
でもまぁ、レッスンがあるから、土曜日の練習休んじゃう、とんでもないやつだったか(^◇^;)?
いつの頃か、合奏練習のとき。参加してた私に、当時部長の2年生のU山さんが「やっと出てきたな~」と呆れられたことを覚えてる(^^;)
で、同時に、「音が全然違う~(・O・)」と、驚かれた。
これは、合奏練習前のチューニングの際の事。
そのときはピッチがあっていない、の意味かと思ってたが、
どうやらそうではなかったらしい、、、
レッスンの効果は現れてきているのか?(^^ゞ
吹奏楽部の顧問は、いつもいない「T井先生」
当時の部活のことを思い出してみると、
なぜか、この部には顧問の先生が顔を出さないことが不思議だった。
顧問は、音楽科の「T井先生」で、
何と柔道部の顧問?でもあるという。
たしかに、「T井先生」は柔道向きの体型だなぁとは思ってた。
重心低くて投げにくそう。
私は芸術科目として音楽を選択していたので、授業で会ってはいたからどんな人かは知ってましたので。
「T井先生」は当時、すでに50代半ばだったでしょうか。
は音大の声楽科を卒業された人です。豊かな体格を生かして、とても素晴らしい声量をお持ちでした。
行きつけの六本木のカラオケバーに連れて行かれたこともあったなぁ。
もちろん私が成人した後ですよ。
そこでは、カラオケの師範代のような称号をお持ちだったような違ったような。
ちなみに、私の結婚式の披露宴でも唄って頂きました。
「ここに幸あり」感涙ものでした(;。;)
T井先生のことを書き出すとそれだけで沢山のエピソードがあるので、今日のところはこれくらいにして。
高校一年の文化祭は、ホルスト作曲「吹奏楽のための第一組曲」
当時の文化祭は、O田区の公会堂を借りて演奏や演劇をやる芸能祭一日と、学校の教室を使った展示祭二日間(?)という二段構えでした。
吹奏楽部は、
芸能祭で「戴冠式行進曲」、ホルスト作曲「吹奏楽のための第一組曲」他、展示祭ではソロやアンサンブルを披露するという参加になりました。
そして、芸能祭の指揮をするのは「T井先生」!ではなくて、
5歳も!年上のOBの「Y崎先輩」なのでした。
ほんと、顧問はいつ出てくるんでしょうか?(?_?)
なんとなく流れに逆らえないままに入部してしまった吹奏楽部でしたが、
このあと、私の音楽人生(ホントの人生にも)に大きな影響を与える人が次から次へと登場するのであります。
今思えば、一番大きな影響だったのは「T井先生」だったかもしれない?
(・O・)
つづく
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