読む人の総数は、本当に減ったのか?
最近よく耳にする。
「本を読む人が減った」
「漫画すら読まれなくなった」
「長文はもう誰にも届かない」
けれど、私はこの前提自体にずっと違和感を持っている。
本当に、読む人の総数は減ったのだろうか。
むしろ僕は、読む人の数そのものは昔から大きく変わっていないと思っている。
昔から、能動的に読み込む層というのは一定数しかいなかった。
本を最後まで読む人。
新聞を隅々まで追う人。
単行本で物語をまとめて読む人。
BBSの過去ログを掘る人。
こうした「読む人」は、もともと全体の中では限られた層だったはずだ。
では、なぜ今になって「読まれない危機」がこれほど語られるのか。
ここで問題なのは、読み手の数ではなく、供給の回路そのものが変わってしまったことだと思う。
本来、読む層に向けて流れていたものが、ある時期から読まない層にまで届く仕組みが出来上がった。
SNS、ショート動画、タイムライン、レコメンド。
読む意思の有無に関係なく、あらゆる情報が同じ回路に流し込まれるようになった。
つまり、本来は読む層ではなかったところにまで、一時的にコンテンツが大量に流れ込む市場が形成された。
ここで供給側は、「より多くの人に届く」ことを市場として見始めた。
その結果、本来読む層ではなかった人々にも大量に供給されるようになった。
そして、その一時的な拡張を“通常”だと認識してしまった。
だから今、その流れが落ち着いてきた時に、
「最近は読まれない」
「人が読まなくなった」
という危機感が生まれる。
けれど、それは読み手が減ったのではない。
もともと読む層ではなかったところに一時的に流れていたものが、ただ正常化しているだけなのかもしれない。
つまり危機なのは読み手ではない。
市場化された供給回路が、もともと存在しなかった需要を見かけ上膨らませていただけではないだろうか。
読む人は、昔からずっと一定数いる。
変わったのは、人ではなく、届け方の構造の方なのだと思う。
