SNSはスギ花粉症と同じ構造でできている
最近ふと思った。
SNSって、構造的にスギ花粉症と同じじゃないか?
まずスギの話から。
戦後、日本は荒れた山をどうにかする必要があった。
そこで選ばれたのがスギだった。
成長が早い
管理しやすい
木材として使いやすい
つまり、効率的だった。
この時点では合理的な選択だ。
ただし、その効率は一つの軸に偏っていた。
「早く増やす」という軸だけで最適化された結果、何が起きたか。
単一樹種の森林
花粉の大量発生
花粉症の蔓延
ここで初めて、副作用が表に出る。
そして現在。
原因はわかっている。
でも完全には止められない。
だから人はどうするか。
マスクをする
薬を飲む
外出を調整する
つまり、環境を変えずに、自分を調整する。
これ、SNSと同じ構造じゃないか?
SNSもまた、効率から始まっている。
反応が取れるものを優先
滞在時間を最大化
拡散しやすい形を強化
これもまた、合理的だ。
ただし、最適化の軸は一つ。
「反応」
その結果どうなるか。
テンプレ化
刺激のインフレ
情報の過剰供給
そしてユーザー側に起きるのは
疲労
過敏反応
無反応化
これはもう、感情の花粉症だ。
ここで重要なのは、
問題が「存在している」のに
システムが止まらないこと。
なぜ止まらないのか。
プラットフォームは利益が出る
投稿者はチャンスがある
ユーザーは完全には離れられない
つまり、
全員が少しずつ依存している。
だから起きるのはこれだ。
原因は維持される
個人が対処する
スギも同じだった。
スギは残る
人間が薬を飲む
ここまで来ると、
問題は「異常」ではなく
「環境」になる。
ただし今、スギは変わり始めている。
伐採
植え替え
多様化
つまり、
構造に手を入れ始めた。
SNSはどうか。
まだそこまで行っていない。
今はまだ、
ミュート
ブロック
距離を取る
といった
個人側の調整フェーズにいる。
この違いは何か。
スギは物理的被害として可視化された。
SNSは主観的疲労として分散している。
だから動きの速度が違う。
結論として、
SNSは壊れているわけではない。
ただ、
単一の効率で最適化された結果、
人間側に副作用が出ているだけだ。
一行で言うならこうなる。
極度の単一最適化は、必ず副作用を生む。
スギは花粉症を生み、
SNSは感情の花粉症を生んだ。
問題は、どちらもまだ止まっていないことだ。
