天国と地獄ではなく、天獄と地獄なのかもしれない

地獄について考えていて、ふと疑問が湧いた。
そもそも「獄」とは何なのだろう。
一般的には牢獄を意味する。
つまり本質は苦痛ではない。
拘束である。

そう考えると地獄の見え方が少し変わる。
剣山刀樹。
釜茹で。
鬼による責め苦。
これらは確かに苦しい。
しかし本質は痛みではない。
そこから抜け出せないことにある。

では天国はどうだろう。
一般的には地獄の反対とされる。
快楽。
幸福。
安楽。
報酬。
しかし考えてみると少し不思議である。
地獄は「獄」なのに、
天国は「国」なのだ。

もし獄を拘束と定義するなら、
地獄の反対は天国ではなく、
むしろ天獄になる。

最初は酒池肉林のような快楽世界を想像した。
しかし考えれば考えるほど違和感があった。
快楽は確かに拘束になる。
だがもっと強い拘束がある。
それは秩序である。

法。
道徳。
礼儀。
常識。
役割。
責任。

それらによって世界は安定する。
社会は回る。
人々は安心して暮らせる。

しかしその安定は、
同時に境界を固定する。

ここから先へ行ってはいけない。
これは正しい。
これは間違い。
こう生きるべき。
こうあるべき。

誰も苦しんでいない。
むしろ幸福である。
しかしその秩序から外れる発想もまた存在しない。

それは地獄とは違う。
だが自由でもない。

もし地獄が
「苦による拘束」
なら、
天獄は
「秩序による拘束」
なのかもしれない。

仏教では天界ですら輪廻の中にある。
それはおそらく、
快もまた拘束だからだろう。

苦しいから地獄なのではない。
快適だから天国なのでもない。
どちらも何かに縛られている。

そう考えると、
本当に対比されるべきものは
天国と地獄ではない。

拘束と解放。
輪廻と涅槃。
境界への執着と境界からの自由。

地獄は苦の獄。
天獄は秩序の獄。
そしてそのどちらからも離れた場所に、
ようやく自由があるのかもしれない。
だから天国と地獄という言葉に違和感を覚えたのだろう。
私が探していた対比は、
善悪ではなく拘束の種類だったのである。

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