不言実行が先なんだ

「有言実行は素晴らしい」
そう言われることが多い。

けれど、少し気になった。
そもそも有言実行は本当に美徳なのだろうか。

実は「不言実行」の方が先に存在していた言葉である。

つまり本来は、
「言わずにやる」
ことが理想とされていた。

有言実行は後から生まれた言葉だ。
言った以上はやれ。
宣言した以上は責任を持て。
そういう意味合いが強かったのだろう。

ところが現代では、どこか逆転しているように見える。
有言実行が持て囃される。
夢を語れ。
目標を宣言しろ。
コミットメントしろ。
そう言われる。

だが、少し考えてみる。
有言とは何だろうか。
言うことだろうか。

違う。
届くことだ。

誰にも届いていない宣言は、社会的には存在しない。
フォロワー100万人が宣言する。
多くの人が覚えている。
無名の人が同じ宣言をする。
誰も覚えていない。

すると有言実行は、実は「言ったかどうか」ではなく、「認知されたかどうか」に依存している。

そう考えると、有言実行は意外と恵まれた環境の上に成立している。

聞いてくれる人がいる。
記録してくれる人がいる。
発言しても潰されない環境がある。

そうした土台があって初めて有言は成立する。

一方で不言実行は違う。
誰も見ていなくても成立する。
認知されなくても成立する。
やったか、やらなかったか。
それだけだ。

もちろん有言が不要とは言わない。
組織を動かすなら必要だ。

計画を共有する。
仲間を集める。
役割を分担する。

そういう場面では有言は機能になる。
だが、それは組織論である。

近年はその組織論が個人論へ持ち込まれているように見える。
「夢を宣言しよう」
「目標を発表しよう」
「皆の前で約束しよう」
だが、それは本当に実行のためだろうか。
それとも承認のためだろうか。

私は有言実行を否定したいわけではない。
ただ、有言実行だけが美徳として持て囃されることには違和感がある。

本来は不言実行が先だった。
結果そのものが発言だった。
実行そのものが証明だった。

言葉が先か。
結果が先か。

私はどちらかと言えば、
「気付いたら出来ていた」
という不言実行の方に惹かれる。

その方が余計な装飾がなく、本質的に見えるからだ。

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