主観的苦悩と客観的苦悩は別物ではないか
「苦労は美しい」の違和感
世の中ではよく、
「苦労した人は強い」
「努力は美しい」
「苦難が人を成長させる」
と言われる。
だが、本当にそうだろうか。
主観的苦悩は“ただの苦痛”
当事者が感じているものは、
不安
消耗
焦燥
恐怖
孤独
無力感
であり、
その瞬間に“美談性”は存在しない。
主観的苦悩とは、
意味づけされる前の生の負荷である。
客観的苦悩は“成功譚”
一方で社会は、
成功した後の苦痛を、
下積み
青春
努力
挫折
成長物語
として再編集する。
つまり客観的苦悩とは、
成功によって後付けで意味づけされた物語である。
同質化による歪み
問題は、
主観的苦悩と客観的苦悩が
同じものとして扱われることだ。
すると、
「苦しみには意味がある」
「耐えれば報われる」
「苦労は財産」
という神話が生まれる。
だが実際には、
苦痛は苦痛のまま終わることも多い。
成功した苦悩だけが“苦労”になる
同じ10年でも、
売れれば「下積み」
売れなければ「無名」
になる。
つまり社会は、
苦労を評価しているのではなく、
成功した苦労だけを物語化している。
演出された苦悩
オーディション番組やSNSでは、
苦悩
成長
挫折
絆
が感動フォーマットとして編集される。
しかし本当に不可視なのは、
物語化されなかった大量の苦痛の方ではないか。
苦労は本当に美しいのか
苦労とは本来、
摩耗
制約
不安定
消耗
でしかない。
それを美談化することで、
現在進行形の苦痛まで正当化してしまっていないだろうか。
