団尊主卑 ― コミュニティが主体性を奪う時代

「官尊民卑」という言葉がある。
政府や官吏を尊び、民間を卑しむ風潮を指す政治学用語であり、福沢諭吉はそのような価値観を批判した。
問題は「官」であることではない。
所属だけで人を評価することである。
官だから偉い。
民だから劣る。
そんな評価軸が社会を支配すれば、人は自ら考えることをやめてしまう。

しかし現代はどうだろう。
官と民の境界は薄れた一方で、新たな評価軸が生まれている。

それはコミュニティである。
会社だから。
有名人だから。
フォロワーが多いから。
この界隈では有名だから。
所属している団体が大きいから。その瞬間、評価されるのは「主体」ではなく「所属」になる。

私はこれを、
団尊主卑
と呼びたい。

団を尊び、主を卑しむ。
ここでいう「主」とは、主体性であり、自ら考え、自ら判断する意思である。
コミュニティは本来、目的を達成するための手段に過ぎない。

しかし、コミュニティそのものが目的になると、
「みんながそう言っている」
という言葉が思考停止の免罪符になる。
すると作品は作品として評価されず、
発言は発言として評価されず、
「誰が言ったか」
だけが評価される。

これは「官尊民卑」と本質的には同じ構造である。
評価軸が主体から所属へ移っただけだ。
本当に尊ぶべきものは団ではない。
主体である。

組織は主体ある人間が集まった結果であり、主体性を失わせるために存在するものではない。
団を尊び、主を卑しむ社会では、新しい価値は生まれにくい。

だからこそ、所属ではなく、自らの意思と行為によって評価される社会であってほしい。
それが、私の考える**「団尊主卑」**への批判である。

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