メディア論の超解説
今日はメディアについて講義する。環境デザインとメディアとの関係はあまり論じられることがないが、現代のライフスタイルにおいてメディアの存在を抜きには何も語れない。なので技術史や情報史の文脈から環境デザインとメディアの関係について話す回を設けている。
距離を超えてコミュニケーションする方法について、人はこれまで涙ぐましい努力を重ねてきた。トーキングドラムや狼煙、伝書鳩やラッパ、腕木通信や旗振り通信など、いかに情報を早く遠く伝えることが出来るかを模索してきた。
近代以前は情報の伝達速度は交通に依存していた。ところが19世紀に鉄道が開発され、その通信の速度は一気に上がり、さらにモールスによる電信の発明で飛躍的に伸びた。その歴史を追いかけながら、情報がの伝播が空間的距離ではなく、時間的距離に依存するようになったことを確認する。ヴィリリオの「速度学」についても紹介する。
そもそもメディアとは何かと何かを媒介するものであり、文字や言葉というのは最も基本的なメディアだ。それをパースの記号論から読み解き、文字の歴史について追いかける。文字というメディアが紙や石板というメディアに書かれるが、それがどういうメディアに写されるのかは重要な問題であることも解説する。
メディア論を語る上で外せない最重要人物であるマクルーハンは、あらゆるものをメディアと考えていた。人間の経験を媒介するものは全てメディアであり、さらにわれわれの思考すらもメディアの種類によって方向付けられるとマクルーハンは考えていた。その先行研究であるオングのメディア論にも触れて、声から文字へそして印刷へとメディアが移行することが社会にどういう変化をもたらすのかもみていく。
そもそも話し言葉と書き言葉というのは性質が全く異なる。印刷によって世論が生まれ、近代社会の基礎をなすパブリックやネイションという概念も書き言葉が基本になっている。その書き言葉が役所の文書主義や証拠主義、官僚制度など全てを支えているといえる。
メディアの別の角度として、複製技術によって我々の認識と社会システムがどう変わったのかも見ていく。版画から写真、映像とイメージの複製によって近代以降の我々の認識は大きく変わる。オリジナルという概念は複製されることによって生まれる。そしてオリジナルにしかない本物性(アウラ)へとまなざしが向けられるというベンヤミンの議論も紹介する。
最後に現代社会はメディアは既に現実を構成していることについても触れる。イメージの流通が当たり前になると、メディアが透明化することをソンタグの写真論から見て、今ではオリジナルがないのに模造品だけがあるシュミラークルの概念をボードリヤールのハイパーリアル論から確認する。
もはやメディアは現実を写し取るものではなく、現実を作り出すものであることを、ヴァーチャルの概念、ボカロ、宗谷の蒼氷、湾岸戦争のナイラ証言などを例に見ていく。ブレードランナーと重慶、マトリックスとメタバースからヴァーチャル美少女ねむまで紹介して、現時点で我々が置かれている状況を確認して終えた。
この講義は3年前から同じ話をしているが、世界がヴァーチャル化している状況は年々加速している。なので感覚的にすぐに理解できる学生たちが増えている一方で、これからはこの世界を前提にしなければならない。いとも簡単に我々のまなざしは外部から作られる上、リアルな世界にリアリティを感じられない若者が増えてくるだろう。世界はどこに向かっているのだろうか。
