岩の聖地を追いかける
岡山、姫路あたりで学生のトレーニングも兼ねて聖地のフィールドワークに。総社の石畳神社からスタートする。ここは以前に能勢さんと一緒に訪れたことのある場所で、高梁川の屈曲点に位置する巨大に岩肌が剥き出しになった屹立型の聖地。岩が割れて自然とこの形になったか、それとも積まれているのかは不明だ。
こうした命が脅かされるような危険な場所にある荒々しいタイプの聖地は、おそらく原始的にはランドスケープそのものが信仰の対象になっていたのだろう。その後に神道として意味づけされ、秦氏が入り整えられて行ったと推測される。
次に楯築遺跡に向かう。これも能勢さんとご一緒した場所だが、蔵の中に仕舞われている御神体の岩を見て驚愕したのを覚えている。日本で唯一と言っていい弧帯文石で、石に同心円状の文様が刻まれている。前回見た時に非常に呪術的なものを感じたので、もう一度確認したいと思って出向いた。
ところが幸運なことに、この場所の宮司さんがたまたま蔵を開けている時に訪れたので、中に入って間近で石を観察することが出来た。「亀石」と呼ばれていて、顔のようなものが彫られており、全体に非常に丁寧に描かれた平行線の帯が円形に渦を巻いている文様になっている。エネルギーの流れを表現しているのか、どこかケルトの文様にも似ている。
蔵の中に置いてあった資料も宮司さんに話して購入した。こういう資料は図書館では手に入らないので、我々研究者には大変ありがたい。少し宮司さんにインタビューしてから遺跡の方は向かう。遺跡自体もストーンヘンジのような立岩になっていて、方角にも法則が見られて興味深い。鬼門の方角が特徴的だったが、ここにも鬼の伝説があるので関連するか。
そこから姫路へ向かい、破盤神社、高岳神社、生石神社と岩の神社を巡る。姫路の山々は岩の採掘場も多く、蛤岩はじめ特徴的な岩の聖地が多い。もう20年ほど聖地の巨石を追いかけているが、これまで姫路の神社には出向いたことがなかったので、今回初めて訪れる。
破盤神社は予定になかったが、遥拝所にしか立ち寄れなかった。御神体の方には割れ岩があり鬼滅の刃以降、人が結構来るようになったらしいが、その割れ岩は今回は見れなかった。その近くにある高岳神社は社殿のすぐ裏手に蛤岩という巨大な岩山があるので登ってみる。
先に御神体の方に行ってしまったが、鳥居が立っていて祀られている方角は東を向いているので、太陽信仰の名残かと推測する。通常の神社は南入りで北向きであり、本殿もその造りになっている。この岩の窪みには水が溜まっていて、海の干満と連動すると言われているようだ。広島の厳島神社の裏にある弥山にも同じような岩があるが、山頂の風景もどことなく似ている気がする。
その後クライマックスの生石神社へ向かう。日本三奇の一つと言われる「岩の宝殿」で有名で、山からキューブ状の岩が切り出されている。まるでアブストラクトアートのような様相であり、現代建築家あたりが造形しそうな形態をしている。460トンの重さの岩の塊を切り出してどうしようとしていたのだろうか。
この宝殿の裏山に登ることが出来るが、この場所こそ弥山の山頂風景にとても似ていた。岩の原という感じで見晴らしが大変よく、非常に清々しい場所だ。石畳神社とは違って命が脅かされそうな荒々しい雰囲気はあまり感じられず、平和な時間が流れている。
もう聖地のデザイン調査を長年しているが、2014年に植島啓司先生、伊藤俊治先生と鼎談した時に「聖地をデザインする」という立場から僕自身は問いかけた。どうすれば日常空間の中に聖性を帯びた場を生み出せるかに心を砕き、病院や工事現場や貧困の村、企業の施設などでも、実際に場を生み出す環境を制作もしてきた。ただその母型となる実際の自然の中にある聖地は、行けば行くほど謎が深まるばかりだ。
聖地は人の手でデザイン出来ないという植島先生が仰る意味が分かりかけてはいるが、それでも人が出来ることはあるはずだと思う。機能と合理主義に満ちた現代社会において、そこに回収されないような場の力はやはり古代から近代以前まで続く聖地にヒントがありそうだ。
学生の中でこのテーマに関心を持つ人が何人か出てきているので、ディスカッションを通じて、少しずつでも聖地の正体と聖性が顕現する条件を明らかにしていければと思う。








