隔たり
かつて自分なりの「正しさ」で子育てをしてきた祖母。
その娘は、現代の育児観に戸惑いながらも、“叱らない育児”を模索していた。
保育園の送り迎え、家でのちょっとした会話、
そして孫へのふとした叱責──
そんな日常のすれ違いの中で、祖母と娘は少しずつ、静かに心の距離を広げていく。
祖母は、自分のやり方が“古い”とされることに戸惑いながらも、
怒らずに育てる娘の姿に、どこか“物足りなさ”と“心配”を抱えていた。
一方の娘も、「見守る」ことの正しさに確信が持てず、
過去の自分の育ち方、母親との関係、自分自身の未熟さに揺れていた。
そんなふたりが、支援機関での面談をきっかけに、
それぞれの中にあった“子育ての意味”と“言葉にならなかった思い”を静かに見つめ直していく。
そして、祖母は気づく──
「隔たり」とは、完全にわかり合えないことではない。
わからないままでも、向き合おうとすることはできるのだと。
時代も価値観も違うふたりが、
それでも同じ“子どもを想う気持ち”から、手を伸ばし合おうとする物語。
#創作大賞2025
第一章:昔はそうだった
──子どもが言うことを聞かないときは、叱るしかなかった。
それが、私たちの育児だった。
「怖がらせるくらいでちょうどいい」と、本気で思っていた。
そうやって育てれば、人前で恥をかくこともないし、ちゃんとした大人になれる。
私は、そう信じて生きてきた。
玄関のチャイムが鳴るたびに、私は思う。
「また、あの子が困った顔で来るんじゃないか」って。
でもそれを顔に出すと、今度は「おばあちゃんが怖い」なんて言われるから、最近は黙っている。
私は、せっかちな人間だ。
待つのが苦手だし、遠回しな言い方も嫌いだ。
言いたいことは言う。黙っていたって、伝わらないから。
そうやって生きてきたし、母親としても、そうしてきた。
夫があまり家にいなかった分、私が家のことも、子どものことも、全部見ていた。
自分のやり方で、ここまでやってきた。
──少なくとも、間違っていたとは思っていない。
孫ができてからも、そのつもりだった。
娘はしっかり者だし、私に似て口数は少ないけれど、子どもには甘い。
何度も「ちゃんと叱らないと」と言ってきた。
けれど、返ってくるのは決まって、どこか気まずそうな顔だった。
「今はそういうの、あまり良くないんだって」
何が良くないのか。
私は思う。
──私のやり方は、そんなに間違っていたのか?
厳しさを教えるのは、そんなに悪いことだったのか?
娘は何も言わない。
でも、その“言わなさ”が、私を責めているように感じられる日もある。
第二章:言いたくなるのは、悪いこと?
「ちゃんと叱らないと、この子が困るのは将来なんだから」
そう言ったのは、先月のことだった。
孫が靴を脱ぎ散らかしたまま家に上がって、娘がそれを見ても笑って済ませた。
私は、思わず言葉を飲み込めなかった。
──でも、それがいけなかったのだろう。
娘は黙っていた。
けれど、その黙り方がいつもと違っていた。
口元を固く結んで、少しうつむいて、「じゃあ、そろそろ行くね」とだけ言って帰っていった。
それ以来、私は言葉を慎んでいる。
言いたくなる。けれど、言えばまた“うるさい”と取られる。
じゃあ、何も言わないのが正解なのか?
ただ黙って、娘のやり方を見ていればいいのか?
私は黙ることが苦手だ。
黙って我慢するくらいなら、言ってしまって叩かれた方がマシだと思って生きてきた。
けれど、今は違う。
何を言っても、「それは時代が違う」で片付けられてしまう。
まるで私という存在ごと、古びた家具のように扱われる。
“悪気はないけど、今はもう必要ない”──そう言われているような気がする。
娘は、私の育て方を否定してはいない。
でも、肯定もしていない。
ただ、避けるようになっている。
それが何よりもこたえる。
私は母親として、やってきたつもりだった。
少なくとも、間違ってはいなかったと思っている。
けれど──
あの子の静かな目が、私に“壁”を感じさせる。
私は何か、言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。
それとも、“言いたくなる”こと自体が、もう時代遅れなのだろうか。
第三章:怒らない育児?
「何か、最近は“怒っちゃいけない”らしいわよ」
誰に言うでもなく、つぶやくように口にした。
テレビか何かでやっていた。
“怒るのではなく、受け止める”“共感を優先する”──そんな言葉が並んでいた。
……正直、よくわからない。
私たちの時代は、悪いことをすれば叱った。
泣こうが叫ぼうが、いけないものはいけない。
それが、子どものためだった。
「怒らない」って、何?
黙って見ているだけで、子どもが変わると思うの?
教えなければ、どうやって分かるの?
ルールを守らないで、人とどうやって暮らすの?
私は、娘にもそうしてきた。
厳しくもしたけれど、ちゃんと見ていたつもりだった。
だからこそ今、あの子が何も言わずに去っていくのが……つらい。
間違っていたのかもしれない、と。
思わなくもない。
でもそれでも、あのときは……
叱るしか、方法を知らなかった。
褒め方なんて知らない。
話を聞く余裕なんてなかった。
生きることで、精一杯だった。
……でも。
だからって、
今のやり方が、正しいって……本当に言えるの?
何もしない。
ただ待つ。
間違っていても、黙って見守る。
それが“愛情”?
