不協和音ではない 不況和音である
― なぜ「気持ち悪い音」が時代に求められるのか ―
最近の音楽、綺麗すぎない?
いや、音質とか技術の話じゃない。
“ちゃんと気持ちいい”のである。
コード進行も安心。
メロディも安心。
展開も安心。
感情も安心。
聴いた瞬間に、
「あーこういう感じね」
と理解できる。
悪く言えばテンプレ。
良く言えば安定。
もちろん、それ自体は悪ではない。
だが問題は――
それが増えすぎた時。
盛況の時代、異物は嫌われる
文化が盛り上がっている時代。
つまり、
「これが人気!」
「みんなこれ好き!」
が機能している時代は、
実は不協和音が嫌われやすい。
なぜなら、人々はすでに満たされているから。
安心して気持ちよく消費したい。
そこで突然、
謎の不協和音。
変拍子。
変なノイズ。
拍がズレる。
歌詞の意味が意味不明。
すると言われる。
「なんか気持ち悪い」
「難しい」
「狙いすぎ」
「普通でよくない?」
当然である。
盛況の時代に異物は嫌われる。
なぜなら、秩序を乱すから。
しかし盛況が続くと、別の問題が起きる
それが、”文化的不況”である。
経済不況ではない。
盛り上がらない。
驚かない。
全部どこかで聴いた。
似てる。
予測できる。
つまり、
テンプレ化による感覚麻痺。
気持ちよさはある。
でも、
「で?」
になる。
綺麗だ。
上手い。
完成度高い。
でも
記憶に残らない。
綺麗すぎて埋もれる。
そこで登場するのが「不況和音」である
私は思う。
もはや「不協和音」という言葉は古い。
あれは、不況和音なのではないか。
つまり、文化が停滞した時代に必要とされる和音。
安心を壊す。
予測を裏切る。
少し気持ち悪い。
でも、「なんだこれ?」となる。
ここで重要なのは、
快ではないこと。
むしろ、
少し引っかかる。
違和感。
ノイズ。
ズレ。
身体の揺らぎ。
しかし人間は、
飽和すると刺激を求め始める。
すると不思議なことに、
昨日まで
「変だ」
と言われていたものが、
今日には
「新しい」
になる。
音楽史、だいたいこれ
考えてみれば、
ほぼ全部そうである。
Jazz。
Rock。
Hip-hop。
電子音楽。
Glitch。
Hyperpop。
最初は大抵、
「音楽じゃない」
と言われる。
だがテンプレが飽和すると、
異物が突然価値を持ち始める。
そして数年後。
その異物がテンプレになる。
するとまた、
新たな異物が求められる。
つまり文化とは、
盛況 → 飽和 → 不況 → 異物需要 → 新テンプレ
の循環なのかもしれない。
だから不協和音は悪ではない
不協和音とは、単に耳障りな音ではない。
それは時代によって役割が変わる。
盛況時には、
空気を壊す厄介者。
不況時には、
感覚を起こす起爆剤。
つまり、
盛況時には貶され、
不況時には迎合される。
そう考えると、
今求められている“変な音”たちは、
実は時代の症状なのかもしれない。
あなたが最近、
妙に変な音楽に惹かれるなら。
それは感性が壊れたのではない。
多分、
文化が少し不況なのだ。
だから――
今日も誰かが、
次の「不況和音」を鳴らしている。
