後世に名を残そうとしている人ほど、後世に残らない
「流芳後世」という四字熟語がある。
意味は、
「良い評判や名声を後世まで残すこと。」
らしい。
ところが、その出典を見ると少し面白い。
東晋の政治家・桓温は、
「美名を後世に流すこともできず、悪名を万世に残すこともできないのか」
と嘆いたという。
つまり本人は、
「このままじゃ何も残せないじゃないか」
と悩んでいたわけだ。
しかし現代では、その桓温本人よりも「流芳後世」という言葉の方が有名だったりする。
なんとも皮肉である。
そもそも、人は人格を後世に残せるのだろうか。
答えは、多分難しい。
本人がいなくなれば、その人格を直接知る人はいなくなる。
残るのは、
思想
作品
技術
制度
事業
記録
だけだ。
後世の人は、それらを見て
「この人はこういう人物だったのだろう」
と想像しているに過ぎない。
つまり人格が残るのではなく、
人格を推測する材料が残るだけなのである。
だから、「名を残したい」という人は案外残らない。
意識が自分自身に向くからだ。
「評価されたい」
「有名になりたい」
「尊敬されたい」
それらは全部、自分が主役である。
一方、本当に後世まで残る人は、
「この作品を完成させたい」
「この思想を伝えたい」
「この技術を実現したい」
と考えていることが多い。
主役は自分ではなく、作品や思想だからだ。
歴史に残るのは、
「俺を覚えてくれ」
という人ではない。
「この考え方を使ってくれ」
という人である。
作品や思想が何百年も引用されれば、そのたびに作者の名前も一緒に呼ばれる。
だから名声は目的ではない。
作品や思想が生き残った結果として、後から付いてくる副産物なのである。
後世に名を残そうとするより、
後世でも使われる作品や思想を残そう。
その方が、結果として「流芳後世」に一番近い生き方なのかもしれない。