わからない。
わからないのよ。
──たぶん私はもう、“子育ての言葉”を、読み間違えているのかもしれない。
第四章:娘のまなざし
「ありがとう。またお願いします」
そう言って、娘は孫の手を引いて帰っていった。
玄関を閉めるとき、彼女は一度だけ、こちらを見た。
あの目。
怒ってはいなかった。
責めてもいなかった。
けれど、確かに“何か”があった。
──あれは、壁だった。
うっすらと、でも確かに、そこに立ち塞がる“理解の届かない距離”だった。
娘は昔から、言葉が少ない子だった。
私と違って、すぐには口に出さない。
それでも、あの目は──今はもう、私を見ていない。
何がそんなに、違うのだろう。
私は娘にも、孫にも、同じようにしてきた。
叱るときは叱る、注意するときは注意する。
それが当たり前だった。
けれど、最近は違うという。
「叱らないで」「怒らないで」
──じゃあ、どうするの?
この間、孫がご飯をぐちゃぐちゃにして遊び始めたときも、
私は思わず声を荒げてしまった。
「こら、遊ぶなって言ってるでしょ!ちゃんと食べなさい!」
すると、娘はゆっくりと私の方を見て、こう言った。
「……ごめん。私がちゃんと伝えておけばよかった」
あの時も、怒ってはいなかった。
けれど、私の中に何かがざわついた。
──“伝えておけばよかった”?
私は、何も間違ったことは言っていない。
食事中に遊ぶのはよくない。
それを叱るのは、当然のことだ。
……なのに、
私はなぜか、ひどく疲れた。
そして、少しだけ、寂しかった。
第五章:選び直す場所
夕方、娘がひとりでやってきた。
孫は連れていなかった。
「少しだけ話してもいい?」
その言葉だけで、胸がざわついた。
娘の方から話を切り出すなんて、珍しい。
私は台所の椅子を勧めながら、思わずエプロンを握りしめていた。
黙って座る娘の顔には、怒りも戸惑いもなかった。
あるのは、ただ真剣な、少しだけ揺れた目。
「今日、相談所に行ってきたの」
その言葉に、私は何か嫌な予感がした。
また何か言われたのだろうか。
“おばあちゃんの言葉が強すぎる”とか──
でも、娘の口から出たのは、意外な言葉だった。
「私……母親として、何が正しいかずっとわからなかったの」
一瞬、何かを飲み込むように黙ったあと、彼女は続けた。
「怒らない方がいいって言われて、でも私も叱られて育ってきたから……どうすればいいかわからなかった。
子どもに考えさせるっていうけど、私がその考える力を教わってこなかったから、
……私自身が、“考えずに従う”ことで大人になったような気がして」
私は言葉を失った。
目の前の娘が、初めて“自分の育ち”を、私の前で見つめていた。
「でも、今日相談員の人に、“あなたはちゃんと見てますよ”って言われて……
なんか、少しだけ、自分を許せた気がした」
私は、何も言えなかった。
でも、ふと、口が動いていた。
「……そういうの、知らなかったからね。
考えさせるなんて……昔はそんな余裕、なかったもの」
娘がこちらを見た。
まっすぐに。
でも、優しい目で。
「お母さんが間違ってたとは思ってないよ。
私を守るためにしてくれてたこと、今ならわかる。
でも、私は、少しだけ違うやり方をしてみたいんだ」
静かな沈黙が流れた。
「どうすればいいか、まだわからないけど……
お母さんと一緒に、ちゃんと話しながら考えていきたい」
私は、思わず小さく笑った。
心のどこかで、“その一言”を待っていたのかもしれない。
「……そうだね。あんたがそう思ってるなら、
私も、口出しばっかりじゃなくて、ちゃんと“聴く”練習しなきゃね」
ほんのわずかだけ、娘の顔が緩んだ。
その笑顔が、なんだかとても、懐かしかった。
第六章:隔たり
娘が帰ったあと、私はしばらく動けなかった。
夕飯の準備もしないまま、台所の椅子に座り続けていた。
──考えさせる育児。
私の時代にはなかった言葉だ。
そんな余裕なんて、なかった。
でも、そうやって育てられなかった娘が、
今、それを自分で選び取ろうとしている。
叱るしか知らなかった私は、
今、“聴く”ということを始めようとしている。
……なんだか、可笑しいわね。
あんなにせっかちだった私が、
“待つこと”を、やっと学び始めるなんて。
テーブルの上には、孫の描いた落書きが残っていた。
ぐちゃぐちゃの線だけど、どこか伸びやかだった。
自由で、まとまりがなくて、でも、ちゃんと“何か”を伝えようとしていた。
私はそっとそれに手を伸ばす。
線の意味はわからない。
でも、それでも、“伝えたい気持ち”だけは、伝わってきた。
もしかしたら、“隔たり”って、
完全にわかりあえないことじゃないのかもしれない。
わからないままでも、向き合うことはできる。
あの子が、自分のやり方を選んだように、
私も、今からでも選び直せるのかもしれない。
もう「昔はこうだった」なんて言わなくていい。
“今、ここで、どうしたいか”を、ちゃんと話せばいい。
私は立ち上がり、電気ポットに水を入れた。
静かな夜の台所に、湯気がゆっくりと立ち上る。
そのぬくもりの中で、私は思う。
まだ届かないものはある。
わかりあえないことも、きっとたくさんある。
けれど。
それでも、手を伸ばすことはできる。
隔たりの向こう側へ──
